砂糖菓子のパラソルでは寄り添えない(3)

 誰かが生徒会室のドアをノックした。どうぞ、と言うとすぐにドアが開き、背の高い男が姿を現した。


「おーす、失礼するぜー」


 よく知っている顔だ。私はこほんと空咳をひとつして「正木まさきさんじゃないですか。どうかしたんですか?」と尋ねる。


「あれ? 今日はまだ老松さんしか来ていないの?」


 先代の副会長――正木まなぶは、坊主頭をざりざりと撫でながら不思議そうに言った。お寺の長男ということで小さいころからずっとこの頭なのだそうだけど、高校三年生の彼は背丈も肩幅も胴回りも何もかもが大きくできているため、運慶の金剛力士像のような貫禄がある。まぁ、中身は外見に比べてずっと軽薄なので、怖いと思ったことはないけれど。


「おあいにく様。今日はずっと私一人だと思いますよ」


 言ってから、おあいにく様というのは嫌な言い方だったなと後悔する。つい余計な一言を言って、相手を不快がらせてしまいがちなのは、私の昔からの欠点だった。


「そうか、そいつは残念」


 私は後悔したことを心の中で撤回しつつ、冷ややかな視線を正木さんに向ける。


「あ、いや。その、老松さんだけしかいないことが残念ってわけじゃないんだよ」


 彼はわたわたと言い訳しながら背負っていた革袋風のリュックを机の上に置き、中から大きな紙袋を取り出した。


「何ですか、それ?」


 正木さんは答える代わりに紙袋をひっくり返し、中身を机の上にざらっと開けた。


 人差し指ほどの円錐型が五十個ほど。赤、青、黄、緑と色とりどりの包装紙で包まれていて、底からフック状の持ち手が伸びている。どうやらパラソル型の菓子のようだ。


「先週うちの本堂で絵本読み聞かせ会ってのをやったんだけどさ。この通り用意したお菓子がかなり余ってしまってさ。可愛い後輩におすそ分けしようと思って持ってきたんだよ」


「そうだったんですね。ちなみに中身はチョコレートですか?」


「ううん、キャンディーだよ」


 そうなんだ。チョコレートならベロを出した少女のキャラクターで有名な製菓メーカーのものを食べたことがあるのだけれど、キャンディーは初めてみた。うん。確かにこれだけの量のキャンディーを一人で食べるのは大変そうだ。二人でもきついと思う。私ひとりで残念というのはそういうことか。


「わざわざありがとうございます。そういうことならが来るまで預かっておきますよ」


 私が取り澄ました顔でそう言うと、正木さんは意外そうに首を傾げた。


「あれ? 老松さんは甘いものはダメなんだっけ?」


「そんなことはないですけど?」

 

 むしろ大好きだし、正木さんもそのことは知っているはずだ。多分。


「なら良かった」


 正木さんはいたずらっぽく笑うと、ぐっと親指を立てる。


「今日の内に食べられるだけ食べちまおうぜ。俺も手伝うからさ」


「はいはい。じゃあ、何か飲んできますか?」


「サンキュー。でも会長をアゴで使うのは気が引けるから自分でやるよ」


 言うなり正木さんは部屋の隅へと向かい、何代も前の生徒会長が持ち込んだというコーヒーメーカの電源を入れる。てきぱきした動作で豆とタンクの水をセットし、紙コップを用意する。


「老松さんも飲むでしょ?」


 虚を突かれて、思わず声を出さずにうなずくだけの返事をしてしまった。正木さんは基本的にアバウトでガサツで時間にルーズなのだけど、私にだけは妙な遠慮と気遣いがある。それが大変うざく、そして、時折心の隙間に突き刺さるのだ。


「……キャンディーに合いますかね、コーヒーって」


「あまりあまり合わなそうだ」


 ほどなくのこと、両手に紙コップを持った正木さんが、良い匂いを漂わせながら、こちらへと戻ってきた。うん。この香りはチョコレートにこそふさわしい。


「淹れてもらっておいてなんですけど、受験勉強は大丈夫なんですか?」


「あまりあまり大丈夫じゃない。少々目標を大きく持ち過ぎた」


「県大でしたっけ?」


 聞いてから、ちょっとデリカシーのない質問だったと反省するが、当の本人はあっけらかんとした表情。


「前に言ったことあったっけ? 実はもうちょっと偏差値のお高いところを狙うことにしたんだ」


 どこなんだろう? と今度は声に出さなかったのだが、正木さんは東都とうとにある理工系に強い国立大学の名前を口にした。好きなバイクメーカーと共同研究しているゼミがあるということも。


「幸い親父も俺に後を継がせようとは思ってないみたいだし、どうせなら興味のあることに挑戦してみようと思ってさ」


 顔も体も何もかもがいかついくせして、照れ笑いの表情は案外とかわいらしい。そして、無性に腹が立つということを、私は知っている。


「……だったらこんなところで油売ってないで勉強してくださいよ」


「まぁまぁ。これでも頑張ってはいるんだって。放課後は図書室。五時以降は塾の自習室が開くからそっちに行って、七時から講義。いい加減脳みそが茹ってくる。ちょっとくらい息抜きしたって罰は当たらないさ」


「ま、私の人生じゃありませんから好きにして良いですけど、くれぐれも後悔だけはしないようにしてくださいよね」


「おう、任せとけ。そこだけは大丈夫だ」


「結果も大丈夫な方が良いんですけど」


 それから私たちはコーヒーを飲む間、取るに足らない世間話をした。東高の近くの路地に出るという幽霊のこと。キャンディーとコーヒーの食い合わせのこと。それから最近の生徒会のこと……。話すのはもっぱら私の方で、正木さんはほとんど聞き役に徹していた。元来話好きな人だけど、聞き上手でもあるんだなと、柔らかな相槌の仕草を見て、思ったりもした。


「おっと、もう四時半か」


「今日も塾ですか?」


「おう。島本パン屋シマパンの裏の五十海ゼミナールだ」


 学校のすぐ近所の塾だ。でも、正木さんのことだから、島本パン屋で買い食いなり夜食の補充なりをしていくつもりなのかもしれない。


「すみません、つい話し込んでしまって」


「気にしない気にしない。俺も久々に老松さんの顔が見られてよかったよ。仲ちゃんたちにもよろしくね」


 正木さんは立ち上がって紙コップを処分すると、リュックを背負った。と思ったら、再びリュックをテーブルの上に戻して思い出したように「そうだ」と呟いた。


「何か?」


「あ、いや。実はこの雨なのに傘を忘れてしまってさ。処分してなければそこの鉄庫に俺の置き傘が入ってると思うんだけど、見ても良いかな?」


「どうぞ」


 置き傘とは言うけれど、今日の今日まで存在を忘れていたんじゃないだろうか。まぁ、先人の置き土産を片づけずにいつまでも放置している私たちも私たちだけど。


「おっしゃ、あった!」


 しばらく鉄庫の中を漁った後で、正木さんは快哉を叫んだ。しかし、その手に握られているのは小さな折り畳み傘。正木さんの巨体をカバーすることなど到底できそうにない。


「使ってない傘がたくさんありますよ。良かったらそっちを借りていってください」


「良いって。俺はもう部外者だから。それじゃ、コーヒーご馳走様。老松さんも今日のところは早く帰りなよ」


 それから正木さんは振り返ることなく、生徒会室を出て行った。

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