嵐を貫く遠吠え
「さて、前座も楽しんでいただけたことですし、はじめましょうか…罪と呪いの清算を…」
鴉頭の男がしわがれた老人のような声でそういいながら両手を広げると、その両手には暗く青い光が灯る。
鴉頭の男の足元から照らされた光と同じ色の人影が現れたかと思うと、それは私の見知った姿へと変わっていく。
少し癖の強い真っ黒の髪、そして整った顔立ち、マントを羽織り鉄の鎧に身を包んだ姿…それは私の兄様だった。
記憶の中では父のように力強い光を放っていた目だけは、その光を失っていてドロドロとした怒りとも執着とも謂えないものが渦巻いているように見えた。
「お兄様…」
姿形は違えども、惨たらしいぐらい中身が違ってしまった兄様の姿に思わず言葉を失ってしまう。
兄は、駆け寄ろうとして二、三歩走りより、足を止めた私の方を、その光のなくなった瞳で捕らえると、手から伸ばしてきた黒い蔦のようなものを伸ばしてきた。それが髪の毛の塊であることに気がつき、私は恐怖で身がすくむ。
アレは私が慕っていた兄様とは別物だと頭のどこかでもう一人の私が叫んでいる気がしたけれど、私の足は動けず、浄化の炎を兄の姿をしたソレに向けることも出来ない。
もう私の体を髪の束が拘束しそうだというとき、パッと人影が割り込んできてその黒い邪悪なものは一瞬で焼ききられた。
「義兄上、貴方の目的はそちらではないでしょう」
アウルム様はそういって私の肩を抱くと剣を兄様に向けた。
兄様は表情を変えず、相変わらずドロドロとした感情の詰まった目でアウルム様を捉えると、無言のまま彼の方へとあの髪の毛の束を伸ばし始めた。
アウルム様は私の肩を離し、避けるどころか、その不気味な髪の毛の塊に向かってゆっくりと歩を進めていく。
毛の塊が彼を締め上げるのを見て悲鳴を上げ思わず浄化の炎を放とうと構えると、そっと手を誰かの手が抑えた。
手の主であるヘマムを振り払い尚もアウルム様に絡みつく髪の毛を焼き払おうとすると、毛に全てを呑まれそうなアウルム様が私を見て微笑んでいることに気がつく。
「これがあんたに全てを捧げたアウルムの運命だ。
私に清算をとめる権利はない」
ヘマムの声に私は思わず泣き崩れる。
私が愛してしまったばかりに、私の愛する人は命を捧げてしまうなんて…。
こんな思いをするくらいならずっと山猫のままでよかった。人の心なんていらなかった…。
頭ではわかっていたけれど、本当にアウルム様が自分から生贄になるとはおもわなくて、ヘマムがなんとかしてくれると心のどこかで思っていた自分の甘さに腹がたった。
あの時どんなことをしてでも、彼を傷つけてでも城の外に追い出してしまうべきだったんだと後悔ばかりが襲ってくる。
全身が髪の毛に包まれたアウルム様はそのまま兄様のところまで引きずられていくと、そのまま烏頭の男の目の前に掲げられた。
烏頭の男は銅のランプを掲げこういった。
烏頭の頭上に掲げられた髪の毛の塊となったアウルム様は、その言葉と同時に塊の内側から発せられたであろう青い炎で焼かれ始める。
「王女エルリリーナの愛する人間の命を此処に清算として受け取る」
烏頭のその言葉を聞いて、思わず駆け出しそうになる私をヘマムは後ろから抱きしめて止めてくれた。
「
それなら胸を張ってみていてやりな」
ヘマムは、顔を覆っている私の耳元でそう囁いた。
信じろと言われても…彼はあそこで私のために死んでしまってるじゃないと叫びだしそうになるが、ヘマムの目に悲壮さが微塵も宿っていないことに気がつき言葉を飲み込むと、彼女はさらに言葉を続ける。口の端を持ち上げてとても楽しい出来事があるかのように…。
「ヒトの子としてのあいつの最期を…ね」
私は、そういって彼女が指を刺す青い炎の先を見つめた。
炎は相変わらず燃え続けている。彼を包んでいる髪の毛の塊が焼け焦げてボロボロと崩れだし、中からは居たたまれない姿となった彼が見える…と思い目を背けようとしたそのとき、異変に気がついた。
その異変は私だけにとっての異変ではないようで、烏頭の男も怪訝な表情を浮かべている。
アウルム様がいたはずの部分が突然燃えながら膨れ上がったかと思うと、毛の塊がボロボロと崩れ落ち、崩れた毛の塊の中からなにかが床に落ちた。
それは、焼け焦げた人の姿をしたものではなく白銀の毛皮を纏った何かだった。
しかもその何かは、最初に飲み込まれたアウルム様よりもかなり大きく感じる。
鴉頭の男に命じられ、兄様の姿をしたソレが毛皮に近付くと、白銀の毛皮を纏った獣は動き出し、兄様の頭をその巨大な口で噛み砕いた。
ゆっくりと起き上がった兄様の頭を噛み砕いたそれは子牛ほどの大きさもある狼だった。
勝利の遠吠えをすると、立ち込めていた暗雲は晴れ雨も止み、狼の白銀の毛皮は火の光と青い炎を纏わせてうっすらと輝いていて神々しさすら感じるほど美しい。
私はふと、アウルム様の足にあった狼の尾のような痣を思い出す。
慌てて狼の足を見ると、同じ場所にまるで毛の模様のようにまったく同じ模様が刻まれている。
「アウルム様!」
気がついたときには私は彼の名を呼びながら駆け出していた。
なぜなんてことを考える暇なんてなく、ただ、彼が死んでいなかったことが嬉しくて駆け出して、その銀色の毛皮に頬を擦り付ける。
アウルム様はそんな私に優しく鼻を擦り付けると人の姿の頃と変わらない青い瞳で私を優しく見つめ返した。
「この先もずっと…あなたと生きていきたいと言ってくれただろう?
僕はその願いを全力で守る」
そういってアウルム様は頭を低くして唸りながら、烏頭の男の方へと向き直った。
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