4-6 雷鳴 Kamuyhum

 突然のことだった。


 夜の世界が一瞬だけ恐ろしいほどの真紅に染まり、そして自らの死を告げるように灰色へと変貌した。


 灰色の世界の中で、明度の高い髪、そして黄緑色の瞳が色を失わず揺らめいていた。

 


 封神の剣を握る両手が、切り上げられいともたやすく切断される。


 振り上げた刀身の重さに身体を預け、その勢いで少女は空中へと跳び上がり、返す刀で両断。


 頭のてっぺんから胸へ、胸から足の間へと。


 冬の空気、夜の風を吸い込んだ、冷たく無慈悲な刀身の感触が総身を通り抜ける。


 心臓が圧力で歪み、切り口が熱を帯び始める。


 痛みを感じることはなかった。電撃が、感覚を受け止める宿主のいなくなった身体を駆け回り、そして爆発するような感触とともに、意識が暖かな海の中へ溶け込み、消えていった。






 そしてその時、ハルユキはそれをただ呆れて見ているしかなかった。

 

 一つ。カムイの力を宿主の体へと封印し閉じ込め外界に顕現させなくする、『封神斬』。それを喰らう衝撃は、宿主に一瞬ながら強烈なショックを与える。それは、それをに渡って喰らったこの少年がよく知っている。常人に、たとえ女であろうと耐えられるものではない。


 二つ。八割の膂力を奪ったはずなのに、少女はその機械仕掛けの大太刀を先ほどまでと全く変わりなく振るった。


 三つ。依人との闘いに置ける大原則を忘れてはいけない。『』。神威の力を借りてはじめて、それらは神を傷つけるに能うものとなる。つまり、カムイが封印されればその者は神を傷つける力を失うのだ。




 

 唐竹割りにされた神尾斬兎の神が、黄金の光をあたりにぶちまけて消え去る。

 セポとの間に繋がる、霊力のパスは失われていない。トゥイエカムイサラナと名乗るそのカムイは仮死状態となるも、待機中の霊素と一体化し完全崩壊を防いだのだ。


 だが霊力のパスが切断されていなかった......おそらく強制遮断をする暇がなかったのだろう。だがそれは、、ということなのだ。



 「おそらくその時、俺は何も考えていなかった」そうハルは語った。

 足の少し取られる積雪を踏み抜き、一直線にナターシャへと飛びかかり右頬めがけて殴りかかったのだ。

 ナターシャはそれを咄嗟に左掌で受け止め、それでも吹き飛んだ。ハルユキも勢いあまり、ナターシャと同じ軌道で転げ飛ぶ。


 「許せなくなったんだ」そう言ってくれた。

 そして、「正しいか正しくないかは問題じゃない。普通の人間には超えてはならない一線がある、ってだけだ...... だとな」ミラルの言葉を引用した。


「それは殺す側だけじゃなく、殺される側でも同じだ。普通の人間は、殺すことも、殺されることも選んではいけないし、それを経験してはならない。たとえ疑似的にでも、あんたは物体の『死』を経験した。

 ......あんたは確かに俺を生かそうとしてくれた。殺し、いつか殺される。俺の持ってる宿命を否定しやがった。そしてきっと今もあんたは普通の人間なんだ。

 ......なのに、あいつは...... あんたにを課した。依人のカムイを殺せば、どうなるかわかっていたはずだ。なのに迷いなくあんたを『殺した』。それでもあの女を許せるあんたが俺は羨ましい」


 ナターシャにも、わたしにも向けられない。行き場のない怒りを顔一杯に浮かべたその顔は、ハルがまだ12歳の子どもであることを物語っていた。





 ......

 ............暖かいのか冷たいのか... 多分両方。

 その両方を孕んだ、深い深い海から浮かび上がった。


 .........や、谷宮!! 気がついたか」

 

 仰向けに水から浮かび上がったと思ったら、うつ伏せに雪面へ倒れていた。

「あ、ミラル......」


「お前は離れていろ。俺はハルユキを助ける」


 そう言って、広い背中が離れていった。



 朦朧とした意識を、近くで聞こえる雷撃の音が叩き起こす。

 起き上がり、視線を遠くへと向ける。

 鞠島ナターシャが...... ハルと闘っている。


「キリト...... 確かに封印したの?」


 ............


