変人姫君と虚弱叔父Ⅱ(野の涯ての王国、スピンオフその4)

 アンスヘルムは滝のような汗をかいていた。

「姫様ー! ペトラ様ー!」

 外でペトラを探し回るのは、侍女や侍従たち。

「ひ、姫様、こんなことはおよしになったほうが……!」

「しいっ、黙れ、見つかる!」

 王女の手が騎士の口をふさぎ、ぐいぐいと自分のからだを彼に押しつける。アンスヘルムはペトラに押し倒されたような格好になり、進退窮しんたいきわまった。

 ふたりがいるのは衣装部屋の奥の、からだったながびつ。小柄なペトラはまだしも、ここ二、三年でぐんと背が伸び、鍛え上げた自分のからだはかさばる。自然、密着した格好になる。

 蓋は透かし彫りになっていて、外の光が入るため、ペトラのはしばみ色の瞳が間近によく見えた。いまになって初めて知ったが、彼女の瞳には、砂金を撒いたような金色の点があった。

 ――すごく綺麗だ。

 数瞬、アンスヘルムはぽかんと彼女を見つめた。

「……アンスヘルム?」

 手を外し、ペトラが怪訝な顔で彼を見る。

「どうした、ぼんやりして。みなはもう行ったようだ。しばらくは安全そうだぞ」

「……はあ。姫様の目が、とても綺麗だと思って、ぼんやりしてしまいました」

「なんだそれは!」

 ペトラはかっと目を見ひらくと、怒鳴るように叫んだ。

「えっ、あっ、お気に障りましたか……? 申し訳ございませぬ」

 暗がりのなかでも、彼女の頬が赤くなっているのがわかる。

「うぬう! そうではない!」

 ペトラは低く唸ると、ぱっと顔をそむけた。

「とにかく!」

「……はあ」

「きょう一日をどうやり過ごすかが問題だ。この際、なんとしてでも逃げ切るぞ!」

 なぜ近侍の者たちから、ふたりが逃げる羽目になったのか。

「あの風磐国の第三王子……解せぬ」

「ロルダン様ですね」

 ペトラは両手を顔の前に持って行くと、それをそのまま震わせた。

「わたしに――踊れだの、歌えだの、わたしは踊り子でも歌手でもないぞ!」

「いや、宴の場ですし、姫様の技芸をご覧になりたかったのでは」

「わたしは!! 踊りも歌も嫌いだ!!」

「……はあ、それは、そうですが」

「それに、あれを食えこれを飲めと……わたしは!! 自分の好きなときに!! 好きなものを!! 食べる!!」

「……ええと、姫様と親睦を深めたかったのでは」

「気の進まぬことをさせると親睦というやつは深まるのか?!」

 眉間に深い皺を寄せたままペトラはアンスヘルムを振り返った。

「……それは」

 あからさまにペトラが嫌そうにしていたので、さすがに社交ごとに疎いアンスヘルムも気づいたのだ。彼女は、風磐国から野涯国宮廷に一時預けられている、同い年の第三王子のことが、心底苦手なのだと。

 アンスヘルムは、ペトラを追いかけ回している王子の目を盗んで、ペトラを大広間の宴から連れ出した。すこし外の空気を吸いに出る振りでもすれば、気休めになるのではないかと考えたのだ。

 しかし、ペトラがいないことに気づいた王子が、彼女を探せと騒ぎ始めた。そのため、ペトラはアンスヘルムの手を引っ張って逃げ出したのだ。

 ちなみに、虚弱叔父エッカルトは風邪を引き込んで寝込んでいる。

「ロルダン様は……その、あまり他人のこころをはかることがお得意ではないのかもしれませ」

「わたしがなんだってー?」

 がたん、と音を立てて長櫃の蓋が開いた。

「ひっ」

 ペトラがのけぞって見上げた先には、件のロルダン王子がいた。金茶色の巻き毛、緑の目、男性にしては小柄な部類だが、日焼けした筋肉質の体躯には威圧感がある、とペトラに思われても仕方ないだろう、とアンスヘルムは思う。

「なんで騎士とふたりっきりでそんなところにいるんです、ペトラ?」

 ペトラは顔の前に持ってきていた両手指をびらびらと動かしながらうめいた。

「ぬぬぬ、風磐の! 貴様から逃げてきたんだ! 貴様は不愉快だ!」

 ぴゅっとペトラはアンスヘルムにしがみついた。

「アンスヘルム、こいつを追い払え!」

 ロルダンはペトラのことばにあっけにとられている。アンスヘルムは困惑した。

「はあ、それは無理です、姫様」

 言いながら、ペトラを後ろにかばうようにして立ち上がる。

「何分身分が違うからなあ」

 ロルダンは顎を撫でながらしたり顔で言った。

「きみがわたしを追い払えば、うちと野涯国で諍いが起きるかもな」

「むううう! 貴様! やなやつだな!!」

 ペトラがアンスヘルムの陰に隠れながら叫ぶ。風磐国王子はからからと笑った。

「ほんとにあなたは面白いですねえ、ペトラ」

 身を乗り出すと、ペトラに顔を近づける。

「賭けをしませんか。わたしが勝ったら、一日わたしと遠乗りしましょう」

「死んでもいやだ!!」

「まあそう言わず。あなたが勝ったら、もう二度とあなたには話しかけません。この国に滞在中はずっと」

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