第3-3話 そーゆーとこでござるよ?

「ただいま帰りましたーっと」


 透香と美華が二人で夕飯をしている頃、一人帰路についた常彦はバイト上がりの緩やかな疲労感と共に、家へと帰ってきた。適度な疲れは心地の良い空腹感に繋がり、廊下の奥から漂う晩御飯の匂いがその空腹感を助長する。いつものことながら疲れた後のご飯は最高だ、空腹は最高の調味料とはよくいったものである。


「あら、おかえりなさい。晩御飯もうすぐ出来るわよー」

「あっ、おかえりなさーい。つねひこー、お邪魔してるよー」

「うん、ただい…ま"ッ?!」


 玄関から廊下を進み、食卓に目を向ければ当然のように樹が居た。びっくりするだろ、ふざけるな。


「お、おまっ…何しに来たんだ?」

「んー?買い物終わって家に戻ったらさ、宅配の箱にウチの親から荷物が届いてたから、それのお裾分けに来ただけだよー」

「そうそう、お菓子とかお酒とかマーマイトとか色々貰っちゃったのよ、あの二人にはいつも感謝しっぱなしね。そこにもらったお菓子開けてあるから食べていいわよ?」


 そう言って常彦の母はテーブルの上を指差す。木皿の中に袋に小分けされた様々な焼き菓子が盛られており、椅子に座っている樹の前にある空いた袋が、既に幾つか食べたことを物語っている。


「折角お土産物持ってきてくれたわけだし、お礼に樹ちゃんに晩御飯食べてってもらおうと思ってね、だからそこで待っててもらってるの」

「くひひ、ごちそうになりまーす」

「おい、それなら何のためにウチの店来たんだよ、あそこで買ったお弁当はどうした?」

「んー?冷蔵庫にあるよー?おばさんのご飯の方がおいしいから今回はおやすみしてもらってるー」

「あらら、嬉しいこと言ってくれるわねぇ」


 強く出ることが出来ない相手に挟まれて常彦は諦めの境地へと至った。



「……ところで樹ちゃん、さっきからずっと気になってたんだけど…その目と髪どうしたの?」


 食事の最中、常彦の母が心配を声に滲ませながら樹に尋ねた。

 樹の姿は彼女が異形と化したことに伴い以前から大きく変わり果てている。

 瞳の色が変わっただけの右目はカラーコンタクトをつけることで誤魔化しを効かせているが、瞳の数が三つに増え白眼の部分が真っ黒に染まった左目は眼帯で隠すくらいしか誤魔化す手段がない。

 真っ白に染まった髪に至っては染めても染めても色がずるずると蠢き毛先にのみ集約され、黒染めが全く意味をなさなかったので真っ白なままである。

 昼間は寸でのところで話が途切れて事なきを得たが、ここでは逃げ場がない。

内心で焦る常彦をよそに、樹は平然と答えた。


「あぁ、これですか?髪染めてみようと思って挑戦したら失敗して、汁がかかって片目潰れちゃったんですよね」

「ブッハッッ!!」

「えぇっ?!大丈夫なの?それ!?病院とかキチンと行った!?」

「はい、大丈夫ですよ。運が良かったみたいです、くひひひっ」

「運が良かったって…大怪我じゃない!えーっと、ふた…お父さんとお母さんに連絡はしたの?」

「別に大丈夫ですよぉ、遠からずなので」

「そ、そうなの?なら良いのだけれど……ごめんなさいね?樹ちゃんが中学生の頃を思い出して少し心配になって……」

「くひひひひっ、まぁ、あの頃は私もボッチで怪我が多くても仕方ない部分も、ありましたしね~」

「……仕方なくは、ないだろ」


 『いじめられていた』という過去をまるでただの思い出のように語る樹の言葉を聞き、常彦は苛立ちを隠さずぼそりと言葉を溢す。

 あの時の事を思い出すと今でも腹が立つ。ただの少女に対し行われた多人数からの悪辣な行為、それをただ受け入れた被害者、そしてその被害者に誰よりも近くに居たはずなのにあの時まで何も出来なかった外様の自分。

