39kgは重すぎる(11)

 旧国道沿いにしばらく歩いたところで、兄が立ち止まった。


 あたしが「どうしたの?」と聞くより早く、兄は「曲がるぞ」と言い置いて脇道へと歩き出した。狭く暗い道。その先に見える坂を上りきれば、そこは瀬名川せながわの堤防敷だ。兄がどこに向かおうとしているかは最早明らかだった。


「結構歩けるんだ」


 兄の横に追いついたあたしは、胸がキュッと締め付けられるような感覚に苛まれつつも、努めて軽い口調でそう言った。


「必要なことだからな。必要なら、走ることだってする」


 兄は闇色の空を見上げて淡々と言った。兄が本気で言っていることも、いざとなれば本当に走りきってしまうであろうことも、あたしは知っている。


「……グリーンデイズでの出来事が示唆する事件の解決とやらも、なが兄にとっては必要なことなの?」


 あたしはだから、兄に問いかけてしまう。あたしたちがこうやって夜を歩くことになったそもそもの理由について。


「必要かどうかで言えば、不必要だろう。やるべきことかどうかで言えば、やるべきではない。やりたいことかどうかで言えば、わからないというのが正直なところだ」


「だったらなんで」


 あたしが『自分の手で事件を解決しようだなんて思ったの?』と言うよりも前に、兄は首を横に振った。


「違うだろう、鮎。ゲームはもう始まっている。。であれば今のお前が紡ぐべき言葉は説得ではなく推理であるべきだ。違うか?」


 咄嗟に言い返すことができず、あたしが黙りこくっていると、兄はすぐさま二の矢を放ってきた。


「それとも――今になって自分の出した答えに自信がなくなってきたのか?」


「そんなことは、ない」


 今度は力を込めて、はっきりとノーを突きつける。あたしは兄の顔を横顔を睨みつけながら、こう続けた。


「そっちがそのつもりなら、やってやろうじゃん。先に言っとくけど、負けを認めたくないからって変な言いがかりをつけるのはナシだからね」


「わかってる。もちろん、正当な反論はさせてもらうがな」


 穏やかな笑みとともにそんなことを言う。うーん、殴りたい。だが、殴るならば推理で殴るべきだろう。あたしは自らの耳たぶをぎゅっとつまんで戦闘態勢を整える。気がつけば、堤防敷へと続く坂道はすぐ目の前にあった。


「――美人さんは業務用の原付スクーターでも使うなら話は別だと言ったんだよね。『業務用の原付スクーターでも』とか、『業務用の原付スクーターでも』ではなく、『使うなら』と」


「そうだな」


「あの言葉が嘘偽りのない本音だと仮定するなら、業務用の原付スクーターを運転することもできたし、用意することもできたと考えて良いんじゃないかな」


「……業務用の原付スクーターを使えない理由が運転できないことなら『運転できれば』と言っただろうし、用意できないことが問題なら『あれば』と言うのが自然だとそう言いたいのか?」


 兄があたしの推理を先取りするように言った。癪に障ったのでエヘンとわざとらしく咳払いをしてやる。


「断定するつもりはないよ。でも、あの台詞を言うのに最もふさわしいのは、業務用の原付スクーターを使おうと思えば使えるけど使うわけにはいかない事情がある人であることは間違いないよね」


「なるほど。他に比べて蓋然性が高いということは認めよう」


「ありがとう。それなら、同じことが自動車についても言えるとは思わない?」


「……と言うと?」


「業務用の原付スクーターと自動車だったら、自動車の方がよっぽど身近だし、重い荷物を運ぶのにも向いているよね。でも、美人さんは自動車じゃなくって、業務用の原付スクーターでも使うなら話は別と言った。もしも、自動車を運転できないことがネックなら『自動車でも運転できれば』と言っただろうし、自動車を用意できないことがネックなら『自動車があれば』と言う方が自然だよね?」


「あの女が業務用の原付スクーターを使いたがったことそれ自体が、自動車を使うことそれ自体はできたものの、使うわけにはいかない事情があったということを示しているわけだな」


 あたしはこくりと頷いて、話を先に進める。


「このことに関してなが兄は、狭い道を通る必要があった可能性を挙げていたよね。あたしも、美人さんが自動車ではなく業務用の原付スクーターと言った理由はそれ以外にないと思っている。問題はその業務用の原付スクーターさえも、39kgの荷物を運ぶには不適当だった理由だけど――おそらく美人さんはんじゃないかな」


「ふむ」


「人は変装することができる。顔を隠すなら、帽子をかぶってさらにフェイスカバーを着用すれば良い。体型を隠すなら、だぼっとした服を着れば良い。でも、車両にはそれができない。ナンバーを隠すことそれ自体が異常で、とても人目につく行動だからね。美人さんがやろうとしていたことは道徳的にあまりよろしくないもの――有り体に言えば犯罪行為だったと、あたしは考えている」


