39kgは重すぎる(3)

 夕方。誰かがドアをノックする音で、あたしは浅い眠りから目を覚ました。


「はーい、今行きます」


 別に鍵がかかってるわけではないのだけれど、父も母もあたしがドアを開けるまでちゃんと待っていてくれる。


「あ」


 が、開けたドアの向こうにいたのは父でもなく母でもなく兄の流だった。二ヶ月前までとは似ても似つかない痩せきった体。なのに体が大きく見えるのは何故だろう。


「……どうかしたの?」


 声がガチガチに強張っているのが自分でもわかった。ああ、くそう。あの事件はもう終わった話じゃないか。あたしが兄に気後れする理由なんてない。何一つないはずだ。なのに何だってこんなにも心がざわついてしまうのか――。


「お前の携帯電話を少し貸してくれないか? 話したいやつがいるんだ」


 兄はあたしの顔をじっと見つめた後で、意外な話を切り出してきた。


「なんで。自分のがあるじゃん」


「警察に押収されてしまってな。まだ戻ってきていないんだ」


「にしたって、家の電話を使えば済むことでしょ」


 あたしが言うと、兄は首を横に振った。


「家の電話じゃ話せない内容ってわけでもないんだが、余計な心配をかけたくないんだ――特に母さんにはな」


 このタイミングで母の話を出してくるあたり、兄はあたしから譲歩を引き出すやり方を心得ている。あたしは舌打ちを一つして、自分の折りたたみ式の携帯電話を兄に押しつけた。


「終わったらすぐ返して。着信履歴とかメールボックス見たら殺すから」


 言ってから、あたしたちの場合はちっともシャレになっていないということに気づく。


「わかった。気をつけよう」


 対する兄は、さして気にした様子もなく、あたしの携帯電話を二、三度開閉させると「恩に着る」と言い残して、去って行った。


 ――歩くときに右足を引きずる癖は変わっていないんだ。


 その癖は一年前の交通事故で負った怪我が、今なお兄の身体を苛んでいることを示唆していた。


 兄にとってはもちろん、あたしたち家族にとっても忌まわしいあの事故の象徴ともいうべき癖。なのにあたしはその右足を引きずる癖に、兄が醜く太っていた頃のイメージを重ねて妙な安堵感を覚えてもいたのだ。


 あの頃の兄のことなんて好きでもなんでもない――それこそ、本気で殺してやりたいと思うくらい憎んでいたはずなのに。

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