始まりを告げる炎
それは突然だった。
ここは確かに外から見える場所ではあったけれど、外からの訪問者は来たこともない。それでも、あまりにも浮かれすぎていたので油断をしていたのかもしれない。
彼女が、国の部品に戻ることをやめて自分と生きるといってくれたことに、
そう思いながら僕は、痛む頭に手を当てた。彼女の姿は遠くに見える。
手にヌルッとした感触が伝わってくる。傷になっているらしい場所は、火がついたように熱い。
僕の目の前に落ちている石は、人の拳ほどあり紐が括られていた。
この石をどこかから誰かが僕を狙って投げたのだということだけはわかった。わかったところでどうしようもない。
悪魔の類が清算に現れるということはわかっていたけれど…こんな物理的な形で攻撃が来るとは思わないじゃないか…と心の中でヘマムに悪態をつく。
まだ死ぬわけにはいかない。ここで肉体の命を手放しても、彼女を呪いの清算からは解き放てない。
しかも今さっきまでリンチェに城を出て行けと急に言われて始めての口論をしたばかりなんだ。タイミングが悪すぎる。
僕は出て行くわけには行かないし、家に居場所もきっともうない。
それに、悪魔と彼女の兄の亡霊が現れて彼女に願いの選択を迫らざるを得なくなるまで、僕は死んではならないのだ。
そうはいっても痛みに耐えられそうもない。僕はひざをつこうとして倒れる。音と血の臭いに気がついたのか、うっすらとリンチェが振り向いたのが見えた。気がした。
――――
なにかが焦げた臭いのする空気を吸って咳き込んで目が覚める。
目に飛び込んできたのはリンチェの顔。そしてその後ろに立ち上る黒煙だった。
目が覚めた僕が口を開こうとすると、彼女の声がそれをさえぎる。
「あなたのお陰で私は、この耳で音を聞き、心で理を作り、この口で言を紡ぐことが再び出来るようになった。
この醜い姿でも、この傷つけることしか出来ない両爪でも、あなたの役に立つことが出来るならこの身など惜しくはありません」
錆色の毛を逆立てた目の前の彼女は、大きなガラス玉のような眼をギラつかせながらそう言って僕に覆いかぶさっていた。
いつも湿っぽく暗かった城内は、煌々と赤い光に満ちている。
それが城に回っている火の手だということに気が付くまでに数秒かかった。
そうか、あの時気を失った僕を巨大な山猫の姿をした彼女は守ってくれていたんだな…と状況を吞み込みながらゆっくりと考える。
「リンチェ…」
改めて名前を呼ぶと、彼女は少し冷静さを取り戻したようだった。
ギラギラとしていて針のようだった瞳孔が少し丸みを帯びたことを確認して言葉を続ける。
「また、君は一人で抱え込もうとしてるんだね?」
火の手が迫っていて、今すぐ逃げ出さないといけないかもしれない状況だとわかりつつも、僕は目の前の彼女の頭にそっと手を差し出す。
頭を差し出してきた目の前の巨大な山猫をいつものようにゆっくりと撫でた。
少し硬い毛は、火の手のせいか、いつもより少し暖かい。心地よいからか目を閉じている彼女にさらに語り掛けるように私は言葉を続けた。
「一緒に生きようと言っただろ?
君のその愛くるしい毛むくじゃらの体も、少し不器用な可愛い両手も僕にとっては宝物なんだ」
「たから…もの…」
「そうだよ。さぁ…早く状況を説明しておくれ。
ここを切り抜けていつもの僕たちの生活に戻ろうじゃないか」
―――ニャォン
返事の代わりなのかリンチェは鈴を転がしたような可憐な声で人鳴きすると私の襟元を咥えて自分の背中の方へ放り投げた。
そして僕が彼女の背中に捕まったことを確認すると、疾風のような速さで駆け始めた。
四足歩行がこんなに速いとは知らずに思わず振り落とされそうになる。
「君…こんなに速かったのか…すごいな」
「あなたの前では恥ずかしいからしたことなかったけど…。
火の手が回りにくい城の上まで移動するからしっかりつかまってて」
火の手に囲まれているということを忘れて思わずはしゃいでしまう。
景色は流れるように変わり、火の熱を感じる間もない
多分、危険な場所で私が目覚めてすぐ逃げやすいようにと守ってくれていたんだろう。
そんなことを考えられるようになったなんて最初のころと比べて彼女も随分成長したなと感慨深くなっているうちに頬に当たる風が止んだ。
どうやら目的地に到着したらしい。
あたりを見渡すと、見慣れた幼児くらいの大きさのネズミの家臣たちが勢ぞろいしていた。
中にはミニチュアの甲冑らしきものを身に着けたものまでいる。
「アウルム様もここに残り、我らと戦ってくれます。
これから、無礼な訪問者に対し反撃の狼煙をあげましょう。
皆の者、生き残り、また新たな日常へ戻るのです」
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