3-5 正義 Oupeka
瓦礫の中で、埃と土だらけになって灰色の髪の青年は倒れていた。
その腕を掴み、ナガヒサが助け起こす。
「村泉ミラル...... さっきまでの威勢はどうしたのかね」
「わかんねえな......こんなに街並みを破壊して、部下を野放しにして、たかが子供にここまで......お前...... 本当に警察かよ」
「青いな。私にお前達を力づくでも保護する以外の選択肢はない。そしてお前達にも私の元に下る以外の選択肢はない。全てが正義...... それを成すための手段として全てが正しい」
「......狂ってる。俺はともかく、それでセポやあの部下達や誰かが傷つくなら、お前は悪じゃないのか!」
「お前は、ここまで近くにいながら、私に目を背けているのかな? 私の腹を見ろ!」
白い色の肌に浮かび上がるシックスパック。その右側の腹筋は少し欠け、縫合痕がうねっていた。
「呪術師の依人。何年前だったかな......? 潜り込んだ途端拘束され、俺の腸は幾分か切り取られ喰われた。その時に薬漬けにされた経験もある。
その任務を遂行してからかな...... 次の任務では、髪を
その幾つ後の任務では瞳を青に変えた。人質を守って弾丸を受け、生死をさまよった。
全て課長になる前の下積み時代だ。そんな経験、あの部下達は未だに負っていない。だがどんなに俺やハタが傷つこうと、どんなに出世させられようと、俺には為すべき正義があるだけだ!! 」
「......!! いや、それでもお前は間違っている!! お前は自己犠牲と献身によって大多数を救おうとしているが、そのために少数を切り捨ててる。結局お前がやってることは、お前を諧謔した奴らを俺にしようとしているだけだ!!
もし俺が手加減しなければ、レアン・ナギ、あの部下達は死んでいた...... お前が死の危険に晒したんだぞ! お前はあいつらを使い捨てようとしたのに、俺を使い捨てないと約束できるのか!?」
「......ッッ!!」
ナガヒサは拳を振り上げる。その覇気に思わずミラルは目を瞑った。
だが、ナガヒサが殴ったのは山の瓦礫だった。そのコンクリート片は凹み、ヒビを走らせている。
「......やはり君は、私と話し合うに能う男だ。その正義の煌めきは妬ましいほどだよ。だが、お前もいつか知ってしまうんだ...... 私のように」
「ッ...... 何をだっ!」
「そう苛立つな。紅茶を飲もう」
「なっ...... ふざけるな!!」
ミラルはナガヒサの頬へ殴りかかった。男は避けるそぶりも、盾で守ることもせず喰らうが、全く動かなかった。
「お前を見ていると、若い頃の私はこんな感じだったのだろうか、と思うんだ。アイヌの英雄たる高祖父の子孫として使命感に燃え、いつも苛立っていた。そんな私にオリガは紅茶を片手に、いつも私の愚図を聞いてくれた。人と対話することの大事さを説いてくれたんだ」
「......オリガ?」
「見たまえ、薬指だ。私が買って、与えようと思っていた指輪。これは私の分、もう一つは今ネックレスにしている。彼女が私を本当に愛してくれていたのか、今となってはもうわからない。
かつて逮捕し、執行した依人...... 確か瞳を青くした時の奴だったかな。その子分に彼女はさらわれ、殺されてしまったのさ。
今でも夢に見るよ。私の目の前で、頭に大輪のバラを咲かせて、声も上げずに倒れたオリガの姿。そして次の瞬間には、その子分も死んでいたよ。わかるね......もちろん、私が殺したさ。
そうして怒り狂った私は現場で、予告を受けていたにもかかわらず誘拐を防げなかった警視局員達をいたぶりまくった。四人が重体、そのうち三人は死んだ。あと幾人が怪我を負ったか...... もう思い出そうと思っても思い出せない」
凍結能力を死力を尽くして使いまくり、その身体中が熱を帯びたというのにミラルは、悪寒が走ったのだという。
それでもナガヒサの顔には、哀愁も憎悪の闇もない。自らの行いこそ正義だと信じてやまない、真っ白な光。狂気とも取れるその光を感じ、ミラルは心底震え上がり、だが一方で煮え繰り返りそうになっていた。
「いつか知る。私は、何人もの人間をぶち込んできた豚箱で知ったよ。
大多数の正義は一人の魂であろうと為せる。だが、少数への正義は千人の魂であろうと為せないのだ。
たとえオリガを生かせたとしても、彼女は私から離れていっただろう。彼女を殺した人間は、扶養者を失い社会的立場も失い生活に困窮していた。子分にとっての正義を、大多数の正義のために私は奪ったのだ」
