砂糖菓子のパラソルでは寄り添えない(9)

 一人生徒会室に残される恰好になった私は、先ほどまでのやり取りを振り返りながら、さてどうしたものかと頭を捻っていた。


 思わせぶりなことを言うだけ言って去っていった敷島君への不満がないと言えば嘘になるが、彼に助言を求めたのは私なのだから、それは飲み込むべき不満だった。それに、敷島君は何の意味もなくああいう態度を取るようなタイプではないという確信もあった。


 ――やはり、自分自身で答えを探すしかないのか。

 

 私はかぶりを振って腕時計に視線を落とす。時刻は十二時半を回ったところ。そう言えば昼ご飯がまだだった。購買部のパンはもうほとんど売り切れだろうし、島本パン屋に行っていたら、食べる時間がほとんどなくなってしまう。やむをえない。私は考えをまとめがてら、カロリーメイトの自動販売機が設置されている部室棟――なめくじ長屋へと向かうことにした。


 吹き曝しの廊下に人の気配はなかった。生徒の中にはなめくじ長屋で昼休みを過ごす者も少なくないが、さすがに寒いので部室に引っ込んでいるのだろう。


「……やっぱり私なんかじゃダメですか?」


 と、しかし、自動販売機のすぐ前まで来たところで、裏庭の方から女子の声が聞こえてきた。


「君なんか、とは思わないよ。好意を持ってくれてありがたい話さ。だけど、今の俺は君とは――いや、他の誰とも付き合う気はないんだ」


 続いて男子の声。これはひょっとしてひょっとしなくても、告白の真っ最中なのではないだろうか。困ったな。カロリーメイトを買ったら、排出音でこちらの存在に気づかれてしまう。そういうことはもう少し隅っこの方でやってくれれば良いものを。私はあれこれ考えた後で、ふと、男子の声に聞き覚えがあることに気が付いた。


「ごめんな」


 そうっと自動販売機の陰からのぞき込むと、はたして男子は正木先輩だった。女子は……確か手芸部の一年生だ。文化祭実行委員会の打ち合わせで何度か見たことがある。各部の担当者には二年生が選ばれることが多いので、珍しいなと思ったのを覚えている。


「いえ、私こそ受験を控えたこんな時期に困らせるようなことを言ってすみませんでした」


 殊勝なことを言う。しかし、語尾にくすん鼻をすする音を重ねるあたりはちょっとあざといのかも知れない。


「……ひとつだけ教えてくれませんか?」


 おっと。ここで食い下がるのか。私にはできないな、と思ってから気がついた。自分がまだろくろく話したこともない後輩に対してあまり良い感情を持っていないということに。


 何が気に食わないのだろう。あざといところか。厚かましさが透けて見えるところか。それとも受験生である正木さんの立場を尊重しないところか──。


「俺に答えられることなら」


「正木先輩は名取先輩と付き合っているんですか?」


 はっと息を呑みかけたところをなんとか堪えて、自動販売機の陰にへたり込む。なんてことを尋ねるんだ!


 問われた正木さんはしばらくの間黙りこくった後で「いや」と答えた。


「あいつと俺とはただの幼馴染、ただの元生徒会長と元副会長というだけで、それ以上でもそれ以下でもないよ」


 嘘ではないんだろうな、と私は思った。手芸部の一年生はきっと信じないだろうな、とも。


「ありがとうございました」


 案の定、彼女はひどく乾いた声でそう言い残して、自動販売機の横を通り過ぎていった。きっと、私がいることにも気づかなかったことだろう。


「もう隠れてなくて良いぞ」


 一方の正木さんは気づいていたらしく、少々気まずそうに言った。


「モテるんですね」


 スカートのお尻を叩きながら立ち上がって、つまらないことを言う。本当につまらないことを言うと思う。


「老松さんか。まずい場面を見られてしまったな」


 隠れていたのが私だということまでは予想していなかったらしく、正木さんはいっそう気まずそうに顔を歪めた。


「可愛い娘じゃないですか。袖にしちゃって本当によかったんですか?」


 言ってから、また、気づく。自分がひどく攻撃的になっていることに。その原因は、既にしてこの場からいなくなってしまった後輩ではないようだった。


「これから東都の大学を目指そうという人間が、後輩と付き合うわけにはいかないだろ。不誠実にもほどがある」


「遠距離恋愛になることなんて覚悟の上だったと思いますけどね」


「俺にその覚悟はないよ」


 その言い方に、私はむっとした。手芸部の一年生に同情するつもりはないが、それならそれで言ってやれることがあったはずだ。


「彼女、多分嘘をつかれたって思ってますよ」


「嘘? ああ、名取とのことか。困ったもんだな。事実、俺たちは付き合ってなんかいないのにな」


「──でも、好きではあるんですよね?」


 私の問いに答えるのに、正木さんはさっきよりも長い沈黙を必要としたようだった。


「ずっと前に名取に聞いたことがあるんだ。お前はそれだけ顔立ちが整ってて、頭も良くて、周りからも慕われてるんだから、恋人のひとりでも作ってみようと思ったことはないのかって」


「どんな答えが返ってきたんですか?」


 少しだけ声が掠れたのが、自分でもわかった。


「ない、と即答された。その意思も資格もないんだとさ」


「意思はともかく資格というのがよくわかりませんね」


「俺もだよ。ただ、生徒会長としてまあまあ比喩表現でなく東高に君臨していたあいつにも、あいつなりの屈折なり屈託なりがあったらしいということだけは理解できた」


 正木さんはふうとため息をついて、空を見上げた。


「とは言え、名取が一人でいるのはあいつがそう決めたからだ。そのことは動きようがない以上、あいつに寄り添う者なんて必要ないのさ」


「そうじゃなくって。私が聞いているのは」


 ──あなたの気持ちですよ。


 そう言いかけた私に、正木先輩は優しく微笑んだ。


「名取には寄り添う者は必要ない。でも、一緒に戦う者ならいても良い。いた方が良い。あいつはあれで上ばかり見ていて足元が疎かなところもあるしね。少なくとも生徒会ではそうだったし、ひょっとしたらこの先もあいつに友軍が必要な場面があるんじゃないかと案外本気で信じていたりもする。だから──」


 ──俺は名取にとって恃むに足る存在でありたいと思う。


 さらりと言って、正木先輩は笑う。昨日見たのと同じ、誇りに満ちた晴れやかな笑顔だった。


 私は気づく。正木先輩が私に一つだけ嘘をついたことに。そしてまた、辿り着く。昨日から頭を悩ませている謎の答えに。

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