 あの時、現場に居合わせた時の感情を常彦は決して忘れることはないだろう。


「……くひひひっ」

「何がおかしいよ?」

「いやー?べっつにー?どっかの誰かのお陰で今は楽しくやれてるなーって思っただけだぁよ」

「…そうかよ」

「あらあら、いい雰囲気ねぇ。これは早いうちに孫に会えちゃうかしら?」

「くひゃはっ、何なら今から仕込んできますよぉ!つねひこ!ご飯終わったら私の部屋来よう!」

「あらぁ〜」

「おっ、おまっ!何言ってんだよ馬鹿野郎!!!母さんも止めろや!!仮にも保護者だろアンタ!!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


「それじゃあ、お邪魔しました〜」

「そう?泊まっていっても良いのに~」

「ありがとうございます、でも洗い物とか残してるんで……あっ!でも、泊まりたくなったらつねひこの部屋の窓から勝手に上がり込みますんで!お気遣いなく!」

「そういうこと言うの怖いから本当にやめろよ!?」


 そういうと樹はぴょんぴょんと数度跳ね自分の家へと戻っていった。樹が居なくなり少し静かになった部屋で常彦の母は嬉しそうに常彦に話しかける。


「ふふふっ でもビックリしたわ、樹ちゃんあなたに告白したんですってね?さっきアンタが帰ってくる前に樹から聞いたの。返事はどうするの?はい?yes?」

「肯定しかないじゃん…。まぁでも…多分、これだけ外堀も埋められてるしそうなるのかな……」

「あら、意外。てっきり強がって嫌だーとか言うかと思ってたけど」

「……変な奴だけどさ、母さんの言う通り小さい頃から樹が良い奴なのは知ってるし、かわいいのもわかってるんだよ。実際同年代であんな美少女見たことない、でもなぁ…」


 常彦が煮え切らない理由は二つある。一つ目は常彦から見て彼女が恋愛対象に見えないということ。しかし、これに関しては彼女からの突然の告白に加え、もっとヤバい不意打ちにより、決して崩れない筈の城壁にはヒビが入ってしまった。そして、一週間前に起こった「樹、勝手に外出先事件」の終わり際に見せた彼女の満面の笑顔を見て以来、価値観の城壁がボロボロと崩れていっているのだ。その後も、吹っ切れた彼女による度重なるアピールによってそのヒビは少しずつ広げられている。今は照れをごまかす為にやや突き放したような態度をとっているつもりだが、この問題が解決するのは時間の問題だろう。

 そしてもうひとつの理由は……


「…なんか怖いんだよ、こう、なんか、友達とか幼馴染から別の関係になるのって」

「ふぅーん……まぁ、あなた達くらい仲良しならくっついたとしても、そうでなくても、今まで通りに過ごせると思うけどね」


 うじうじと悩む常彦を常彦の母はバッサリと切り捨てた。


「…そうかな?」

「十数年あなた達を見てきた経験と勘よ。でもあんまり待たせてあげないでね、時間が経ちすぎるともーっと踏ん切りつけられなくなるからね。」

「努力します……」




 母からの激励を受け、自室に戻った常彦はベッドに横になり、目を閉じて悔しそうに呟く。


「なんでこうヘタレなのかねぇ…そういうとこだぞ俺……」


 多分答えは決まっている。後は少しの勇気だけ。


 思い悩む少年のこの呟きを聞いたのは部屋に潜り込んだ一匹の虫だけだった。




 ……筈なのだ、が。

 

「ほぁぁあああっ/////」


 少年が慣れない悩みを抱え悶々とするなか、窓越しに彼の向かいの部屋に住まう人外少女は何やら一人で気持ち悪い叫びをあげていた。


「く、くふふふふっ……。満更でもない感じなんだぁ!」


 少女は爛々と輝く目をハートでも浮かべたかのようにうっとりと微笑む。


「いやー、今朝あの子達と感覚が共有出来るって良かったー!一日かけてつねひこが行きそうな所に『虫』を仕込んで回った成果がもう出るなんて!」


 己の分体を町中に撒き散らし、常彦の行動範囲一帯を丸ごと知覚出来るようにした彼女エクストリームストーカーはより一層笑みを深くすると、再び虫達から送られてくる情報に意識を戻す。


「くふふっ、夏休み明けにおおっぴらにイチャイチャするの楽しみだなぁ…」

 

 徐々に本来の機能を思い出してゆく異形の身をフル活用して、恋にはげむ少女の明日はどっちだ。

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