3-9 追跡 Keseanpa
原田トモアツという名は偽り。
彼の記憶の中には、自分の名前に関するものはなかった。
最初の記憶は、冷たいコインロッカーで鳴き声をあげていたこと。それから後の記憶は、銃とナイフの扱い方を教育してもらったこと。さらに後の記憶は、自らの背中に怪物を植え付けられたこと。
[その怪物の名前は、ペポソインカラ。『水を通して見る』という名の通り、水中から人の姿を覗き悪さをする妖怪さ]
「つまりあなたは、その依人としての能力を暗殺に使うためだけに警察に教育されて来たってわけ?」
[それを不本意に思ったことはない。それもまたこの王国に貢献する、模範的なあり方だからだ]
わたしには考えられなかった。教育の自由も、施設の外へ好きに出る事も自分の将来を決める権利もない世界も。
それでも流れてくるトモアツの記憶には、一切の濁りがなかった。
「原田。お前の能力はなんなんだ。俺たちを殺そうとした目的も」
[さんざ味わったはずなんだがな。警視局捜査6課所属のインカラ部隊が君たちと接触しているという報を受け取っている]
「じゃあ、ナガヒサの部下とともにいた、あいつらか? 谷宮と俺を撃った......」
[おそらく、イワポソインカラ (岩を通して見る者)を宿した隊員だな。部隊に共通するのは、特定条件で発動する千里眼、気配遮断。ただし条件が違って、岩の近くで発動する者・草陰で・水中で、の三種類がいる。俺の能力は水中で発動するように出来ている]
「あまり市街地でかくれんぼするには向かない能力なのね」
[そうでもないな。ペポソインカラ隊は水さえあれば瞬時に気配遮断・視覚的にも光学的にも外界からカモフラージュできる。早い話が、ペットボトル500
「そんな奴がなぜ、キリトに後塵を拝したんだ」
[少々ドジったのさ。逃走中の上、君たちを尾行し、刺そうと思ったんだ。追跡を止めてもらおうと...... だが能力効果が切れ、セポのカムイに気配を察知された。そういうわけだ]
「隠れ鬼の最中だったって事か?」
[.........ああ。4時間前のことだ。イワミザワ地区でこれから起こる捕物の実況をするために警視局刑事部総務所属・インカラ部隊は放たれていたが、突然襲撃を受け壊滅した。6名のうち2名が無残に嬲り殺され、4名は逃走した]
「えっと、それはわたしたちを襲ったインカラ部隊とは別?」
[その通りだ。さて、その4名はどうなったと思う?]
「え? 何処へでも逃げ隠れできるんでしょ」
[2人一組で散り散りになって、それでも絶えず通信を取り合って現況を確認していた。まず、深手を負っていたもう一組の1人が息を引き取った。たった1人になったそいつが、イワミザワ警察本部に救援を求めに行くと交信した。ところが『一刻も早く逃走しろ』という号令とともにそいつとの交信は途絶えた]
「ん、んん?」
[わけがわからなかったが、それから3分と立たないうちに真相ははっきりした。
俺と一緒に行動していた相方が、気配遮断して水を補給しに行くと言い、目を離した隙に殺されたんだ]
「け、気配遮断していたのに?」
[彼は生きたまま、巨大な黒い熊に食われていた。不審だろう? 市街地の路地の深くに熊が出たんだ。まあそいつはこの世のものではないとすぐにわかった]
「え......、それであなたは1人逃れたってわけね......。仕事仲間が目の前で無惨に殺されて、さぞや悲しいでしょうに」
[その時何を考えてたかはわからん。涙の一つでもこぼしたか、あるいは冷や汗でも滝のように出したか、とにかく無我夢中で逃げたよ。まあこうして生きてるってことは、何か激しい感情の発露があって、自分が流した雫によって逃げられたのかもしれない、そう思ったんだけどね]
まるで三人称で自分を見て、自嘲してるようだ。原田トモアツと名乗る青年の違和感の正体が見え隠れする。
「谷宮。巨大な黒い熊と聞いて何か思い出さないか。俺はもう少しで何か思い浮かびそうなんだがはて、なんだったか.......」
「.........覚えてないの? まあ無理もないね。原田くんが襲われたその熊、あなたは見て、討ち倒しているはずよ」
「......いや、覚えてない。だが、そいつがあの、病院の前で出会った男のカムイなのか?」
頭を抱えるミラルとの会話に、原田くんが割り込む。
[その通りだと思う。あの冷酷で、それでいてどこか熱量のある顔は、よく目に焼け付くんじゃないか]
「確かに。それになんか、変な色気がある気がするけど」
目を閉じればすぐにその顔を思い浮かべられる。わたしはそうだが、ミラルは?
