4-2 死合 Urayke

 ハルが刀に武器を変え、下段に構える。

 それを見るとナターシャは、霞の構えを顔前低くとり、切っ先をまっすぐにハルへ向ける。


 じりじりと間合いを図りながら、ハルは目の前の小さな少女の装備を確認していた。


 額には鉢金、長い鉢巻の裾がたなびいている。

 身体は一見、何の具足も着ていないように見えるが、コートと袴の下に小手や胴具足、ボディアーマーを着込んでいる。一見着ていないように見えるということは相当軽快に動けるのかもしれない。

 そして腰に吊られた鞘は、奇妙なものだった。機械的な意匠が備えられ、弾倉マガジンのようなものが刺さっているのも見える。


「お前、そのコートは......」


「先ほど申し上げましたでしょう。私は狩人です」


 雪模様に溶け込む真っ白な冬物のオーバーコート。ダブルタイプを直接留めず、ボタンベルトで留めることで通気性散汗性をよくしているが、裏地によって中に雪が入らないという技術を採用した支給品。

警察団の礼装を元にデザインし、雪中でも動きやすくした一品なのだ。


「いや、おかしいだろ。なぜ俺ごときを悪神狩猟隊カムイノヤが殺しに来るんだ!」



「主命です、何のおかしいこともありません。同時に果たして、この狩猟刀ライキリが依人のカムイを斬り得るか、それが気になる事ではあるのですが...... では、いざ...... 参るっっ」



 速い!!


 一瞬にして間合いが詰まり、ハルの眼球めがけて突きが繰り出される。受けて間合いをとるが、剣先が相当に離れても襲いかかって来る。

 刃長120センチメートル曲尺かねじゃくで約四尺。ちょっとした大太刀、斬馬刀である。

 だが目の前の少女は、自分の身長ほどもある刀をあたかも打刀のごとく振るい、突き放ち、斬り裂きに来る。その長大なリーチのおかげで、まったく近寄れないのだ。


 そしてその一振りひとふりも、決して我流、生兵法ではない。電撃が空気中を走るように鮮烈で、一挙手一投足が必殺の力を込めた一撃にして、一瞬の隙を生じさせず防御を欠かさない態勢だった。たとえ俺が悪神と呼ばれた暗殺者であろうと、そこに付け入る隙がない......!


 背中に背負う鞘が腰に回り、肉を断つのと変わらないような手並みで太刀が納まる。無骨で四角い、月と雁金を彫った鍔が大きな音を立て、「今、納刀したぞ」とハルの脳裏に念を伝えた。


 これを聞き思わず、自ら上段に構えて突っ込もうとするビジョンをハルは浮かべて、迷った。

 世界が無音となり、鍔の音がやまびこのように反響する。

 弧を描いた鞘の先が持ち上がり、ゆっくりとナターシャを円で包むかのように回っていく。


 ハルにはこの時、全てがゆっくりと止まっていくかのように見えたのだ。これは今まで生きてきたたったの12年間、それでも一度も感じたことのない感覚だったのだ。

 この予感に、思わず激昂せずにはいられなかったのだろうか。

 この俺に、死を予感させるなどとは............!!!




 正気に戻ってみれば、ハルの目の前には青白く光る刃の煌めきが見えた。そこに、紅く汚す濡れは付いていない。

 ...........その瞬間、茫然自失となったハルは何を考えていたのだろう。


 自分がまだ立っていること?

 目の前の少女の、美しくも凛とした表情の、内包する神威のごときおそろしさ?

 煌めき、閃く太刀の美しさと奇異さ。あるいはそれを握る小さな手と細腕の奇怪さ?

 再び雲間から覗いた二十五日月の、奇妙なほどの明るさ?

 冷たい夜風の、生暖かさ?

 刀を握りしめながら、ぶるぶると震える右手?

 そして握る刀が、真っ二つに折れて焼けていること......!?




