第10話 慎吾 その3

 もうもうと立ち昇る煙の間から、粉々に砕け散ったデスクが見え隠れしている。

「無茶しやがる……」

 寸でのところでモニター機器を非難させた都田のもとへ、金川がにじり寄り笑いの消えた瞳で言葉を落とす。


 それが耳に届いた瞬間、都田の怒声が響き渡った。

「絶対に許さん!俺たちは免疫細胞なんだぞ、その俺たちが……」

 一歩も引かない金川の声が重なった。

「役に立たなかったからこうなってる。でしょ? 都田司令官」


「絶対にだめだ、おまえ正気か? 正常な細胞を吹き飛ばして胃壁に穴を開けるなどあり得ん」

「胃壁に取りついたガン細胞はもう、我々では叩ききれない。下手に手を出せば転移を早めてしまう、もう外科手術が必要なことは都田司令官が一番良く知ってるはずです! そうするには慎吾に受診してもらうしかない」


 金川の脳裏に、浮かんでは消える散って逝った隊員たちの声。

「隊長、すみません……後をお願いします」


 ここは何としても引くわけにはいかなかった。引くつもりもなかった。

「許可を」

 重なる怒声の応酬に、何事かとパトロール中の面々も集まってきた。司令室の入り口から何人かが顔を覗かせている。



 都田は、絞り出すような呻き声を上げると頭を抱え込んだ。

「だからって乱暴すぎる。あまりにも無謀だ、故意に胃穿孔いせんこうをするなど……慎吾がショック死するかもしれんぞ」

「死なせないために我々がいます。ただ、慎吾にも痛みを負ってもらう。我々同様にね」


「だが……」

「都田司令官!このまま事実から目をそらし自滅する。あなたはそれで本当にいいんですか。この世に生まれ落ちた瞬間から共に生きてきた慎吾を、見捨てられるんですか」



 ほんの少しの間、空を見詰めていた都田が顔を上げた。

 胸ポケットから出したスコッチの瓶を一瞥すると、蓋を外し床に中身を空ける。

 直線を描き落ちる琥珀色の液体。

 濃厚なアルコールの香りが、足元から立ち昇る。



 久しく、埃をかぶっていた司令室のマイクに、スイッチが入れられた。ぶぅん、と言う低い音と共にオレンジ色のランプが点灯する。都田が、ふっと息を吐いてから口を開いた。

「免疫機構全員に告ぐ。これより、胃壁の正常細胞の攻撃を開始する。位置は追って指示を出す。衝撃とショック状態に備えよ」


 成り行きを見守っていたマクロファージ隊員の面々が天を仰いだ。

「前代未聞だな……」


 香中が、落ち着きのない瞳をキョロキョロさせながら、都田のもとに進み出る。

「うはっ、これかなりやばいんじゃないんすか? 慎吾本体もそうすけど、受診しなかったら俺たちもかなりやばいっしょ?」

 都田は面倒くさそうに答える。

「受診するさー」


「なんでそう言い切れるんすか?」

「痛てぇからだよ」


 珍しく真顔で香中がささやいた。

「俺、ボクちゃんでやる気のない司令官の方が好きっす」

「うるせぇ。さ、行くぞ」

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