唸りを上げていたミラルが、声を高めて呟いた。
「山中...... ハルユキ!?」
[ああ、名前を知っていたか。間違いないだろう。実物は初めて見たが、そのあとに誦んじてみると恐ろしい響きだ]
「有名なの?」
[山の傭兵団長・元山マハワトの息子だ。無名なわけがない]
「全く聞いた事もなかったけど」
[そりゃそうだろうな。......あれを見た時どう思った? あの巨体、あの容貌。相当な手練れだと思ったんじゃないかな......
いや、わからないか。俺はいつか見た資料を、我が口で改めて誦んじ、疑ったさ。俺の計算が正しければ、彼はまだ12歳のはずなんだ]
「じゅ...... え、はあ!!? あの巨漢が!?」
外はだんだん風が強くなってきている。
確かにあの顔は、妙に脳裏に焼け付く。
色白な顔に二つ浮かぶ、光の差さない黒い瞳。その間にそびえる鼻や眉は、そういう定規か何かでスッと引かれたような曲線を描いていて、その線を威厳に満ちたシワが美しく歪めている。
ハルユキ。春雪......だろうか。漢字を当てるとするならば。春なのに、雪が降る。この北加伊道では別段珍しいことでもないけど、よく考えれば相容れない事象ふたつ。
少年でありながら、彼は殺しに手を染めた。だからこそその矛盾だらけの容貌は、印象に残ってしまうのだろう。
だが思い浮かべるほどにわたしは、誰かの顔を重ねて思い浮かべるのだった。
誰かに似ている。誰かに......。
「......だから気配遮断していたのにだろ? 身体を濡らした水の効能が切れなければキリトさんも察知できなかった。そうだろう?」
『実際、今の僕に原田くんの存在は追えない。かなり高度な気配遮断だ。それでもあの黒熊は、君をまだ追跡してるって言うのかい』
[そうでなければ仲間五人が殺されたことの説明がつかない。そしておそらくやつは君たちの追跡をしながら、俺のこともまだ追ってるはずなんだ]
「どうやって。匂いでか? ヒグマも嗅覚は鋭いって言うが」
[なあ、ミラル。サンケベツ事件の話を聞いたことはあるか]
「ん、なんだいきなり」
[知らないか。1915年12月、トママエ村サンケベツという集落で起こった殺しだよ。女性2人が殺害、1人が重症を負う。そして6歳・3歳の子供が2人ずつ殺された]
『極め付けには、腹にいた胎児までもが腹より掻き出され殺されてしまったというそうだよ』
「ひどいな......!! 人間のする所業じゃねえ」
[全く、その通りだったんだな。被害者はさっき言った女・子ども・胎児が8人、そして重傷を負った男が2人の、計10人。彼らを襲い殺人を犯したのは、巨大過ぎたために冬眠に失敗したヒグマだったんだ]
「いっ......」
[驚くだろう? そのヒグマはウリュウ・アサヒカワ・テシオでも女性を食い殺していた。サンケベツでも女性を執拗に狙い、遺体を集落に持ち去られれば棺桶をひっくり返して奪還しにきたっていうんだ。これは飢えて、人間の肉に味を占めたヒグマの生態なんだとさ]
『そう、そういう熊を、アイヌは
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