第2話 美月 その2

 始まりは些細な事だった。

 体育の授業中に跳び箱の順番を待つ間、羽田美月はクラスメイトの雑談を、なんとなく流し聞いていた。

「3年生の大賀先輩ってかっこいいよね」

「なんかちょっと暗っぽくない?」

「え、そこがいいんじゃん! ね、美月?」


 大賀先輩ってどんな人だっけ? と思ったところへ急に振られて顔を見る。

 同意を期待したクラスメイトと目が合って、反射的に「う、うん」と返事をしてしまった。


「へえ。羽田さんて、大賀先輩のこと好きだったんだ」

 斜め目線と共に出てきた、B組の新藤紀子に内心「うわあ」と思う。同じ陸上部に所属していて、何かとライバル視してくる紀子が正直苦手だった。

 身体を動かすのは好きだが、高校に入ってからの体育の授業は、A組とB組の女子合同となっていたため、なるだけ紀子とは距離を置いていたところでもあった。


「そ、そういう訳じゃないよ」

「私も大賀先輩いいなあと思ってたんだよね、勝負しない?」

 さらっとかわしたつもりが、紀子は聞いていないらしい。

 スルーしようとしたのに思わず「勝負」の二文字に反応してまう。

「どんな?」


 ニッしたその頬を見た時には遅かった。

 饒舌に説明する紀子に、クラスメイト達が食いついてくる。


 ルールは簡単。

 より高い段数の跳び箱を跳んだ方が、大賀先輩に告白するというもの。

 その場が一気に盛り上がる。

 大賀先輩は、身長が178センチで抜群の運動神経を持ちながら、家庭の事情で部活にアルバイトに明け暮れている事、たまに見せるはにかんだ笑顔が可愛い事、彼女は居ないらしいこと、聞いてもいない情報が怒涛のように流れ込んでいる。


 そうじゃない。好きとかじゃないしそんな勝負とかするって言ってないよ。

 けど、そうは言ってない。と言えない雰囲気にがっくりしてうなだれる。

私はいつもこうだ。

 

 3段からから始まった跳び箱は、4、5、6、7段と進むにつれ、跳べなかった者の見学者が増えて、二列に並んだ跳び箱の前に立っているのはほんの数人となった。

 8段となり、横を見ると不敵な笑みを浮かべた紀子と目が合った。そういえば紀子って、体操の習い事してるんだっけ。

 

勝負とかそんなことは関係なく、ただ目の前の跳び箱を跳びたかった。

半ば絶望的な気持ちになりながら、半ばヤケクソで助走する。勢いをつけ踏切台を思い切り踏み込んだ。


「跳ばせて」


 行ける! そう思って両の手が8段目を捉えた瞬間、左右のバランスが崩れた。

 後はもう、スプリングから投げ出されたような勢いで空を飛び、マットを外れワックスがけをされたばかりの床へと着地する。

 嫌な音が体内を伝わって聞こえた。

 骨が壊れていく音。


 クラスメイトの叫び声と泣き声が耳に残っているけれど、正直よくは覚えていない。運ばれた所は、整形外科専門の病院で担当の先生が「派手にやらかしてる」と言っていた。

「内出血も少なくないからね、少し痛むよ」

先生の声にこくりとうなずく。


しばらく走れなくなる。そのことにひどく落ち込んだ。

同時に、馬鹿すぎる自分が無性に腹正しい。


いつもいつもはっきり言えないから、こうなる。








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