39kgは重すぎる(10)

「グリーンデイズでの出来事って、あの綺麗なお姉さんが電話の相手に向かって『39kgは重すぎる』って怒鳴り散らした件? あれが何かの事件と関係してるって言いたいの?」


「何だ。まだに気づいていなかったのか」


 心底驚いたように兄は言った。あたしは頭に血が上るのを感じながら「他に考えなきゃいけないことがあったから後回しにしてただけ」と言い返す。


「今から少し考えてみると良い。もし鮎が今夜の内に正解にたどり着くことができたなら――」


「できたなら?」


「俺も自分で事件を解決してやろうなどと子供じみた考えは放棄して、素直に川原家に戻ることにしよう」


 今度は明らかにあたしを挑発するような言い方だった。でも、かえってそれが、あたしのカッカした脳みそをクールダウンさせてくれる。


「二言はないよね?」


 あたしは冷ややかにそう言うと、兄の顔を真っ直ぐに見た。


「もちろんだ」


 兄が即答する。


「だったらゲームは成立ね。今夜のうちだなんてはいらない。さっさと真相を見抜いて、引きずってでもなが兄を家に連れ帰ってやるんだから」


「その調子だ」


 兄は柔らかく微笑んでから、ふと思い出したように「次の角を右に曲がろう」と言い出した。


「旧国道に戻っちゃうけど良いの?」


「何か目的があって歩いていたわけじゃないからな」


 歩いてわけじゃない、か。その過去形の含むところについて思うところがないわけでもなかったけど、あたしは兄から持ちかけられた謎の解明を優先することにする。


「じゃあ、ここはニッキィ・ウェルト教授に倣って、あの美人さんが言い放った台詞の確認からいってみよう――やっぱり39キログラムは重すぎるって。業務用の原付スクーターでも使うってんなら話は別だけどさあ――これで間違いないよね?」


「台詞自体はそれで良いと思う。あの女はもっと激しい口調だったがな」


「オーケー。それじゃ、最初の推理。美人さんは怒っていた」


「間違いないな。台詞だけじゃなく、あの女の態度からもそれは明らかだ」


「もっと言うと、怒りが頂点に達してあの台詞が出たんじゃないかな」


「それも認めよう。貯まりに貯まった怒りが爆発したような口ぶりだった」


「第二の推理。美人さんは39キログラムのものをどこか離れた場所に持ち運ばなければならなかった。単に持ち上げるだけだとか、家の中の別の場所に運ぶくらいなら業務用の原付スクーターの話題は出てこないでしょ?」


「だろうな」


 ニッキィ教授の相棒の「私」なら「わかりきったことだ」と言いそうなところだが、兄は軽くうなずいて話の続きを促す。


「第三の推理。美人さんにとって39キログラムのものをどこかに持ち運ぶのは、当初から予定されていた行動だった。突発的な事態アクシデントであるなら『やっぱり』という言葉はでてこないもの。でも、美人さんはのことに納得していたわけではなかった」


「だから電話の相手と話をしているうちに怒りが再燃してしまったわけか」


「おそらくね」


「ここまでの所は異論はないな。強いて引っかかるところをあげるとすれば、あの女の呼び方くらいか」


 なが兄の顔の好みなんて知るか。あたしは空咳を一つして、先を急ぐことにする。


「次。美人さんは『九マイルは遠すぎる』を読んだことがあって、その影響であの台詞を口走った」


「ふむ」


 兄はそう呟いて、しばらく考え込んだ。


「どうだろうな。俺や鮎のようにあの本を読んだことがある者にとっては『九マイルは遠すぎる』を想起させるフレーズだったかもしれないが、元ネタを知らなくても普通に出てきそうなフレーズだとも思うぞ」


「たまたま出てきた台詞だとしたらちょっと出来すぎじゃない?」


「いや。むしろだろう――原点の台詞は覚えているか?」


「もちろん」


 あたしはうなずいて「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、ましてや雨の中となるとなおさらだ」と続ける。


「あの女が意図して『九マイルは遠すぎる』を真似たとするなら、『ましてや』とか『なおさらだ』という言葉をスポイルすることはないだろう。原付云々については言及せず、単に『39キログラムは重すぎる。歩きとなるとなおさらだ』とでも言う方がよほどらしいだろう?」


 兄の口ぶりはどこか空々しい感じがしたけれど、指摘自体は反論しがたいものだった。あたしはだから「そうだね」と言って、一旦自分の推理を棄却することに決める。


「じゃあ次。それこそニッキィ教授の物真似みたいな推理だけど、美人さんは自分が持ち運ぼうとしているものが39kgだということを知っていた」


「35kgでもなく、40kgでもなく、39kgと言っているからな。その点は鮎の言うとおりだと思う」


「ぴったり39kgで、かつ、原付で持ち運ぶことができる大きさのものとなると結構絞り込めそうな気もするけど、その原付のことで一つわからないことがあるの」


「と言うと?」


「どうして美人さんは『業務用の原付スクーター』を使いたがったのかってこと。普通の原付スクーターじゃダメな理由は、普通の原付スクーターについているような小さな荷台では運ぶのが難しかったからだとして、何故、自動車が第一選択にならなかったのか、それがあたしにはわからない」


「なるほど。そう言われれば、咄嗟に出てきた言葉としては妙な感じもするな」


 自らの耳たぶをつまみながら、兄は低い声で続ける。


「単に原付の運転免許しか持っていなかったのか……自動車では入っていけないような狭い道を通る必要があったのか……ただ、という点も合わせて考える必要があるんじゃないか?」


「うん。それも重要なパズルのピースだと思う」


 それからしばらくの間、あたしたちは黙りこくって歩き続けた。あたしは自分の考えを整理するために。兄はあたしが再び口を開く時を待つために――。


「左に寄れ」


 旧国道に戻って少し歩いたところで、兄が鋭く声を発して、あたしの肩に手を触れた。


「何?」


 あたしがそう言うよりも先に、地響きのような音が聞こえてきた。振り返ると、猛スピードで走ってくる2トントラックの姿が見えた。歩道ギリギリまで迫る勢いで、危なっかしいことこの上ない。あたしは素直に兄の忠告を受け入れて歩道の端に身を寄せると、トラックが通り過ぎるのを待った。


「交通マナーがなってないね」


 暴走トラックがキュキュッというやけに甲高いスリップ音を残して走り去っていくと、あたしは溜め息交じりに言った。


「大方、寝不足で気が立っていたというところだろう。俺としては事故がなければそれで良い」


 交通事故でサッカー選手としての未来を絶たれたあたしのただ一人のきょうだいは、事もなげにそう言って、トラックが通り過ぎたばかりの道をじっと見つめる。


「そういうことを――」


 言って欲しくない、と声に出しかけて、あたしははっと息を呑んだ。兄に釣られて車の気配が消えた旧国道に視線を向けたところで、トラックが何にタイヤを取られそうになったのか気がついたのだ。


 気がついたのは、それだけではなかった。


「そうか……そういうことだったんだ」


 あたしの中で、パズルのピースがかちりかちりと音を立てて繋がり始める。それが一つの絵をなすまで、さほど時間は掛からなかった。


「そう、と言うのは?」


 なが兄に問われて、あたしは一度大きくうなずいてみせる。


「なが兄の言う『グリーンデイズでの出来事が示唆する事件』とやらが何なのか、ようやくわかった気がする」

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