言葉と名前

 くすぐったい感触がして目が覚める。

 何か小さいものが体の上を跳ねまわる感触。これは何だろう。

 ノネズミかな?そうか…そういえば兄さんと狩りの途中だったな。



 ゆっくりと目を開けると、ボロボロの石壁が目に入ってきて、狩りの途中だったということが、記憶の混乱だったということを思い知る。

 出来れば、巨大な山猫のいる建物に自分がいるということが夢であって欲しかったが、どうやらそうではないらしい。

 体を起こし、重たい頭に手を当て思考を巡らせようとした時に、ポトンと服の上から何かが滑り落ちた。

 何かが落ちた先に目を向けると、僕の体の上にいたと思われる小さな白い生き物が起き上がり僕の方を見たところだった。

 あまり見かけない毛色だったことと、ここが山猫の住む場所だということもあり、それがネズミだと気がつくのに少しだけ時間がかかった。


「ほら、ここにいると猫に食べられてしまうよ。早く逃げなさい」


 言葉が通じるはずもないのだが、白い毛色に赤い目をした小さな生き物になんとなく愛着が湧き、つい話しかけてしまう。

 そのネズミは、わかったのかわかっていないのか、僕を見て「キィッ」と鋭く鳴くとチョロチョロと素早く走り部屋を出て行った。


 さて、これからどうしようか。

 兄さんたちも心配してるだろうな。

 そんなことを考えながら、改めて自分の体を見回し、腕を回したり伸ばしたりしてみる。

 服や腕にところどころ擦り傷や汚れはあるものの特に大きな怪我はないようだ。


 少し間をおいて、川に落ちた時例のナニカが絡みついていた自分の足を見てみようときう気持ちが湧き上がって来た。

 痛みは全くない。服に破れた痕もない。何も異常はなさそうだが、見るのは怖い。見た方がいいことはわかっているが、あの不気味な黒いウネウネを思い出すとどうしても気がすすまない。


 しばらく悩んだ後、ええいと覚悟を決め、ズボンをたくし上げる。

たくし上げて見えた脛から足首にかけて黒々とした痣のようなものが刻まれていた。

 その痣は、太い蛇が巻きついているようにも見え、あまりの気持ち悪さに吐き気が込み上げてきて思わず口を押さえた。

 胃から込み上げてくる吐き気がおさまると、僕は急いで痣のようなものを見なくて済むようにズボンを元に戻した。

深呼吸をして目元を抑えて自分を落ち着かせようとする。

 城に戻れば、医者がなんとかしてくれるか、それでも無理な魔術や呪いの類ならきっと兄か父が悪魔祓いでもなんでも手配してくれるだろう。


「まぁ、城に戻ればなんとかなるだろ…」


 体の吐き気は治まったものの、心の中に残るなんとも言えない気持ち悪さを払拭したかった僕は、少し楽観的すぎることを半ば自分に言い聞かせるように呟いた。


「ニ゛ャオン」

 

 聞き覚えのあるしゃがれ声が聴こえた。


 部屋の入り口に目を向けると、例の大きな山猫が佇んでいる。

 しばらく目を合わせていたが、山猫が部屋に入ろうとせずに入り口で立ったままなのを見て「部屋に入る許可を待っているのか?」となんとなく思った。

 言葉が通じるかどうかわからないが、昨日の素振りからして簡単な言葉くらいならわかる可能性もある。


「こっちへおいで、山猫さん」


 僕がそう言って手招きをすると、山猫は小さく鳴いてこちらへぎこちない二足歩行で歩み寄ってきた。

 ヒョコヒョコと器用にバランスを取る姿は、なんとなく愛嬌を感じさせる。 

 山猫は、僕のそばに来ると入り口の方を向いて短く「ニ゛ャン」と鳴いた。

まるでさっきの僕を真似たみたいな何かを呼ぶ仕草だ。

 もしかして、この奇妙な山猫は僕が思っているよりも知能の高い生き物なのかもしれないな…なんて考えていると、僕の目の前に信じられない光景が映った。


 夢だか御伽話おとぎばなしのような光景だ…と僕は口を閉じるのも忘れるくらいに驚いた。


 白い小さなネズミたちが頭に皿を乗せて部屋に列を作って入ってくる。そして、その皿の上にはパンや、焼いた魚、木の実などが乗せられていたのだった。

 最初にいたネズミはもしかして、僕を起こしてくれたのか…。いや、ネズミの召使いなんて御伽話じゃあるまいし…。

 でも、この光景は現実に起きていることなら、目覚めた時にいたネズミも野生のネズミではないかもしれないな…。


 ヨチヨチと僕のベッドの前にたどり着いたネズミたちから、山猫は器用に皿を受け取りサイドテーブルに料理を並べていくのをただ呆然として見ていた。


「しょくじ あうるむ たべる」


「ありがとう。美味しくいただくよ…って

 え!?喋った!?」


 あまりにも自然に目の前の山猫が言葉を発したので、驚いた僕はのけ反った弾みで壁に頭をぶつけてしまう。

 片言だが、紛れもなく言葉を発した。

 話せる猫なんて聞いたことがない。


「今、話したのは山猫さんなの?」


「わたし はなした」


 なんとか片言で話す山猫から話を聞いてみると、朝目が覚めると頭のモヤモヤが消えて、人間が決まった時間に食事をすることや、どう話せば人間にことばが通じるかが頭に浮かんだらしい。

 らしいって言っても全然わからない。どうやら山猫も話はしたもののどういうことなのかわかっていないみたいだ。


 ネズミたちは、僕たちの話を聞いているのかいないのかわからないが、先ほどからせわしなく動き回っている。

 どうやら掃除をしているらしく、水を溜めた小さな木の桶にボロ切れを浸した後、その布で床や壁を器用にこすっている。

 まるで人間みたいな動きだなと、山猫と食事を取りながらネズミたちの働きぶりを眺めてしまう。


 そうだ。もし話すことが出来るならいつまでも山猫じゃ失礼かな。

 猫に失礼?なんか変だな。


「君 名前は?」


「なまえ…」


「アウルムが僕の名前。君の名前は?」


「わからない」


 山猫が悲しそうな顔をした…気がした。

 目を伏せ、魚を掴む手が止まった山猫の姿は酷く落ち込んでいるように見えて僕はかける言葉を探した。

 女の子の落ち込んでいる姿を見るのは人間でも山猫でも苦手らしい。


「そうだ」


 気がつくと僕は山猫の手をとって、悲しげに瞳孔を丸くした彼女の目を覗き込みながらこういった。


「君の名前は今日からリンチェだ」

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