戦女神の標

 どうやら火の手が回っているのは城の一部だけでまだこの別棟までは火は届いていないようだった。

 それにしてもなぜ今この城がこんな人間の戦みたいなことをされているのだろう…。僕はかつて親から聞いた戦の話を思い出していたが、それもすぐにどこからか聞こえてきたヘマムの声によって現実に引き戻される。


「どうやら、あんたの兄さんはこの城を現界…つまりヒトの世に顕現させてヒトの子にアウルムを討たせようってことらしいよ」


 どこから声がするのかと見回すと、窓から炎の翼をはためかせてヘマムが飛び込んできた。

 ヘマムは炎の翼を消し去ると、体には炎を纏わせたまま腰を下ろす。不思議なことに彼女の炎は何も燃やすことなく静かに妖しく揺らめいていた。

 彼女にとって人間など取るに足らないといったところなのだろうか、ヘマムはゆっくりと余裕を浮かべた表情でパイプの煙を燻らせながら言った。


「大切なものの命を失ったとき、選択のときは訪れる…。あんたもアウルムもわかってるだろ?」


 紫煙を吐き出すヘマムの言葉で、リンチェが目を丸くしながらこちらを見た。そうか。君は、俺がそれを知らないと思って…。


 気を失う前の言い争いで急に僕に城を去るように言ったきた彼女の言葉にやっと納得がいった。

 そういえば僕もリンチェに話をしていなかった部分かもしれない。

 いつも僕はそうやって肝心なことを話すのを先延ばしにして、誰かに心配をかけてばかりだな…と後悔する。


「大丈夫。僕は君と生きることを諦めたわけじゃないよ。だから信じてほしい」


「でも…私の呪いを解くためにはあなたの…アウルム様の命が…」


「僕を信じて。大丈夫」


 僕は、そういって不安がるリンチェを抱きしめた。

 うそを言っているわけではない。勝算はある。

 あとは彼女が…彼女が僕を想う気持ちが揺ぎ無いものであれば僕に怖いものはないんだ。そう思った。


 ネズミたちに城は任せて僕たちは、白いレンガで作られた祭壇用の塔の一番上に上った。

 ここにいるだけで十分だとヘマムが言ったからだ。


「ヒトの子の兵なんて一捻りさ。

 あたしに火で挑むなんて一千年早い」


 ヘマムはそうって指先を一振りして全身が炎で出来た鳥を作り出すと城門の方へ向かうに指示をした。

 僕たちはそれを塔の最上階から息を呑んで見守る。

 みたところ、兵の数はそこまで多くはない。知っている国の紋章でもない。

 城門のところで木の杭を振るっていた兵士たちは突然目の前に現れた炎の鳥に慌てふためいている。


ピィィィィィィィィ


 炎の鳥が甲高い声で一声鳴くと、城門の向こうの跳ね橋が降りる音がした。それと同時に、城からあがっていた火の手は勢いを増し、そしてゆっくりと建物から離れ炎の鳥に集まり始める。

 炎の鳥の周りを炎が揺らめくという夢でもなかなかみないであろう幻想的な風景に見とれる兵士や、呆気に取られる兵士、恐怖に腰を抜かす兵士と様々だった。

 そして次の瞬間、様々な反応を見せていた兵士たちの表情が一律に恐怖の色へと染まったのが離れた場所でも伝わってきた。

 響く大量の足音と共に、幼児ほどの大きさのねずみが大量に城門をつきやぶってきたせいだなということがすぐにわかった。

 そしてねずみたちは普段のおとなしさを微塵も感じさせずに、まるで野生の飢えた都市部のねずみのように兵士たちの鎧や体を自慢の前歯で噛み千切り始めかと思うと、炎の鳥は兵士たちの頭上高くを一回りしてまた甲高い鳴き声をあげた。

 すると、炎の鳥の周りを揺蕩たゆたっていた炎たちは逃げようとしてた兵士たちの道をふさぐように立ちはだかり、そして兵士たちを取り囲む炎の渦となった。

 何人かの兵士はそれでも逃げたいのか炎の中に走って突進し、悲鳴をあげて消し炭となったのが見えた。


轟々と燃える炎の渦に囲まれた兵士に向かって炎の鳥の口を借りてヘマムが語りかける。


「神聖なる古代の王国へ侵攻する哀れなヒトの子よ。

 無知故の無礼も一度だけなら赦してやろう。このままおとなしく立ち去るが良い。

 再びこの神聖な城を穢すとあらば容赦なく浄化の炎でお前たちの国ごと清めることになるだろう」


 それは、守り神としてではなく、戦を司る女神のような猛々しく冷酷さを孕んだ声でこの炎の女神が敵にならなくてよかったと心の底から思える。

 兵士たちはその声に震え上がり、炎が消えるとみると我先にと走り出しこちらを振り返りもせずに一目散に逃げていった。

 ヘマムは戻ってきた炎の鳥の頭を優しく撫でると、鳥は嬉しそうに目を細め、彼女の中へと消えていった。どういう仕組みなんだろうと少し不思議に思う。


 ほっとしたのもつかの間、暗雲が急に現れ城を覆った。

 遠くに見える景色は晴れ渡っているのも相まって不気味さが際立つ。

 いやな予感を察したのか隣にいるリンチェが肩をよせてきたので僕は彼女の肩をそっと抱いた。


「低級悪魔にしては凝った演出じゃないか」


「高名な炎の女神様相手では趣向でも凝らさないと首がいくつあっても足りませんから…」


 振り出した雨に深いそうに顔をしかめ嫌味をいうヘマムにしわがれた老人のような声で何かが答えたかと思うと、黒い靄が集まり徐々に形を得ていく。

 声の主は、鴉の頭をもち、羊のような体で器用に二本足で立ち、纏った黒い衣から蹄のついた手足を覗かせている。

 これがリンチェの国を滅ぼした悪魔か…と一目でわかった。


「その首、今すぐ跳ね飛ばしてやってもいいんだよ?」


 僕は、リンチェの隣で静かに剣を抜くとその剣に炎を纏わせていつでも飛び出せるように身構える。


「私は私の清算をしにきただけです。そんなにいじめないでください。

 清算の邪魔は例え女神様でも邪魔する権利はない…わかっておられるでしょう」


 鴉頭の男は道化のように大袈裟にのけぞると、身をかがめながら両手をもみ合わせる。

 ヘマムはそれを苦虫を噛み潰したような顔で睨み付けると、彼は「ヒッヒ」と笑って見せた。


「さて、前座も楽しんでいただけたことですし、はじめましょうか…罪と呪いの清算を…」

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