39kgは重すぎる(5)
「ご注文はお決まりですか?」
呼び鈴の音を聞きつけてやってきたのは、先ほどのウェイトレスさんだった。席に案内してくれたときも思ったが、ふっくらした丸顔に鼻にかかったような声の組み合わせが妙に甘ったるく感じられる。髪をお団子ヘアにしていることもあって、見ようによってはかなり幼く見えるが、間違いなく二十歳は越えている。もしかしたら二十代半ば以上かも。体格は案外がっしりしていて、特に腕まわりはグリーンデイズ指定の制服の上からでもはっきりとわかるくらいたくましかった。
「ええ。お願いします」
父が全員分の注文をまとめて伝えると、ウェイトレスさんは早口で注文を復唱した後で「お冷やとドリンクバーはセルフサービスとなっております。レジ横のバーコーナーからお取りください」と言って、厨房へと戻っていった。
「父さんはホットコーヒーだよね?」
「甘くないやつな」
昔は角砂糖をたっぷり入れたやつを飲んでいた父だけど、ここ数年はもっぱらブラック党だ。
「わかってます」
そう返して席を立とうとしたあたしに、すかさず母が「私はアップルティーでお願い」と言ってきた。兄には過剰なくらい気を遣うのにあたしには随分な対応ですねと厭味の一つも返したくなるが、どうせ四人分の飲み物を一度には運んでは来られない。ここは素直に従っておこう。
「はいはい。アップルティーね。了解」
あまり素直さは感じられない声で母に返事をすると、あたしはバーコーナーへと向かって歩き出そうとした。と、その時だった。
「一人では手が足りないだろ」
向かいの席に座っていた兄が、低い声で言って、テーブルに手をついた。それが立ち上がるための動作であることに、あたしは少し遅れて気がついた。
「俺も行こう」
兄は顔を俯かせたまま低い声でそう言うと、左足に体重を寄せながら、テーブルについた両手に力を込めて、ゆっくりと両膝を伸ばしていく。
「二往復するから良いって。大した手間でもないし」
「こういうのも良いリハビリになるんだよ」
あたしの反論を軽く捌くと、ドリンクコーナーへと向かって歩き始める。足取りはゆっくりだが、動きに迷いがない。悪いことに兄が座っていた席の方があたしよりもバーコーナーに近い位置にあった。結果、あたしは兄の背中を追いかける羽目になった。
「……こんなところで転ばないでよね」
兄の背中に追いついたあたしがそう言うと、兄は「わかった」と言って、また一つ歩を進める。右足に力が入らないから、どうしても左足に頼った歩き方になってしまうけど、今の兄の歩き方には不思議と安定感があった。
「鮎は何を飲むつもりなんだ?」
「……まだ決めてない」
「そうか。なら、父さんの分は任せるぞ」
兄はあたしが何気なく言った台詞を受けて、速やかに役割分担を決めてしまう。理に適った判断だが、それだけに腹立たしい。
「今日はコーヒーじゃないんだ」
自分もコーヒーを飲むつもりなら、父の分と一緒に用意すれば良い。そうしなかったのは兄が他の飲み物を選んだから。違う? あたしは心の中でそう言い足して、唇の端を曲げた。
「……鰹のタタキには合わないだろう」
推理以前の問題だった! あたしは気恥ずかしさのあまりに首の辺りが熱くなるのを感じながら、どうにかこうにか「言われてみればそうかもね」と相づちを打つ。
「なので今日は素直に緑茶を飲むことにする」
「あたしはカプチーノにしよっかな。父さんのコーヒーのついでに注げるし」
「悪いな」
「悪くないし。好きだから。カプチーノ」
そう言ってから、ふと斜め後ろ頭の辺りに視線を感じて振り返ると、女性客があたしたちの方を見ていることに気がついた。
年恰好は兄と同じくらいか。ほっそりとした美人さんで、ハーフアップにまとめた明るめのブラウンヘアも、チェック柄のブラウスの上から羽織った薄手のカーディガンもよく似合っている。ただ、家族連れや学生のグループが目立つ店内にあって、四人がけのテーブル席に一人で座って険しい顔をしている姿には違和感があった。飲み物以外のものを頼んだ形跡もないし、誰かを待っているのだろうか?
などと考えていたら、美人さんとバッチリ目が合ってしまった。
先に視線を外したのは、美人さんの方だった。その瞬間、やけに慌てたような表情を浮かべていたのはどうしてだろう。ひょっとして、意識的にあたしたちの方を見ていたわけじゃなかったのだろうか。
「どうした?」
「ううん。何でもない。ソーサーはあたしが人数分用意するから、ウェットティッシュを頼んでも良い?」
「心得た」
意識的に見ていたかどうかはさておき、美人さんの瞳には、あたしたち兄妹はどのように映ったことだろう。足の不自由な兄と、兄に合わせてゆっくり歩く妹。賢い兄と、賢しげなことを言って対抗しようとする妹。あるいは、ごくごくまっとうに仲の良い兄と妹だと思われたのかも知れない。
――だとしたら居たたまれないな。
あたしは心の中で呟くと、かぶりを振ってコーヒーディスペンサーの列に並ぶのだった。
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