「......同情はするさ。だがやっぱりお前は頭おかしいんじゃないか。なぜ、誰かにとってのオリガを守ろうと思わない!?」
そういってミラルは瓦礫の中から立ち上がり、膝をついて屈むナガヒサをまた殴った。
「正味、怖いのかもしれないな。守ろうと思ったもの、守ったもの。それが私の目の前で奪われることが。
仕事柄だ、私は憎まれるのには慣れっこだ。だが守りたいものが憎しみを受け、いつか奪われることは恐ろしい。ならば、自分の為ではなく、一人でも誰かが救われる方向に行きたい。その為には少数ではなく大多数、国を守ることが私の使命なのだ。
お前達が誰かの正義を奪って歩く前に、更生させるのだ。それが私の使命なのだよ!!!」
ナガヒサも立ち上がると、ミラルの胸ぐらを掴み持ち上げた。
「私の目が黒かろうと白かろうと、お前は自分の正義のために誰かを傷つけないと約束できるか!?」
「ッッッ...... わかった...... 俺の.........」
「ハッハッハ、わかればいいんだ!! さあ、お茶をしよう。君となら楽しく話せ......」
「ミラルを放せぇぇぇぇっ!!」
霊撃をまとった剣をナガヒサの空中から浴びせる。だが非実体の剣は非実体の盾に防がれた。
『うっ...... うわああっ、ものすごい勢いで弾かれる!!!』
「マジで!? うわあああっ」
衝撃波と振動がわたしの体を揺さぶり、ものすごい勢いで吹き飛ばされていった。
不安定な足場に着地すると、その目の前にすでにナガヒサがいた。
なんの構えもせず立ちはだかる巨体に、剣を抜く動作をしキリトに斬りかからせる。すると今度は、盾に弾かれ人型のキリトだけが吹き飛んでいった。
「君に言って聞かせるのを忘れていたな。だが心配はいらない。君の友達についていけばいいだけだ」
焦ってわたしは思わず、ナガヒサに金的を喰らわせていたが、彼は全く仁王立ちのままだった。
「残念ながら私はキンタマを失くしてしまっていてね。まあどうでもいいか。君が抵抗するメリットはないし、君を殴るメリットも私にはない。お茶しようじゃないか、ゆっくり......」
わたしも気づかぬ間に、キリトがナガヒサの背後に回り込んでいた。
だが彼の放った剣撃は、全くノーモーションで受け止められてしまっていた。
「......いや、そうだな。君の小さきカムイを大人しくさせるためには、どうすればいいかな」
あまりの恐怖に、視界が彩度をどんどん失っていく。その巨大な右掌が、ダウンの襟元を掴んで持ち上げたのだ。
わたしの視界の向こうで、氷柱弾が盾へと炸裂する。
「やめろ!! 俺が説得する。谷宮を離せ!!!」
「ダメよ。こんな奴の言うことを聞いちゃダメ......!!」
「だが......」
「だが、何よ!! わたしはどうでもいいかもしれない。けどレツタは!? ユンさんは!? 砂澤教授に、柾岡さんの死はどうなるの!!? あの人達の善意を裏切って、あんたはどうのうのうと生きていくの!?」
「......そんなこと考えたらダメだ。ナガヒサ、谷宮を離せ。彼女の家に帰してあげてくれ。俺は......」
「わたしは逃げない......!! ミラルを守るの、あなたを守りたいだけなの!! そのためにはこの身がどうなろうと構わない!!!」
「......」
「.........ウッ」
「えっ、何こいつ。泣いてるの?」
わたしの身体を下ろした半裸の巨漢は、大粒の涙を流して嗚咽を漏らしていた。
「やはり君にも、正義と決意の光はあった。ううう、妬ましいほどに美しく、私と同じ光...... お嬢さん、教えてあげよう。我ら依人には、人間の決意によって力を増すカムイの加護がある......」
隙ありとみたわたしに呼応し、キリトがトゥプキラウカムイに斬りかかる。あらゆる方向に瞬間移動し切り掛かり斬りかかる。だがそれでも、双盾はビクともしないようだ。
「信仰とは欺瞞ではない。そのものの生きた道と福音を追い、自分なりの正義を追い求める生産的な試みだ。そしてその心には決意が満ちている。それこそがカムイの力なのだ。その光と力、やはり私は守りたいのだ。そう、この身がどんなに傷つこうと......!!」
そしてそのナガヒサの決意に呼応するように双頭の雄鹿が咆哮した。
『Brrrrruuuuaahhhhhhhhhhhh!!!!』
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