2-7 丹頂 Sarorun-Kamuy

「お、来たか。おはよう」

 真っ白な雪で覆われ、ただの雪野原となった田園の間を縫う車道。そのの真ん中にたたずむ黒服の男に、若い顔をした黒服の男が敬礼をした。


「ロードブロック展開位置はここでよかったか?」


「周知の通りです。ここが逃走路の第2候補となる見込みです」


「車両はあと5分で到着する見込みだとさ。みんなこんな早朝から召集されて大変だろうに」


「ということは弾器ハジキの支給も5分後でしょうか」


「まあ、今回の託務はおかみ直接の特命だから、回りくどいことは言われないだろう。それよりも正月から経たないこの火曜日にも関わらず召集されて、皆文句も言わずキビキビと働いてくれるが、シキョク(警視局)の奴らと比べて初動が遅れたとは思わないか。これでもしもう近辺にいないとすれば......」


「可能性はありますね。ただ特命はソラチ州全域の警察団に渡っております」


「ふん、聞けばもう行動に移しているのはイワミザワだけみたいじゃないか。まあ新年早々、暴動多発、”ウェンカムイ”が多数出没しているこの状況でよくもまあどこも働いてくれるものさ。ねぎらってやってくれ」


「......かしこまりました。連隊長からと伝えておきます」



 二人の警察団員は気づかなかったのだろうか。田園の雪をゆっくりと踏みしめ、近く黒い暗殺者たちの影を......


「俺も、これから娘にスキーを教えるつもりだったのになあ。お前も嫁にサービスしてやらなきゃならなかったんじゃないのか」


「...... しかし災難は続くものですね、聞く話によればキムント...」

 二人の大の男が、なすすべもなく取り押さえられ、車道の外の灌漑の方へ引きずられる。その後を、わたしたちを乗せたトラックは走り去った。



「ヒグマは臆病で温厚な動物だ。食料のほとんどを団栗や昆虫に依存するほど...... だが、一度ひとたび恐るべき狩猟者ハンターとなる。......身に沁みてわかっているだろうな」


「ええ。とても」

 カイトはそう言いながら、ハルユキに向かい作りものにも見える笑顔を浮かべた。


「大きな肉球は、雪上で音を立てない。肩と腕は骨が引っかからず筋だけで繋がり、大きな爪の付いた重い腕を遠心力で振り回す。ボウリングの玉を噛み砕く牙、時速60キロメートルで走る速力、狩猟者を知能で逆襲する頭脳、そして味を占めればそれを積極的に狙う執着の強さ、諸々全て理解しているか」


「勿論。だからこそあなた方はその力を身を宿すことを欲し、王宮と貴族たちは傭兵として取り込み、わたしはあなたの従者となった。そうではないのですか」


「......だが皆軽視する。臆病で、温厚で、愛らしい”どうぶつ”と。お前もそうじゃないのか、”狸”?」


「何のことだか。わたしは今から三度みたび目撃するのですよ、あなたの憑神の、恐るべき追跡能力を...... 軽視するなど」


「まだ俺のバケモノの傷は癒えない。だが、今からも奴は血に飢えてる...... 早く鎮めてやらなければ俺の精神が持たないかもしれない」


「治るまでの間、見物していましょうか。もうここらには”鹿供”の群が紛れ込んでいる。奴らがあの”狼”にあたうか、そして狼は、果たして悪神羆あなたに能うか......」




「あの宿はどうでした? なかなかいいとこだったでしょう?」


「ええ、もう2,3年は居たいぐらい......」


「年単位かいっ」


 ツキガタに向かう車中、運ちゃんと3人で馬鹿話に花咲く。

「家具も調度も綺麗だったな...... ところどころ鶴の意匠があるのも。そして露天風呂。俺の近くに風呂屋も露天付きの温泉もたくさんあるが、あそこまで落ち着いたセンスのあるところもなかなかない」


「なんか鶴の意匠がいっぱいあったよね。名前も『鶴柾』だったし......」


「鶴に凝ってる由来は聞いたかい? いや、なかなか一見さんには話さないでしょうか......」


「加藤さんはご存知で」


「俺が直接聞いたわけじゃないんですがね...... そうそう、クシロの方に湿原があるでしょう」


「......? ありますよね。丹頂鶴が飛来するっていう」


「これは日本人が開拓するよりずっと前の話なんですが、ここら一帯は湿原だったんですよ」


「ここら一帯って......?」


ですよ。今ではクシロ湿原が国内最大の湿原ってことになってますが、それ以前にイシカリ湿原はその3倍強の面積があったそうなんですよ。 だがご存知の通り開拓によって湿地や泥炭地は農地に変えられ、今は平野としてすっかり消失してしまった。クシロの鶴たちはイシカリ湿原から移り住んだという話ですよ」


「そうか、言われてみればそうですよね。石狩川流域にはアイヌの集落コタンは少なかった...... アイヌは湿地を嫌ったから」

 わたしは変に納得する。


「アイヌはあまり丹頂鶴を好んでどうこうするとはしなかったそうな。ただ日本人たちが好むので、いつしか『サロルンカムイ』と呼ばれるほどに信仰を集め、舞踊に取り入れられ、人気の交易品として取引した。ここからは更に確かな話ではないんですが、湿地帯にはそれで利益を得るべく集まった、主に貧しい女性たちが『鶴の神様サロルンカムイ』の巫女となって集落を形成し、屯田兵たちを慰めたとか」


「巫女...... つまり依人だろうか」

「そうみたいね」


「ですが湿原が消えていくごとに、信仰の対象である鶴はいなくなっていった。それに伴って多くの巫女たちはクシロへと旅立っていったが、当然残った者もいた。そんな人たちを初代の柾岡さんは世話し、そのために自らの旅館まで建てて養ったという話です」


「へええええ。面白い話を聞いた」


「3代目、今の柾岡さんがレジスタンスの元締めになったのも、祖父の遺志を汲んでのことだそうです。悲しくて当たり前のことですが、弱い人々の権益が脅かされるのがこの地の常。だから嫁のためだけでなく、世話になってきた人たちへの恩返しがしたい...... 嫁さんがお亡くなりになられてからも、そう言って老体ながら頑張ってるんですよ。あの人は偉いと思ってます、俺は。早くまた顔を出したいな」


「.........」

「...そうですね。今度顔を出してあげてください。きっと喜びます」


 そうわたしが言っても、ミラルは俯いて目を閉じ、微笑むだけだった。

 不思議と言えなかった。そんな人が、無残に殺された、なんて。

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