輝く日々

「実は、君にプレゼントがあるんだ」


 食事も終わり、日向ぼっこをする私を撫でながら本を読んでいたアウルム様は、下働きのネズミが部屋に来るのを見て立ち上がると、私を見て微笑みながらそういった。


「それに…今日はいい天気だから、ね」


 彼はおもむろに立ち上がり、私の手を引いて歩き出す。

 ズンズンとネズミたちが動き回る城内を通り抜け、調理場の裏口から外に出た。

 城の裏手にある井戸の前まで彼は歩くと、井戸の前で大きな木の桶と大きな馬の毛並みを整えるのに使うのであろうハケを持ったネズミたちに戸惑う私を引き渡した。


「君たち、お姫様をよろしく頼むよ」


 そう言ってアウルム様は、手を振って城の中へと戻っていった。


「え?アウルム様?ニャ…ニ゛ャァァ」


 訳も分からずアウルム様の背中を見ていると、まとっていた布を剥ぎ取られ頭から水をかけられた。

 思わず情けない鳴き声をあげる私に構うことなく、ネズミたちは私の体に容赦なく水をかけ、ブラシで体をこすっていく。

 水はみるみるうちに泥で汚れていき、黒くなった水に驚いているとさらに追加で水がかけられる。


「もう!もう少し優しくしてよ!」


 思わずそう叫ぶも、ネズミたちは「キィ」と短く鳴くだけで変わらずゴシゴシと体を乱暴に擦るし、水も容赦なくかけて来る。

 少し頭にきた私は、体をブルブルと横に振って水しぶきを弾き飛ばす。

 ネズミたちがその衝撃で尻もちをついたのを見計らって私は、木の桶から飛び出した。

 アウルム様が近くにいないことを確認すると私は、もう一度体をブルブルと思い切り震わせた。

 キラキラと水飛沫が春の日差しに照らされて乾いた地面にポツポツと跡をつける。

 それでも、体に残る水分が気持ち悪くて、私は毛皮をザラザラとした舌で舐めとる。

 人間ではないということを思い知らされる行為なので、極力したくはないのだが、毛皮が濡れてジメジメするということだけは耐えられない。

 アウルム様がこないうちに…と、私は手早く毛繕いを終わらせる。

 早く服を着なきゃ…一人であの布を巻くのは時間がかかるのに…。


 私が、布を探してるのを察したのか、先ほどまで毛繕いをする様子を遠巻きに見ていたネズミたちが近づいてきた。

 手にはいつも体に巻いているズタズタになった布ではなく、見慣れない真新しい毛織物を持っている。

 ネズミたちはそれを器用に私の胸から腰に巻きつけていく。

 

「せっかくの新しい服なのに鏡がないのが残念ね…」


 思わずそう呟いた私に、ネズミたちは「キィキィ」と明るい調子で話しかけてくれた。

 お似合いですと褒めてくれているのが伝わってくる。


 そういえば、私とアウルム様は言葉でやりとりを交わしている。しかし、私とネズミたちは言葉を交わさない。

 私の言葉はネズミたちに伝わっているし、ネズミたちの言うことも私は理解することができる。

 多分、アウルム様の言うこともネズミたちは理解しているのだろう。

 アウルム様だけは、多分ネズミの言葉がわからない。なぜなんだろう。

 私とネズミたちにあって、アウルム様とネズミたちにはないものがあるのだろうか。

 毛皮もお日様に照らされたおかげですっかり湿気は消え失せたようだ。心なしかいつもよりも錆色の冴えない毛並みもふかふかと気持ち良い手触りになった気がする。

 私がネズミたちを引き連れて城の中へ戻ると、城の廊下を二人のネズミを従えたアウルム様がこちらに歩いてきた。


「ちょうどよかったみたいだ。

 これ、似合うといいんだけど」


 アウルム様は、そう言って私の首に手を回した。

 彼が手に持っていたのは、真っ赤で小さな石のようなものを括り付けた革製の首飾り。


 アウルム様の後ろにいるネズミたちが、持っていた鏡をサッと前に出してくれた。

 早速鏡を覗き込んでアウルム様からもらった首飾りと、それをつけた自分を見てみる。

 鏡を見るなんてどのくらいぶりなんだろう…。

 革は綺麗になめされていて、短くない期間使い込まれているような色合いをしている。

 首飾りの中心部に縫い付けられている金具に、控えめにぶら下がっている石は、よく見ると薔薇の形をしていた。


「気に入った?