бравоブラーバに驚きます。やはりあなたは武人としての素質を持ち、齢13にして一つの生存術として昇華させている」


「......?」

 彼女はロシア語で話しているのかと思うように、頭に言葉が入ってこない。


僭越せんえつながら、褒めているのですよ」

 そうはっきりと伝えると、鞠島ナターシャは雪面に正座し、太刀を置いた。

「血も涙もなく武にあらざる悪魔と思って、礼節を欠いた掛かり方をして申し訳ありません。ここに改めてお詫び致したい」


 いつの間にか小手の外れた細指が、白く深い雪の上にピタリとつき、手のひら全てをつけて彼女は深々と礼をした。



 これを見下ろし、ハルは右手に持つ折れた刀を意識する。ようやく付け入れる隙、どう殺そうか考えを巡らし始めた。


「そして申し込みたい。このナターリア・ヴァシリーシナ・マリシマ、ここに武人同士として貴殿 山中ハルユキに死合をどうか」


 顔を上げて懇願する顔を見て、ハルはなぜか右手を振り上げることができなかった。


 白金色プラチナブロンドの髪、灰青色ムーングレイの瞳。紛れもない東スラブ・ロシア系の彼女が、和武装に身を包み太刀を背負い、そしてその技量は一つの高みに達しようかというもの。それだけではなく心意気までもが、生真面目な武人であり女でもある。


 その少女のあり方にハルは、しずかな狂気を感じずにはいられなかった。

 彼自身、自分は狂気に包まれた人間だと思っていたようだ。目の前で標的を殺し、カムイに屠らせる、その殺人を殺人として遂行し、ゲームとして心のどこかで楽しんでいる。そのあり方は、彼自身の中でも狂気である。


 だがナターシャは、今から行う行為、殺し合いのことを『試合』といった。今も目の前で正座し、ハルが座り礼をするのを待っている。まるでその殺し合いを、一つの試合ゲームとしていながら、呼吸をする行為のように、なんとも思っていない当たり前のことと思っているように......!




 ハルは思わず切りかかっていた。

 折れた刀は、座りながらも鞘で受け止められ届いていない。

 ナターシャがその時にありながらも瞑想し、まるで無意識に反応したかのようだったので、ハルはより激昂した。


「それでいいのです」


 電光のごとき剣撃が、次々と重機関銃の弾丸となって襲いかかる。

 目の前の少女はまさしく能面を被った鬼だった。ハルの剣が中程から折れていようと構いなく、それが上位の者への礼儀と言い出しそうなほどに全力だった。

 サバイバルナイフを取り出して、とうとう両手で受けはじめる。するとさらに速くなる。

 一息入れたのを見計らい飛び退き、折れた刀を投げつける。それを弾いたのを見るや、投げナイフを六本一気に掴み同時に広範囲へ投げた。


 金属音が鳴り響いたと思えば、彼女の大太刀はすでに残心に入っていた。その足元にはナイフが無残に折れて散らばっている。

 瞑想するかのように残心し、呼吸に一抹の乱れもないナターシャとは裏腹に、ハルの呼吸は乱れっぱなしだった。



 武では勝てない。ならば、カムイで闘うのみよ......



 

「ここまでよくぞ、カムイを使いませんでしたね」


 心を見透かされたようだったが、今更驚かない。

「使わなかったんじゃない。使えないんだ」


 顕現させようと思えば、背中がオーバーヒートしたように熱くなる。まだハルの身体には、あの霊兎の剣が刺さっているのだ。


「ん? 何故なにゆえ


「どうせ知ってるだろう。三味線じゃない」


 ナターシャは首をかしげる。本当に知らないようだ。

 いや、むしろこれは...... 封印を解くためにセポを引き出し、殺させるための罠なのかもしれない。ハルはそう思ったようだ。


「悪いが、お前の狙ってる少女には義理立てがある。お前に殺させるわけにはいかないんだ」


「何をおっしゃっているか。私の主の命は、警察団の敵となった貴方を抹殺すること...... それ以上それ以下のものでもありません」


「ふざけやがって。奴らの尻拭いになんで猟師が出てくるんだ」


「貴方はウェンカムイを宿す依人。憑依しているしていないに関わらず、暴走する神威の退治は専門家たる私たちに回ってくるのです。私は貴方という、人の心を持った害獣と死合えればそれでいいのです。もっとも私の任務は、稔宮としのみや殿下の護衛...... 今回のイワミザワ・ビバイ・ツキガタの捕物動乱を俯瞰していた貴方は殿下がいらっしゃっていることを知らないはずはございません」


「......! そうか。それは余計に、早くあいつらも出立させないとダメだな。失念していたよ......。感謝するぜ、女」


「ええ。なので貴方を始末すればそれでいい、と言うのです」


「つまり、俺の相手はお前じゃねえってこった」



 ハルユキは勝負敵に、背を向けて全速力で走り出した。

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