3-7 殺意 Raykeirenka

「......確かにそう言っていたな。そしてそう言われていたのにまさか、このまま無事に返してもらえるなんて思っていたのか?」


 警察病院には、医師も警察も、患者も看護師もいない。

 ナガヒサにそう告げられた時、わたしは鶴柾での一件を思い浮かべていた。

 二度もミラルを狙い追って来ていた、キムントミコロクルと名乗る傭兵。

 都内では、レツタが信頼していたユンさんを打ち倒し、鶴柾で傭兵団の長を裏切り殺したという男。

 そしてイワミザワ脱出を幇助してくれたトラックの中で感じた違和感と、病院に向かう車中でやっと連絡がついたレツタの第一声「おかしいぞ。俺たちがいることがバレているだろうに、地元警察団が全く動いてる気配がしねえ」。



 ......そしてツキガタ警察病院の門の目の前で、わたしたちの目の前に立ちはだかった男。


「谷宮セポ、そして村泉ミラル...... 間違いないな。皆、ご苦労だったな」


 わたしたちを置き去りにして、送りの警官たちが奥へと引き下がって行く。


「......ハメやがったな、あのパツキン」

 思わずなのか、ミラルの口調が荒ぐ。


「いや、ナガヒサは何も知らねえ。あの口からそう聞いてただろ、奴はお前らが警察団の手に渡るなどプライドが許さない男だって」


「どういうことよ。あなたは...... 何者なの」


「まだわからねえのか。俺が今や率いるキムンの傭兵たちは、イワミザワ警察団本部を手中に収めた。よく考えてみろ、お前たちはもはや、王の名元に生死を問わず捕らえるよう手配を受けている。そんなお前らがなぜイワミザワからいとも容易く脱出できたんだ」


 歩み寄ってくる、その男の身の丈は180糎を優に越える。ミラルを少し上回るぐらいだが、細身ながら整い絞られた筋骨、そしてただならぬ霊圧でミラルを圧倒していた。

 


「警察団は早朝よりイワミザワ市内で捕り物をすべく、検問まで張りまくっていた。ところが奴らの目には職務しか映っていなかったようだな、それ以前から俺らのスパイが入り込んでいたことにも気づかず、全く襲撃にも無警戒だった」


「なに......? 何!?」


「まあ、イワミザワはすでに俺の手中にあったということだ。そして俺は、昨日の夜にカムイを殺され、追跡手段をすっかり失っていた。そこをうまく捜査6課どもが見つけ出してくれた上、派手にドンパチやってくれたおかげで何の困難もなく見物できたわ」


「全てはお前の手の内...... ということか」


 どんどんとわたしたちの前に歩み寄って来る。

 ミラルは、わたしを隠すように一歩前に歩み出た。だが......


「ミラル。その汗は......」


「逃げろ谷宮。すげえな...... 凍えるほど寒いのに汗が出る」


 ミラルを見上げた先に映った、黒髪黒目の男の視線を見てしまった。そうして、ミラルのその、焦りの理由を知った。

 背中にツーっと一筋、冷たいものが走る。例えるなら、学校の授業でスキーに行った快晴の昼方、真ん中に首穴を開けた特製ガーゼのタオルを下着の下に着忘れた日。日差しの熱で滝のような、暖かい汗が背筋を通り抜けていく感覚...... それを思い出した。

 いや、違う。その汗は熱を全く帯びていないし、その黒目がちな眼差しは、真冬真昼の太陽のように鋭いが熱くはない。むしろ真冬朝方の太陽の、鋭く恐ろしいほどに冷たい眼差し......... いやいやいや。そんな、なまっちょろいもんじゃない。


 わたしは何度か思いを巡らせて、言葉を尽くすより的確な一語の表現を思いついた。

 「殺意」だ。

 その鋭さ、冷たさの正体は殺意であった。


「村泉ミラル。一度パンツを調べるといい。股間の汗かと思ったら失禁してた、ということがよくあるらしい。俺の前だと」


「気遣いありがとう。どうやら...... 大丈夫みたいだ」


「そうか。やはりお前は...... 何かが違うな。ナガヒサが部下に迎え入れようとした気持ちもよくわかる。それに免じて、セポには手を出さないでおこう。俺は、お前の力を手に入れられればそれでいい。生死は問わない」



「は... ははは。俺が断れば? 俺の狼神オンルブシカムイが牙を向けば?」


 そのミラルの顔は...... ナガヒサに説教されていた時から変わっていない。立ち向かう意思を見せていても、いつか見た決意に満ちたあの面影はなかった。


「セポに手を出さないと言っても? お前が俺に逆らう理由などあるのか?」


「.......それは......」


「お前に、目の前の障害をはねのける決意と覚悟はもうない。それとも、神意を持ったフクロウと、彼女に頼らない手段と力があるのか?」


「..........お前」


「もう一度見せてみろよ。俺と、俺のカムイを何度も滅ぼせるあの力を」



 わたしはこういう時、なんて軽率なんだろう。

 気がつけば、おぼつかない怪我した足を引きずり、彼の手を引いて逃げていた。


「谷宮...... 何を......」


 ああ! ていうか、軽率どころの話じゃないべ。

 そのポカンとした顔を、平手打ちで殴った。


「どうしたの! あれから...... あんたおかしいよ!!」


「.........」


「ナガヒサに何を吹き込まれたか知らないけど、おかしいよ。あんたはあいつのカムイを倒しているのに!!」


「......誤解だ。谷宮」


「何がっ」


「俺は、自分の手では何もできない男だ。お前をカムイコタンに......」

 聞くまでもなく、また平手打ちを浴びせる。

「......! ここで喧嘩してる場合じゃない。お前は逃げろ!」


は逃げて、あんたはどうする気なのよ!! わたしを助けるためにどうせあいつの前で土下座するんでしょ」


「言い過ぎだ、俺はただ......」


「バカじゃないの!? そしたらわたしはどうすればいいのさ。誰のためにここまで来てると思ってんの......!!」


「馬鹿はお前だ。これ以上正しいかどうかわからないことに命をかけるんじゃねえ......!!」

 語気を荒げた彼の瞳には、一種の決意を感じた。

 迷いながらも、彼は一つの道を選択しようとしているのだ。


 わたしは軽率だ。わたしを守るために、そして正義とやらのために選択をしようとしている人を、わたしは止める資格があるのだろうか。



『セポ...... 勝手に顕現していいだろうか』


「ん? いや、何か......」


 突然首の後ろから、人型のキリトが飛び出す。そしてわたしの背後で、大剣を振り下ろしたのだ。


「なんだそいつは」


『こいつ、セポを捕らえようとしていたぞ、明らかに。軽く眠らせて、おまけに封印もしておいた』

「えっ、あ、ありがとう。」


右手に拳銃、左手にナイフを持ったその男が、背後でビクンビクンとしながら倒れている。よく見るとそいつは、わたしたちと歳が変わらなそうな容姿をしていた。

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