4-5 撃墜 Aktursere


 喉を駆け上がり、こみ上げた血と消化液の臭いにむせて咳き込む。乱れた精神を整えるために、鞘へマガジンを再装填した。

 背中から消化管を傷つけた刺傷、全身に受けた打撲。常人を戦闘不能まで追い詰めて正しい怪我を負っている。だが決してそれは、ナターシャの短かき人生の中で有数ではあれど、決して今までにない創痍ではなかった。

 まさに悪神ウェンカムイという至極な名前を冠する獣たちとの闘い。どんなに傷をそれらから受けようと満たされなかったが...... 目の前で何十合と打ち合い続けるかの悪神ハルユキはちがった。



 強者を残酷に敗かす気持ちなどさらさらない。この強者に打ち勝ちたい。似て非なるこの気持ちが、今もナターシャを動かして止まない。

 そしてなおも浮かぶのは、温和で親身なパーシーのいつも見せる呆れ顔。私の前へ歩み出ていくユウスケの背中。宵空のように強く寂しげなタカツグの横顔。そして、猫のような瞳をした少年の信頼を込めた表情。

 

「もうこれ以上、時間をかけるわけにはいかない」

 

 そう無慈悲に告げたナターシャを前に、ハルユキは拳を構える。

 アシュラのごとく攻め続けたナターシャが突如、剣を再び霞に構えたのだ。


「お覚悟を。我が神威の一撃は、人の身には耐えきれぬ物故」


 


 二人は再び、消え失せた沼の上、広い葦原の雪野原へと戻ってきてた。

 月が雲に隠れ、あたりは闇に包まれていく。その中に、バチバチと明滅する黄緑色の閃光。


「雷............ だと? そんな権能を隠してやがったか!!」


雷神カンナカムイを差し置き、私のカムイにはそんな力はありません。これは我が剣の力にして、我が体の力。必滅の一閃にして万人の恐怖。我が恐怖でもあり我が信仰であるのです」


 決してあれは凍えて震えているのではない。大太刀を軽々と霞に構える少女は、その剣の重さ、そしてそれに宿る力の威力と反動を何よりも理解し、それでもその恐怖からの震えを抑え振りかぶろうとしているのだ。




『信仰とは欺瞞ではない。そのものの生きた道と福音を追い、自分なりの正義を追い求める生産的な試みだ。そしてその心には決意が満ちている。それこそがカムイの力なのだ』、ナガヒサはそう言っていた。その言葉をトゥイエカムイサラナは引用し、カムイと依人の力の本質を突いていると語った。

 要約すると、伝承に存在しないカムイを持つものもいる。なぜなら依人の行使するカムイの力はこの地に存在する生命の痕跡と天に座する神々の存在に依存するが、それを伝え語る伝承に拘束されるものではない。さらにその理由は、僕らの本質はアイヌモシリに息吹く生命、カムイモシリに座する霊魂たちではないからだ。

 依人の力とはカムイを信仰することから芽生えるものではない。何があろうと自分を信じる決意から生まれて行く。強力な能力は、自分を信仰する心から産まれるんだ。......と。





 ハルは漆黒のウェン・キムンカムイを捻出し、刀から放たれる一撃を残り六つの霊素で凌ぎきろうとする。

 身体の後ろへと持ち上げる切っ先が天へと駆け上がり、その刃の波紋に映し出す稲妻の層を濃くして行く。

 ナターシャはゆっくりと左手を放し、右片手で刃の重みのままに振りかぶる!

 

「Прощайте」




 光速の衝撃波が、ハルユキの身体を通り抜ける。

 それは霊素2割半を逆袈裟のように両断した。


 続いて閃光。

 電撃をまとったそれは残りの7割五分の霊素を削り取る。


 ナターシャが刀で振りかぶり、擬似的に空中に産んだ電極。

 片方の電極はハルユキの中へと着弾し、それらの間に電流が流れ込む。

 黄緑から白色の極光へと変わって行くそれは、摂氏2万度を優に越す。

 4つと4割の霊素をその熱で跡形もなく吹き飛ばし、灰燼に帰して行った。





 地に両脚跪き倒れこむ。カムイの生命力を防御へ置換する決死の作戦により最悪の事態は免れたが、それ以前にハルは満身創痍だった。

 頭上で高らかに鳴る鍔の音に顔をあげると、いつの間にやらナターシャが目の前で立ちふさがり、頭の上へ大太刀を掲げていた。


「まだ削り切ってねえ。勝ち誇って距離を詰めるとは...... 死にに来たか?」


「......ふふふ、必滅の一撃を心身共に耐え切りましたか。正気さえ失っていたのなら、温情で介錯などしてやったものを...... 残念です、あと二撃でこのひと時を終わらせてしまえる」


「............ああ、何もかもをうっちゃって、耐え切った甲斐があったもんだ」




「霊撃壱・封神斬!」


 即座に現界したトゥイエカムイサラナ=神尾キリトが大剣を振り下ろす。だがナターシャは驚くほどの敏捷性でそれを捉え、剣で受けようとしていたが間に合わず。

 霊力をまとって現世に浮かぶ虚像が、傷つけることもなく少女の身体を通り抜け、封神の印を打ち込んだ。


『名残惜しいが、このひと時は終わりだ。鞠島ナターシャ』

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