2-5 月吼 Wose

「レッツ、行き先はあるんでしょうね!?」


「無いと言ったら怒るだろう!? 官憲が嗅ぎつけるのが異常に早いんだよ!」


「はぁ? また限界まで逃避行なの!?」


 私とレツタで口喧嘩していると、ミラルが割り込んできた。

「ユンさんはどこにいる?」


「宿に残って従業員を守ってるはずだ。まあキムン傭兵団はそのうち諦めて俺らの捜索に回ってくるだろうよ」


「そうか...... だが柾岡さんは......」



 ゴツッ!!


 車が真正面から何かにぶつかった。


「ちょっと、前ぐらい見てなさいよ」


「いや、何にぶつかってんだこの夜道の真ん中で」


「何ってレツタ、その黒いのが見えないの?」


「黒いの?この道には何にも無いぜ...!?」


 レツタなりに気配を感じたのだろう。彼が車外へ飛び出すその突如、フロントガラスが砕け散った。


「降りろ!なんかいる!!」


「なんかって、真面に見えないのか!?」



 その影は、次にボンネットに腕を水平に払った。その一撃でまるで映画のようにエンジンが爆発し、食パンのようなその四角いボディの前側ははシワを寄せて潰れた。



「あああ...... コウタの下がりものなのによ......」


「見える?レツタ。あそこにいる...」


「お前ら二人は見えんのか。...なんかいるのはわかるんだが」


 その影はゆっくりと前脚を地につけ、こっちを睨んだ。いんまそれが叩き潰したUAZ452に劣らぬ大きさの、ライトにも照らされない黒いヒグマだった。


「そのまま、ずっと睨んでるんだ。なんだかわからんが、幽霊でもヒグマには変わらんだろう...ひるまずとにかくにらみつけるんだ」


「...」


 虚空を照らしながらずっと睨んでいたら、黒い影がニッとほくそ笑んだ気がした。


「っ、たっ、立った!?」


「怯むなって言ってたでしょう、あんた!」


 その瞬間、影の熊は後脚を蹴り出し、前に出ていたレツタへと飛びかかってきた。


「う、うぉぉぉっ」

 思わずレツタは拳銃を抜き、撃ち放った。

 弾丸は目に命中したようで、黒い血が飛び散ったのが見えた。


「あ、当たった!!」


「ま、マジ?闇雲に撃ったのに」


 だが目の前から熊は消失していた。

 ミラルがすかさず後ろへと振り向いた。その視線の方角には確かに影の熊が見えた。


「というか、幽霊に弾丸が当たるものか?」


「わかんないよ、でも目は治ってる」


 不可解な獣と睨み合っていると、トゥイエカムイサラナが話しかけてきた。

『セポ。わかっているだろうがそいつは野獣ではない』


「わかってるって。どうすればいいの」


『恐ろしく強大な力を得たカムイだ。おそらくその依り代はあの傭兵の少年...』


「またミラルに取り憑いたやつを追い払ったようにすればいいんじゃないの」



 バキリバキバキ、その音が暗闇に響き、皆驚いて意識がそっちへ移ってしまった。

 当然影は飛びかかってきた...!