 珊瑚の魔除け、君に似合うと思ったんだ」


「とても綺麗…ありがとう」


「よかった。

 貰い物を贈るなんて失礼だとは思ったんだけど、すごく似合うと思ったんだ」


 アウルム様は、私の首飾りの石を愛おしそうに撫でながら言葉を続ける。


「まるで、君のために誂えられたみたいに似合ってるよ」


 私と彼は、そのままネズミたちに先導されるて食堂へ向かうと、用意された軽食をつまむために席に着く。

 軽食を食べながら、薔薇の形の珊瑚は彼の父親が森の小川で見つけものだということ、小さな頃から大切に持っていたということを聞いた。

 彼は、父親から貰ったものを贈り物をするなんてと申し訳なさそうだったけど、そんな大切なものを贈ってくれたということが嬉しくて、私はつい頻繁に首元の珊瑚を肉球で撫でてしまうのだった。




 軽食を終え、時間を潰すための本が欲しいという彼と書庫へ向かう。

 いつも寝起きしている場所から渡り廊下を歩くと塔の二階へとたどり着く。

 そこから更に螺旋状になった階段を登ってやっと辿り着く書庫は、まだ掃除の手が回っていないのかかなり埃っぽかった。

 薄暗い中、アウルム様が燭台を持っていない方の手で私の手をつなぎ、先を歩いていく。

 懐かしいと感じるのは、私が以前ここで暮らしていたからなのだろうか。それとも、単なる気のせいなのか…。


 彼が蝋燭の火で本の背表紙を照らす。


「リンチェと読める本も欲しいね」


 彼はいくつか分厚い本を手に取った後、私の方を振り向いて微笑むと、3冊ほど薄い綺麗な絵が描かれている本をとって私に持たせてくれた。


「これ…でも…私…」


「ここに書いてあるのが、文字だよ」


 アウルム様は、指で本の角ばった形の絵をなぞった。

 見覚えのあるような、ないような、頭にモヤがかかっているような不思議な感覚をまた感じる。


「もしかして、明日になれば読めるようになるかもね」


不思議そうな顔をしていたのか、不安そうな顔をしていたのか、アウルム様は心配そうに私の顔を覗き込むと、少し大袈裟に冗談めかしてそう言った。

私は、心配してくれているであろうアウルム様に微笑むと手渡された本の表紙に目を落とした。


自分のことなのに、他人事にしか思えないが、確かに、以前までは言葉もわからず、人間としての仕草も思考も忘れていた私が今こうして服を着て、装飾品を身に付け、読めないとはいえ本を手に取っている。

明日には今読めない文字がわかるようになっても不思議なことではないな」と頷く。


本の表紙には一人の煌びやかな服を着た金色の長いふわふわの髪をした女性と、何か模様が描かれているのであろう旗を掲げているお城が描かれている。

本の表紙は少し痛んでいるからか、目を凝らしても旗にある模様がなんなのかはわたしにはわからなかった。


「そろそろ行こうか。新鮮な空気が恋しいよ」


アウルム様に声を掛けられて、本の表紙に釘付けだった自分に気がつく。

ハッとして彼の顔を見ると、優しく鼻の頭を指で撫でてもらった。


「僕が選んだ本、気に入ってくれたみたいでよかった。

夕食の前にでも一緒に読もうか」


そう言って燭台の火を消して、ドアを開けるアウルム様に手を引かれ、私も書庫をでた。


書庫の扉が、重い音を立てて閉じるのを背中で受け止めながら午後の気怠い陽気の中に私たちは足を進める。

 そして、彼の部屋の寝床に腰を落とすと窓から差し込んできた日差しの作る陽だまりの中、彼の隣で私はまどろみに身を任せた。

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