不幸なお伽話
目が覚めると、隣にいたはずのリンチェの姿がなかった。
その事に少し寂しさを覚えている自分に我ながら驚く。数日前までは自分を食うかもしれないと思っていた巨大な猫だと思っていた存在にこんな感情を抱くなんて…。
僕は頭をポリポリと掻くと、朝日に照らされている中庭へと目を向けた。
手入れがされ始めた城内、自分の城と同じとまでは言えないが比較的豪勢な食事、目が醒めると用意されている繕い直されているとはいえしっかりとした上等であろう服、洗って干されたであろうシーツたち。
僕は用意された服に袖を通すと、朝食の準備が整うまでの間、昨日書庫から持ってきた本を読む事にした。
本を手に持ってペラペラと羊皮紙を
僕は本をサイドテーブルの上に戻すと、古ぼけた羊皮紙を広げて眺めることにした。
先日、前掛けをした一匹のネズミから手渡されたものだ。
それは、リンチェへのプレゼントを探そうと裏手の森へ、馬を走らせて探索に出た時のことだ。
城から離れすぎたかな…でもここから街への道に出られるなら街で何かを仕入れるのもいいな…。
そう思った僕は、森の開けている方向へと馬を進めていた。
大きな道に出たな、と思い周りを見渡すと、よく見なれたこの城の裏庭の前に出ていることに気がつく。
どこかで間違えたかな?と思った僕は二度、三度と城を背にして馬を走らせるが何度走ってもしばらくすると裏庭に出てしまう。
何度目かわからない挑戦の後、諦めて馬から降りた僕の服の裾を一匹のネズミが引っ張っていた。
そのネズミは、前掛けの後ろ側から丁寧に畳まれた古ぼけた羊皮紙を取り出すと僕に渡して背中を向けて去って言ったのだった。
彼らの言葉は僕にはわからない。僕は、よくわからないまま受け取った羊皮紙を広げてみると所々掠れたり、破けているそれがなんなのか考えることにした。
リンチェに聞けばわかるのだろう。だが、昼食の前のこの時間は確か彼女は寝ていることが多い。
どうせ時間は余っていることだしと、しばらく羊皮紙と睨めっこをすることにしたのだった。
地図のような、図形が書いてあり、所々に文字が書き込んである。
文字は掠れていて読めない部分がほとんどだが、図形の形には見覚えがあるものも多かった。
多分、これは城の見取り図なんだろう。
いつも僕やリンチェが過ごしている部分がここ。
別棟に書庫があるらしいというのも僕はこの見取り図のお陰で知ることが出来た。
書庫に行けば、この城のことや、痣のこと、リンチェの昔のことがわかるかもしれないと僕は早速翌日に彼女を連れて書庫まで行ったのだった。
自分の城にはまだ戻りたくないが、それでもこの城からはいつか出なければ行けないということはわかっていた。
日々の責務から逃れ、ゆったりとした時間の中で、可愛らしい大猫と一緒に過ごす時間は既に僕の中では大切でかけがえのないものになりつつある。
これも、呪いか魔法の類なのかもしれない…と頭の隅で理性が訴えかけるが、それは風に乗って微かに流れ込んでくる焼きたてのパンとバターの匂いによって掻き消されていった。
もうすぐ、リンチェが僕を迎えにやってくるだろう。
僕は、見取り図を丁寧に畳むと、風で飛ばないようにサイドテーブルの引き出しの中へとしまった。
「アウルム様、こんな話を…知っていますか?」
食事中に口数が少なかったリンチェは、食事が終わり部屋に着くなり深刻そうな表情で僕の腕をキュッと器用に掴みながらそう言うと、満月のように丸くなった瞳で僕の目を見つめ、不安そうに言葉を続けた。
「この間書庫で見つけた本で読んだ話なんですが…」
そう前置きをしたリンチェが、言葉に詰まりながら話してくれたのは、ある国の王族の話だった。
−−−−
病で王様とお妃様の魂は天に召され、残された王子と姫の前に、真っ黒な鴉の頭の羊の体を持つ男が訪ねてきた。
その男は器用に二本足で立ち、上等そうな真っ黒な衣を纏っているという不気味ないでたちだ。
王子は無事に王位を継ぎ国を治めるようになり、幼かった姫が成人の儀をした日に、鴉頭の男は再び二人の前に姿を現した。
鴉頭の男は、相変わらずの不気味なしわがれた声でこういった「契約の代償を受け取りに来た。あの時、私に望みを伝えただろう」と。
鴉頭の男がそう言って不気味に微笑むと、
鴉頭の男は、痛がる様子もなく、どさっとやけに重い音を響かせて落ちた自分の腕を見て相変わらず薄気味悪い笑顔を浮かべていた。
「恩恵のみを受け取ろうとする愚かなヒトの子に恩恵以上の
鴉頭の男がそう呟くと、王子の体はみるみるうちに灰になり、跡形もなく消えてしまった。
灰の山の上に剣だけがポトリと落ちる。
あまりにも突然な残酷な出来事を目の前にして、言葉も出すことが出来ぬまま立ち尽くす姫の肩を蹄の生えた手がそっと触れた。
鴉頭の男は、一人残った姫に取引を持ちかけた。
「お前がその美しい姿を差し出せば、この国の人間だけは助けてもいい」と。
両親と兄の残した国を守れる…と姫はその取引に二つ返事で応じた。
轟々と強い風と眩暈に見舞われた後、気が付いた姫の目の前にあったのは朽ちた城と荒れ果て、半分ほど山に還った城下町だった。
泣き叫ぼうとした姫は自分が言葉を発せないことに気がつく。両手をみると、美しかった五本の指はなくなり、その代わりに毛むくじゃらの肉球のある前足に変わっている。
姫は恐る恐る前を向くと割れた鏡の中に、恐ろしい
姫が、それを自分だと理解するのに時間は掛からなかった。
国の人間を守ることの引き換えに自分は取引に応じたのにこんなの話が違うじゃない…と絶望する彼女の肩に一匹の鴉が止まり「兄の罪を償えば国は再び蘇る 山猫の姫が本物の姫になる時 選択の時間は訪れる」と歌い煙のように消えてしまう。
姫は、どうしていいのかもわからず、そのまま両親の残した城の中で一人ぼっちで暮らすうちに言葉もヒトの心も、自分の名前すら忘れてただの山猫の化け物となりました。
−−−−
「それは、君の過去の話ってことでいいのかな」
僕の問いに彼女は頷くのを躊躇っているのか、ただ、僕の瞳をじっと見つめるだけだった。
「これが実際に、君の身に降りかかったことなんだとしたら」
僕は、不安なのか瞳孔を満月のように丸くしているリンチェの表情に気を付けながら慎重に言葉を選んで話を続ける。
「僕は、少しでも君の力になりたいと思うよ」
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