紡いでいく日々

 僕は、多分いてもいなくてもいい存在なのだろう。

 兄の保険として、たまたま二番目に生まれた。

 兄も成人し、妻も決まり、下の2人の弟たちも有力な家の娘を嫁にもらい、彼女の父の土地を治めているし、妹は北の国の王の妻として元気にやっているようだった。

 この国に唯一残った僕には、兄の右腕としてこの生まれ育った領地を護り、兄がもし亡くなってしまったらこの土地を兄の代わりに治めていく。そんな決まりきった永遠に主役にはなれない一生を送るとわかっていた。

 不満ではなかった。父も母も兄弟たちもよくしてくれる。

 この国で兄の下で働かなくてもいい道を兄も示してくれようとしている。そんな心遣いからも僕は逃げたくて、なにもかも捨ててどこか僕を知らない場所へ行きたかった。

 そんな思いを抱えていた時に、僕は川に流された。

 一瞬、このまま死んでしまえるなら、それでいいのかもしれない。そう思った。

 

 今、僕は山猫の姫とネズミの住む城で世話になっている。

 最初は恐怖の対象だった山猫の姫も、意思の疎通も出来て、人間を、少なくとも僕を食べるようなことはしないとわかって安堵した。

 僕が来てからどのくらい経ったのだろう。兄や両親のことを忘れそうなくらいここにいる気がする。

 山猫の姫、リンチェは僕に親愛のような感情を寄せてくれている。

 ああ、このまま僕はここでリンチェに僕の持つ知識を教えながらずっと過ごせたらいいのに…と思うことが増えた。


 誰の特別にもなれなかった僕を、特別な存在として慕ってくれる唯一の存在。

 僕が、僕のままでいても赦してくれるたった一つの希望。

 それが人の形でなくても構わない。


『異形となった姫のためにすべてを捨てられるか?』


 真っ暗闇の中思考の渦に巻き込まれていた僕に、暗く低い声が語り掛けてくる。

 そうだ。僕は、あの影の男に話しかけられていたんだった。


 思考が一気に現在に引き戻され、自分が一面の闇の中にいることに気が付く。

 これは夢?それとも魔法か何かなのだろうか。

 辺りを見回すが声の主どころか、何も見えない。夏の夜空のように気だるい雰囲気と時折星のようにきらめく光の粒が僕の周りに漂っている。


『もう一度聞く。

 異形となった姫のためにすべてを捨てられるか?』


「僕にはもともと捨てて惜しい物なんてない。

 リンチェのためになるのなら、喜んで僕のすべてを捧げよう」


 本心だった。

 リンチェと離れて城に戻ったところで僕は国のために、兄のために、領地の民のために人生を生きるだけだった。

 苦痛ではない。でも捨てたくないとしがみつくくらいなら、僕を僕のまま慕ってくれた人のために犠牲になってもいいと思った。


『イルリリーナの呪いを解くための贄よ。

 我が愛しの妹の呪いが解ける日まで私の力を授けよう』


 その声が聞こえると同時に、足の痣の辺りが猛烈に熱くなった。

 あまりの熱さと痛みのために思わずうめき声が漏れる。

 声はそんなことにはお構いなしのようで、更に言葉を続けてきた。


『国を失うこと、愛しい人を失うこと、それが残された我が妹が国のためにすべきこと』

『お前の肉体が死を迎えるとき、選択の時は訪れる』


 そう言って声は途切れ、僕の意識も途絶えた。




―――


 嗅ぎなれないやけに甘ったるい匂いが鼻をくすぐる。

 目を開けてみて、随分久しぶりな気がする朝日を拝んだ。

 窓に向かって伸びをして、サイドテーブルに置いてあった洗い立ての上着に腕を通す。

 長い間寝ていたのだろうか。体がなんだか重く感じるので肩を回したり、屈伸をして自分の感覚を取り戻そうとする。


「アウルム様!」


 さて、食堂にでもいこうかなと呑気に考えていたところで、勢いよくドアが開きリンチェが飛び込んできた。

 彼女は立っている僕を見るなり、飛びついてきて僕の頬を両手でつかんでまじまじと見つめる。

 ペタペタと肉球で僕の頬だけではなく額も頭も首も触って確認すると、リンチェは安心したように僕の髪の毛に自分の顔を埋めた。


「よかった…本当によかった…もう4日も目を覚まさないから…心配で心配で…」


 呑気にしている僕にリンチェは涙ながらにそう説明する。

 4日も経っていたのかと自分でも少しびっくりするが、それよりもこんなに動揺してよろこんでくれているリンチェを見てうれしいと思ってしまう。


「心配をかけたね。ありがとう。もう大丈夫だよ」


「急に目を覚まさなくなるから…私、心配で…」


 僕は、まだ心配そうな彼女の顔を頭から引き離し、目を見て微笑むと頭を撫でてやる。

 久しぶりのリンチェの毛皮の手触りはとても心地よく、彼女も同じ気持ちなのか目を閉じてゴロゴロと目を閉じて甘えるように僕に頭を擦り付けてくる。


「せっかくの二人の時間を邪魔してすまないが、挨拶は早いほうがいいとおもってねえ…」


 聞きなれない声がして、慌てて視線を声のほうにむけると、ドアのところには気恥ずかしそうに頬を搔きながら立っている一人の女性がいた。

 燃える炎のように赤い髪と目のその女性は南部の国の人々のように褐色の肌をしたスラッとした背の高い体に赤や黄色や紫のような色とりどりの布を胸と腰に巻き付けている。

 随分若く見えるが、話し方はぶっきらぼうな老人のようなその女性はパイプから甘い煙を燻らせながら話を続ける。


「私の名はへマム。この国の守り神みたいなもんさ」


 へマムと名乗る女性はそう言って、証拠とでもいわんばかりに口に含んだ煙を吹き出すと、その煙は炎になり小さなトカゲほどのドラゴンの姿を作り出して微笑んで見せた。


「しばらくやっかいになるよ。

 あたしがいなかったせいでこうなった部分もあるからね。

 あんたも、何か魔法や呪いのことで困りごとがあったら相談にのってやらなくもないよ」


 へマムはそういうと、背を向けて手をひらひらとしながら部屋を出ていった。

 リンチェも警戒していないし、悪い人ではないのだろう。

 彼女が出ていくとリンチェは精霊降ろしのことや、へマムから教えてもらった異国の料理のこと、今この城は僕のいた世界が干渉できない場所にあることを嬉しそうに話してくれた。

 それを見ながら、僕は自分が幼かったころ、何日も留守にしていた父に同じように無邪気に父がいない間にあった出来事を話していたことを思い出した。

 

 不完全な記憶の中で山猫から人間になろうとしている彼女にとっては、僕は親みたいなものでもあるのかもしれない。


「エルリリーナ…」


 つい、口にしてしまったのは夢の中で黒い影が呼んでいた彼女の本当の名前。

 リンチェは、怪訝そうな顔をして僕を見た後、僕の頬に朝と同じように両手を当てて目をじっと見つめてきた。


「寝ている間に、アウルム様に何があったのかはわからない。

 でも、私はあなたと出会って名を与えてもらった時から、そして…これから先もずっとリンチェですよ」 

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