変人姫君と虚弱叔父Ⅰ(野の涯ての王国、スピンオフその4)

 ペトラの虚弱な叔父エッカルトは、三七歳独身。僧職を捨てたはずが修道院にたびたび出入りし、宮廷ではいるのかいないのかよくわからない存在だったが、

「叔父上ッ!!」

 常ならぬ大声で彼のもとに駆け付けるほど、ペトラは彼を慕っていた。

「申し訳ありません!! お借りしたご本の四二ページの九行目の五文字目と六文字目を、雨で濡らしてしまいました……!!」

「……ペトラ?」

 寝台に臥せっていたエッカルトは、低くかすれた声でうなるように答えた。

「はい、叔父上」

「わたしの寝室に軽率に来るなと言ったはずだが。そなたももう十七歳、来る場合は侍女か護衛を……」

「護衛なら連れてきました!」

「はあ、これに」

 伴われたアンスヘルムが言い添える。

 ごっぼごほと咳き込みながらエッカルトは上半身を起こし、胡乱げなまなざしでアンスヘルムを見る。痩せ形の長身で、髪は一つにまとめ、三つ編みにして下げている。

「そなたは……」

「ヘングストの小アンスヘルムです、叔父上」

 途端、エッカルトは眉を跳ね上げる。

「……ほう。ヘングストの」

 じっと見つめられて、アンスヘルムはなぜか冷や汗が浮かんだ。

「……はい……! 三ヶ月前より、姫様の近衛を仰せつかりました!」

「ふうん?」

 物静かな印象のつよいエッカルトに関しては意外なことに、彼はぞんざいに目を動かして見せた。

「だれの命だ? おおかたヨアヒムだな」

「えっ」

 アンスヘルムはうろたえた。

「勅令を頂きましたが」

「莫迦者! 勅令は姉上一人で発令されるものではない! だれかの意見を汲んで決まったのだろう」

「はあ。そういうものですか」

 エッカルトは鼻で笑った。

「自分の辞令くらい、裏を読んだらどうだ、騎士殿」

 アンスヘルムはよくわからなかったが、若干むっとした。

「……考えたこともございませんで」

「父上がアンスヘルムの人事を指示したのでしょうか?」

 きょとんとしたペトラに、エッカルトは視線を和らげて答えた。

「王家のうちうちのことを、実質いま一番把握しているのはヨアヒムだからな」

「……そうですか」

 ペトラはしばらく考えるそぶりを見せ、そののちくふふと笑った。

「……なんだペトラ、なにか面白いか?」

「いえ、父上に、礼を言わねばと思いまして」

「はあ? なにゆえだ」

「アンスヘルムは親切な騎士です。たくさん助けられました」

 アンスヘルムはどっと顔に熱が上るのを感じた。

 一方でエッカルトは思い切り顔をしかめた。

「……ペトラ、この叔父の言うことはよく聞くものだが」

「はい」

 ペトラは素直にエッカルトを見返す。

「この若造がそなたに親切なのは、そなたが王女だからだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「はあ。そうだと思いますが。ほかになにがありますか?」

 ペトラは首をかしげる。

「それを理解しているのならばよい!」

 エッカルトは一瞬アンスヘルムのほうを向いてにたりと笑い、それからペトラに振り返って泰然と付け加えた。

「これまでのように、よく本を読んで勉強するように」

「はい、叔父上! あの、ご本のことは……」

「ほんの数文字ゆがんだことなど気にするな。では下がれ。わたしは寝たい」

「……はい、叔父上。……またお話いたしましょう?」

「うむ」

 そうして、ペトラはエッカルトの部屋を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る