『簡単に云うな』



 ウサギが私の左肩から飛び出す。彼の額に文字のような、チヂリ(刺繍の入った黒木綿衣)の文様のようなのが光って浮かび上がり、閃光を放った。


 光が宵闇を切り裂き、クマの吠える声が耳をつんざく。


『セポ!走るように言え!!こいつ...しぶといっ』


 突然閃光を目に受け混乱するレツタと、身構えているミラルに呼びかけ、夜道を駆ける。

 すぐさまイクシュンベツ川ほとりの防風林へと逃げ込む。


『木には登るな。でかい図体して空中も動けるようだ。とにかくやつを退けるにはあの少年を倒すしかない』



「セポ、あいつすごい勢いで追跡してくるぞ」

 ミラルは目を潰されたレツタの手を引いている。


「あんたも何とかしてよ!あの狼を使役つかって」


『それは危険だミラル、依人として目覚めるのに君は遅すぎる、何が起こるかわからないぞ』


「セポ!前だ!あいつ、もう追いついてやがった!!」


 立ち止まる二人+役立たず。

 飢えたように荒い息を吐き、立ちはだかる熊。


『【はらえ印打いんうち】は本体が近くにいなければ効果がない。今の僕にできるのはここまでだ』


「こっ、このクソウサギ......」


「俺に......できることは......」


 ぶつぶつとミラルが何かを話し始めた。

 まるで何かに応えるように。


『ミラルの胸を見てくれ。ちょうど僕がいんを打ったところだ』


 仄かに白熱灯のように光っていた。

 二人とも意識がそれにいっているが、熊はその光を警戒しているのか襲ってはこなかった。


『昨日モーテルから逃げるときにはらえを打ち直してから1日だ。もう効果が薄れることだろう。』



 ミラルは胸に手を当て、歌うようにつぶやいた。



『エ・ンニカメス、ヤン』「来たれ、俺のカムイ!」



 瞬間、青白い光と寒気と地吹雪がミラルを包んだ。


『オンルブシカムイが封印を自力で破った。出てくるぞ』


 わたしはミラルから離れると彼は振り向き、もっと退がれと目配せする。そのオオカミのような小さな瞳は黄金の光を放っていた。



 地吹雪がミラルにまとわり、銀色の身体を構成していく。


 180cmあるミラルの巨体よりはるかに巨大なオオカミの姿。


 銀色の毛並みに、胸に打たれた印と同じ文様が背中から尻尾にかけて続いている。足は先端に至るにつれて影のように黒く不明瞭で、目は黄金のごとく琥珀色、体の所々の皮の隙間から金色の光が漏れて目と共に光っている。



 その姿を見て、影のように不明瞭な姿で浮かんでいた熊は、はっきりと姿を現した。その過程で、さっきまでの2mほどかという大きさから、3mの大きさになっていた。

 ブラシのように固まった黒毛、皮の隙間から漏れ出る光は赤、その光が文様のようになっていた。

 足はオンルブシカムイと相変わらず黒く不明瞭だが、突き出した爪は刃物のように無慈悲な光沢を持っていた。

 立ち上がると、私たち2人+1人と、2匹を威嚇するように吠える。



『Grrrrrrrrrrrrrww!!!!』



 だが熊も、それに応答するようなオンルブシカムイの咆哮に慄いた。



『Rrrroarrrrrrrr!!!!!』



 その一声で、わたしは木々のざわめきが止まったように思えた。

 ただ月の光が注ぐだけで、林のすべてが戦慄し黙ったように思えた。


 その咆哮で舞い上がった地吹雪を浴びて、熊の体は凍りついていた。

 動けないその体にオオカミが飛びかかる。

 首根に噛みつき、熊は黒い煙を上げて消えていった。


「やったの?」


『いや、形を変えただけだ...まだ何かがくるぞ!!』


「ミラル、気をつけて......っ!?」


 その熊は次に右側から現れた。

 のしり、のしりと熊の影したものがくるが、それに遅れて河畔林がなぎ倒されていく。

 金属にように光るものが木々を切り裂きなぎ倒しているのだ、なんだろう...!?


 わたしはその瞬間絶句した。銀色に輝くオンルブシの光に照らされた影のように、熊の体の後ろから黒い手と巨大な刃物のついた触手の塊のようなものが引きずられてきていたのだ。

 その手と刃物がヌチャヌチャという音を立てて伸びてくる...!


『確信したよ。こいつはキムンカムイじゃない。悪神となったウェン・キムンカムイだ!!』


 そしてオンルブシカムイが空中を飛び、巨大な影へと向かう...


「うっ、ううううう!!」


 突然ミラルが頭を押さえて雪の積もった地面に倒れ伏す。

「大丈夫かミっ... ひいぃぃぃぃ!?」


 助け起こしたレツタが変な声を上げる。

 ミラルは頭から、ドロドロとした黒い粘性のある液体をしたたらせていた。


『やはりか...... オンルブシカムイが暴走を始めたようだ......!?』


 鉄面皮のウサギでも、なんとなく目を見開くように驚いていたのがわかった。


 オンルブシカムイの体を突き破って、これまた黒い手が現れる。



「うぎっ、ぅぅぅぅううああああああ!!!!!」



 オオカミの大きな口を開けると、そこから二つの人間の足のようなものが飛び出し、オオカミの体を破裂させて顕現した。


『なんだあれは......! アイヌ...ラックル!?』


 それは熊とも、鹿ともつかない、鉄の頭蓋骨を被った人の形だった。

 その頭と、羽織っている真っ黒な外套、そしてどこからか取り出した長い剣身、それ以外が人の形をなしてやっぱり不明瞭な影。


 双刃もろはの剣には狼、二匹の龍、虎の飾りが描かれ、それが月光のように輝いていた。


 その化け物は一瞬で、ウェン・キムンカムイの触手の中に飲み込まれたが、剣の一振りがその影を両断する。

 暴れるウェンカムイを小さな手と三本の足で押さえつけ、引きちぎり、切り裂いた。雪の上に黒い液体が飛び散り、やがて消えていく。

 林の天井が、木々がなぎ倒されてぽっかりと穴が開いて月光が冷たく注いでいる。


「Grrrrrroarrrrrrrrrrrr!!!!」


 そうえると、人の姿をした化け物は剣を月に掲げ、また消えていった。



「なに、今の...... ミラル? 大丈夫、ミラル!?」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る