第6話 美月 その6
「キンちゃんとクマちゃんが居るんだからね、ちゃんと安全運転で帰ってよ」
自転車に、ひらり飛び乗る涼太に念を押す。
「わかってるよ。それよりねーちゃん早く帰って来いよな」
振り返った弟の顔が、いつもより少したくましく見えた。
敷地内のスロープを抜け、通りに出たその姿が見えなくなるまで見送ると、少し寂しい気持ちにもなってくる。
風も冷たくなってきたし、夕ご飯の時間もそろそろだし、病室へ戻ろうっと。
そう思った時、視界の端にすごい勢いで駆けてくる人が居るなあと思ったら、あれは新藤紀子!
会いたくない、と思った気持ちがくるりと背を向け病棟へ足を出す。
やだやだ、こんなところでまた変な噂のネタになりたくない。
その思いもむなしく、紀子は息を切らしながら強引に走り込んで来た。
足を止める私。
自分自身が馬鹿をやったくせに、紀子に対して何よ、と少し意地の悪い気持ちもわいてくる。
そこへ差し出された両手にあったのは、可愛らしい花束だった。有名なチョコレート店の紙袋も一緒にぐいと差し出される。
え…?
と思って顔を上げると、涙でぐしゃぐしゃになった紀子の顔が目の前にあった。
いつも上から目線で自信過剰な紀子が泣いてる。って、どうして。
「羽田さんごめんなさいっ。こんな、こんな大変なことになるなんて全然思ってなくて、謝って済むことじゃないけど、受け取って下さいっ」
再び差し出された花束を、思わず左腕で受け取ると、ふわっと甘い香りが風にのる。
「あ、ありがとう。でも新藤さんのせいじゃないから、泣かないで」
そう伝えるのが精一杯だった。
それが合図のように、紀子の瞳からはぶわっと涙が溢れ出す。
泣きながら差し出されたチョコの袋を、やんわり返すと心を決めて言ってみた。
「これは受け取れないよ、とりあえず、ベンチ行く?」
並んで掛けたベンチには、涼太の温もりが残っている。
鼻をすすりながら、紀子がポツポツ語り出した。
「大賀先輩とはずっと近所で育って、殆ど家族みたいなものなんだけど。うちお父さんいないから、先輩には色々助けてもらってて」
なるほど、そこで芽生えた恋心の勝手なライバル心で、私を排除したかったわけだ。
ここは、しっかり言わなくちゃだよね。
「私、大賀先輩のこと正直よく知らないし、その、新藤さんの邪魔しようとか思ってないから」
「違うの!」
紀子の勢いに少しのけ反った。
「大賀先輩が、前から羽田さんのこと気にしてるの知って、たぶん好きなんだと思う。だから、羽田さんから告白するって事になったらちょうどいいなって。だから本当はあの段勝負、負けるつもりだったの」
はい?
「けど、跳び始めたら急に負けたくないって思ってそれで」
本気出したってわけだ。陸上部同士、そうなるよね。
ふっと笑ってしまった。
驚いた顔をした紀子を見て、ますます可笑しくなってくる。
「私たち陸上部じゃん」
「うん」
「勝負は本気でやる、その選択は正しい」
そうはっきり言い切ると、もやもやしていた気持ちがスッと落ち着いた。
馬鹿な自分も、はっきり出来ない自分も、全部含めて私は私。
思い切って誘ってみた。
「新藤さん、中に入ってココア飲まない?」
「え、いいの?」
「うん、一緒に行こう」
並んで歩き出した私達は、明日へと繋がる道を歩んでいる。
それは。たぶん。きっと。
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