 バシッと断言するあたしだが、実のところ今の推理は、なが兄が『昼間のグリーンデイズでの出来事が示唆する事件』と言ったことから逆算して導き出したものでもあるので、お世辞にも論理的とは言えないのだが、このゲームの趣旨は兄が出した答えを当てることなんだし、これくらは大目に見てもらおう。


「それで、あの女がどんな犯罪行為を企んだのかについては当たりがついているのか?」


 兄がちょっと考え込んだ後でそう尋ねてきたので、あたしは「うん」と即答した。


「でもその前に、もう一つ共有しておくべき前提があるんじゃないかな」


「共有しておくべき前提?」


「美人さんが35kgでも40kgでもなく、39kgは重すぎると言った背景だよ」


「ほう」


「さっきあたしは『美人さんは自分が持ち運ぼうとしているものがぴったり39kgの重さのものだということを知っていた』と言ったけど、あの発言から読み取れることは他にもある」


 あたしは軽く息を吸いこむと、兄の相づちを待たずに続けた。


「美人さんにとって、39kgの荷物運びは


「……前半部分については俺も自明のことだと思うが、後半部分については説明が欲しいところだな。どういう理由で、あの女が過去にも39kgの荷運びをしたことがあると思ったんだ?」


「美人さんが怒っていたからだよ。しかも、なが兄の言葉を借りるなら貯まりに貯まった怒りが爆発したような怒り方だった。実際に体験したことでなければ、ああいう怒り方はしないでしょ」


「確かにな。それに、まったくの未体験だったとするなら、やはり35kgでも40kgでもなく、39kgと具体的な数字を挙げた点も引っかかる」


 その点には思い至らなかった。とはもちろん口には出さず「それもあるよね」と軽く応じてから、あたしは足を止める。堤防敷まで、あと十歩の距離。


「……美人さんがやろうとしていた荷物運びは、人目についてはいけない犯罪行為だった公算が大きい。そして、美人さんは過去にもその荷物運びをやったことがあった。あたしは、この街で今言った条件にぴったり合致する犯罪が起きていることを知っている」


「それは?」


 あたしと同じに立ち止まった兄が、低い声で尋ねた。


。『フジ美さん』のマンホールの正確な重量は把握してないけど、一般的なサイズのマンホールの重さって、大体40kgくらいだったよね。美人さんは、五十海市のご当地マンホールを盗んで回っている窃盗団の一味で、仲間と次の犯行計画について話しているうちに激高してあんなことを口走ったというのがあたしの結論」


 あたしの脳裏で、先ほど旧国道で見た光景がフラッシュバックする。暴走トラックが足を取られたものの正体――それは道路に埋設された大きなマンホールだった。


「ほう」


 兄が短く言って目を細めた。続けて何か言い返してくるかと思えば、口をつぐんだきり一言も声を発しない。あたしはそれを好機とみて傍証を積み重ねることにする。


「ついでに言うと『フジ美さん』のマンホールは市道にしか設置されない。『フジ美さん』は市のマスコットキャラクターだからね。でもって、市道の中には狭くて自動車の乗り入れができないような道もたくさんあるよね。美人さんが自動車ではなく業務用の原付スクーターを使いたがったことも、これなら説明がつくよね」


「……そうだな。マンホール連続盗難事件に注目したのは良かったんじゃないか?」


 しばらくして、兄がぼんやりした声で言った。あたしは自分の心臓が小躍りするのを自覚しつつ、努めて抑制の効いた声で「気がかりだったのは、今週釈放されたばかりのなが兄がマンホール連続盗難事件のことを知り得たかどうかだった」と言った。


「でも、盗難事件のことはテレビや新聞でも頻繁に取り上げられていたみたいだし、知る機会がなかったわけじゃないよね? 何よりなが兄があたしに『グリーンデイズでの出来事が示唆する事件』の正体を突き止めるゲームを持ちかけた時点で、なが兄が考える正解はあたしにも推理可能なものだということは明らかだった」


「それで懸念を捨て去ることができたというわけか」


 兄は、相変わらずの気のない声でそう言った後で、右足のふくらはぎをさすった。


「そろそろ歩くのを再開しても良いか? 坂の途中で立ち止まってるというのは中々堪えるんだ」


「あ、ごめん」


 兄の足の怪我のことを考えれば、堤防敷についてから休憩すれば良かった。あたしは兄の歩みに合わせて、ゆっくりと坂道を上り始める。


「で、どうなの?」


「マンホール連続盗難事件のことなら知っていたとも。拘置所の中でも新聞を読むことはできたんでな」


「……そうじゃなくって」


 あたしはムスッとした声で言う。


「聞きたいのはあたしが出した答えに対する意見なんですけど」


「ああ。そういうことか」


 兄が上り坂の終着点を見やりながら、呟くように言った。


「さっき『マンホール連続盗難事件に注目したのは良かった』と言ったのは嘘ではない。他にもいくつか興味深い指摘があったとは思う。だが、それだけだ。鮎の答えは

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