第1-2話 地続きどころか徒歩圏内だったりもする

 RPGなどをやっているとダンジョン内であからさまに空いた空間や、物々しい雰囲気の割に敵が全く出てこない部屋があったりすることがある。

 そのような部屋には強敵が潜んでいることが多く、ゲームに慣れた者ならそういう空間に対してなんとなくを感じることもあるだろう。

 そのにおいは激闘の予感、強敵への期待、圧倒的な絶望、あるいは未知の恐怖か。彼は今まさにそれに近い感覚を味わっていた。


 万定 常彦は自宅の数歩手前にある一軒家、すなわち樹の住まう家の前に到着していた。

 様子のおかしい幼馴染、深夜の会瀬、バイト上がりのだるい体、未だ明かされぬ話の内容、これから何が起こるかわからないのは否応無しに恐怖を煽るが、引き受けてしまったからには後戻りは出来ない。常彦は扉の前で軽く呼吸を整え、緊張を落ち着かせた。


「家の前に着いたぞ、鍵あけてくれ」


 真夜中に大きな音を鳴らさないようにSNSを介して樹に解錠を求める、妙なところで気を使うのは常彦の十八番だ。


 少しの間、待っていても鍵が空いた音がならないので常彦が不思議に思っていると、樹からSNSに返信が届いていた。


『鍵なら空いてる、上がって私の部屋にカモン』


 樹の親御さんは発掘作業があるとのことで数日前から家を留守にしているらしく、今この家に居るのは樹ただ一人だ。花の女子高生が一人で自宅に鍵もかけず,

 深夜に人を呼ぶなど正気の沙汰ではないだろう。「このご時世になんと不用心な」そう独り言を呟きつつ常彦は扉に手を掛け、中に入る。


「お邪魔しまーす…」


 小声でそう言いながら靴を脱ぎ、樹の部屋のある二階への階段に向かう。玄関には樹が愛用している洒落っ気の無いスニーカーと通学用のローファーのみが置いてあり、自分以外の来客が無いことを示していた。



 琴種家には小さい頃から何度か来たことがあるので部屋の中はよく見なれた景色である。


 だが、なぜか違和感を感じる。部屋や廊下の内装などに変わっている様子は一切見受けられないが、まるで何かに睨めつけられたかのように威圧感が伝わって来るのだ。それは樹の部屋に近づけば近づくほどに増してゆくのがわかった。


「覚悟してね。って言ってたけど…どういうことだよ…?」


 家に入り、樹の部屋の扉の前に辿り着くほんの僅かな時間、常彦は緊張で手に汗を握っていた、何の話をされるのかわからないと言っても、同年代の友人が相手であれば汗をかくほどの緊張など普通はしないだろう。常彦は得体の知れない恐怖を味わいつつも樹の部屋の扉に手を掛け、一思いに開く。


「あぁ、いらっしゃい、つねひこ。」


 常彦は先ほどから感じていた恐怖の正体を理解し、驚愕した。


 扉を開けた先には樹が居た、いつものように涼しげな部屋着を着て、悪戯っぽく微笑みながらこちらを歓迎してくれている。しかしその姿は常彦が知っている樹とは明らかに異なっていた。

 その美しい顔立ちや、大まかなシルットこそ変わっていないが、彼女を構成するパーツは全く別のモノに変わり果てていた。


「い…つき……だよな…?」

「話したいことっていうのはこの体のことでね〜」


 一番最初に目につくのは髪の毛だ、綺麗な黒髪のほとんどは色素が抜け落ちたかのような白に染まっているが、色の残る毛先は抜け落ちた黒が一点に集まったような毒々しい黒紫となっていた。


 以前の髪と同じ色だった綺麗な黒い瞳は鈍い金色の瞳となっており、人間のそれとは全く違うそれは獲物を狙う爬虫類の眼ように思わせた。右目は瞳の色が変わっただけだったが、左目はそれだけの変化にとどまらず、白目の部分が黒く染まり、その中で三つに増えた金色の瞳がギョロギョロと蠢いている。


 右腕は二の腕から先が五つに分かれ、蛸の足のような触手状に変化してしまい、とても人間の前肢としての機能が残っているようには見えない。


 そして現在、服で隠れて見えないところを除けば、肩から指先までを含めた左腕の変化が最も衝撃的であった。かろうじて腕の形を残す『ソレ』は生き物ように脈動しており、時折、鋭く不揃いな牙の生えた口や、意思の感じられない金色の瞳が表面上に現れては蠢き、肉の中に沈んでいった。それはまるで地球上に存在しない怪物を無理やり腕の形に形成して人間に取り付けたような悍ましい代物だった。


 他に目につく変化は全身を縫い目のような傷跡がはしっていることくらいだろうか。なまじ人間のシルエットが残っているのが一層気味の悪さを引き立てたが、その姿は何故か奇妙な美しさを感じさせた。


 そこに居るのは紛れもない『異形の怪物』だった。


「やっぱり、驚くよね…?」

「あ、ぁわ、ははっ…」

「こんなんだと人前にも出られないし…」


 その、あまりに常識から外れた光景はバイトの疲れで消耗しきっていた常彦の心と体を解離させるのには十分すぎた。


「きゅぅ……」


 常彦はひとしきり動揺した後、まるで驚いたハムスターのような可愛らしい悲鳴とともに力を失い、頭からバタンと倒れてしまった。


「う、うわーっ!! つねひこーーーッ!!!」


 それを見て、常彦を失神させた当の本人可愛い樹ちゃんは先の彼と同じようにひどく動揺し、慌てふためいていた。


「どっどどどどどうしよう、まっまさ、マサカ気絶してしま、しまうなんて……」


 消えかかる意識が完全に途切れる寸前、樹の言葉が耳に届いた常彦は、残る意識を振り絞り、心の中で高らかに叫んだ。


(あんなモンいきなり見せられたら気も失うわーッ!!)


 ボス部屋に待ち構える幼馴染からトラウマ級の初見殺しを食らった彼はそのまま力尽き、安らかに、そして深い眠りに落ちた。

「えっと、そう! おばさんに連絡! つねひこがウチにお泊まりするって連絡!話は明日じっくり聞いてもらおう!良し!」


     

    ………幸か不幸か、常彦は明日のバイトのシフトを入れていなかった。



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