 応答はない。


「......あのバカウサギ」


 ゆっくりと、それでも力を込めて立ち上がり、しっかりと戦場を見据えた。


 

 狼神の背に乗り空中へと飛び上がると、ミラルはペットボトルを空中へ放り上げた。

 凍結したそれは膨張する。膨張といっても、それは1.09倍の膨張ではない。

 何十何倍にまで膨張させられるのか......それはきっと神のみぞ知る、なんだろう。500ミリリットルの水は凍結し、700ミリメートルパイロンほどの巨大な氷柱にまで膨張した。


 推進力を持ってそれは高速回転し、ミサイルとなって追尾しナターシャを空中から襲う。


 ナターシャは駆け出し、納刀して鞘と刀を背中へと背負う。そして弾丸の如き速さで刀を引き抜き、下をくぐり抜けて氷柱弾を一刀両断した。

 自分より巨大な弾丸を弾いたのではない。したのだ。


 これにはそれを見ていた三人が三人驚いた。


 前かがみに振り抜いたはずの小さな身体は、いつの間にか斜めにバク宙し、腰へと回った鞘へと納刀し残心する。その瞬間氷柱弾は粉々に砕け散り水へと還った。


 驚きよりも先にミラルは雪を旋風つむじかぜに巻き上げさせ、次々と氷柱弾を撃ち放つ。

 ナターシャは地を蹴り跳び立つと、弾丸に飛び乗りまた乗り移り、時に追尾弾を切り裂き乗り移り、ミラルへと肉薄する。


 空中で後退し、雪を前へ撒き厚い防御壁を作る。だがナターシャの刀にすんなりと両断され、切っ先が脇腹を少し抉った。

 背中から落下体制に移るミラルへ飛びかかり、刃を振り上げるナターシャ。

 ミラルはその腹へ蹴りを見舞い、初速をつけて落下し距離をとる。



「キリト...... これが本当の戦いだっていうの?」


 

 空中から二人は着地し、前へ出るのをためらうミラルをみるなりナターシャは恐ろしいまでの速さで距離を詰める。

 咄嗟に取り出した鉄パイプを凍らせた。あの刀を受け止める気だろうか......!


「マズイぞ、ミラル!」

 ハルがナターシャを押し飛ばす。


「たとえ玉鋼だろうとその刀はボロ切れみてえに切り裂く。氷塊ならなおさらだ!」


 それを聞くとミラルはオンルブシカムイに乗り、後ろへ大きく下がりながら地に霜柱のトゲを生み出す。

 棘を切り裂いて駆け出すナターシャ。


「俺に背を向けるんじゃねえっ」


 黒い巨腕がナターシャを掴む。咄嗟のことに驚き空中へと持ち上げられたが、手首を切り落とし脱出。

 

手前テメエの相手は俺なんだろっっ!!」


 空中から落下する途中の小さな身体に、巨大な拳が襲いかかる。流石のナターシャでも、空中での回避は絶対に不可能であった。



 

 地を抉り雪煙土煙が撒き上がる。

 咄嗟のことに切断したのか、地に刺さった影の巨腕は折れ曲がって消えた。



「やったのか?」

 左脇腹を押さえて、ミラルはハルへ歩み寄る。

 

「......いや、まだだな。普通なら腹から弾け飛んでるだろうが、高速落下の衝撃だけで済んだらしい」


「あの速さで地に叩きつけられたって生きてないだろ」


「ああ、常人ならな。奴は狩人で、しかも武道家だ。あの地に叩きつけられる刹那に拳へ刀身をぶっ刺し、あの細腕二本で拳に張り付ききって耐えやがった。手応えからして、落下の衝撃はカムイが鎮和し急速治癒しやがった...... まあ五体満足で生きてるだけで、しばらくは起き上がれないだろうよ」


 ハルはミラルを後ろに庇いながらクレーターへ歩み寄ると、中の少女へ血混じりの溜飲を飛ばした。


 口元に下がる吐血の跡を浮かべながらも、覗き込んだハルユキへ少女は微笑みを浮かべた。戦闘機械のごとく笑みを浮かべなかったナターシャがハルユキに向けた、三度目の微笑みである。


 

「......幸せなこった、死合の前に笑い、勝ったと思ったら生きてて笑い、どうにか命を繋いで笑い....... そんなに楽しいか」


「あなたこそ。資料で見た写真を見てどんなに陰鬱な方かと思えば、初めてそのまなこに見てこ...... ゴホッ、......失礼。この一日で怒り笑い、いい顔をするようになったのが垣間見える」


「......はっ、ウハハハハハハハ!! そうだな、生憎と俺はお前同様の狂人でね。本当にお前と相見あいまみえて生きてるのを感謝して笑ってるよ」


「感謝して笑う...... 小癪ではありますが同感です」

 そう言うと鞘刀を支えにして、また立ち上がった。


「笑いながら立ってられるのも終わりだ。今度は塵も残さないぐらいまでに叩き潰してやる」


「あなたはハッタリが下手ですね。もうあなたに、あの影を使う力は残っていないと言うのに」


「............ッ!」

 ハルの顔がたちまち苦痛に歪む。


「私の主の命は、主のご行啓を阻み、主以上の実力を持つ者を排除すること。

 殺傷するだけが排除ではない。戦意を失わせ、戦闘不能にし、この地より追い出すのが私の役目。......私のような依人など、あなたがたの道程には多くいる。それでもなお北上を望むならば、私には止める権利はない。どうぞお出でください......」



「............ありがたくそうさせてもらう。......帰るところがないんでね、俺たちも

 ミラルがそう語りかける。それを聞くとナターシャは、邪な笑みを少し浮かべた。


「ここで私を倒しても何のメリットもない。浅はかな勝機に頼り、私が拾った命をどぶに捨てるのを選ぶのですか」


「たとえここで俺が力尽きても、あとはハルとユンさんが、セポを目的地まで繋いでくれる。あと一押しで君を地獄へ落とせるなら...... 妥当な判断だ」

 指を鳴らすと、ナターシャの足元から連なる氷の牙が現れて噛み付く。

 それをナターシャはバックフリップで躱す。空振った牙たちはそのまま氷柱の弾幕となり、空中を襲う。


「その覚悟と決意、しかと見せていただきました。それに免じ本日はここまでとしましょう」


 右手から擲弾の一発を投げる。それを迎撃した氷柱弾は敢え無く熱に溶かされていく。

 左手に三号軟球ほどの手榴弾二発。片側を投げ氷柱弾が迎撃し、空中へ内容物が破裂する。


「!!! ゲホッゲホッ、ガハッ」


「どうしたミラル!?」


「ゲェェッ、クソだ」



 一瞬弾丸はあらぬ方向へと揺れ動くが、すぐにまたナターシャを追尾し始めた。その隙にもう一発の手榴弾が空中で爆発。それは花火のように爆音と白色の光を空中へとばらまいた。



「逃げるのかっ、エセ武士が!!」



 視界を覆い、ハルが叫ぶ。


「どうとでもののしりください。......私には、帰りを待つがいるのですから」


 その声を爆音の向こうでミラルとハルは聞いた。また彼らの視界に暗闇が戻ってきたとき、彼らの前にナターシャの姿はなかった。




「ミラル、追跡はできないのか」


「オンルブシは嗅覚をやられた。視覚聴覚さえ」


「畜生が! 俺も『血の嗅覚』のための奴を殺された。......蘇生が完了してもおそらくあいつはあの女のを忘れているだろう。......なんて周到なアマだ」



「いや...... あいつを相手にして、お前と谷宮の命が無事でいられただけでよかった」





 夜の中を、再び風が吹き始めた。引き返したその風向きは、夜明けが近いことを示す。

 キリトが離れ静かになったわたしの心には、雷鳴のような幾万のマガンの羽ばたきが聞こえている。

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