2-2 刺青 Nuye

鶴柾つるまさ?」

 車窓から見えた看板の文字を見て、わたしは口唱する。


「名前は聞いたことあるんじゃないべか? 有名なとこだ」


「ここで一番大きな旅館じゃない。大丈夫なの、こんな目立つところで」


「目立つには目立つなりのワケってのがあるんだぜ、セポやん」


「だって。知ってる? ミラル」


「鶴正はイワミザワレジスタンスの根拠地って聞いたことがあるな」


「そーうそう。まあ言ってみりゃそこの旅館主おっさんはここイワミザワ地区の総長な訳で。どんなに目立つほどドンと構えてようが、私兵も持ってるからそうそう官憲や役人は手を出してこないってワケだ」


「物騒ねえ......」


「この国で、温室の中でぬくぬくしてたのはサッポロだけなんだよ。どこもかしこもレジスタンスとポリスメンがドンパチやってて、農民や商人はいっつもそれに巻き込まれてんのさ」


「知らなかったなぁ...... おばあちゃんやレイコさんは無事なんだろうか」


「連絡取ってないのか?」

 ミラルが聞いてくる。彼は以前、唯一の身寄りである叔父が度々連絡を寄越してきて煩い、と言っていたことがある。


「みんなわたしは放っておいた方がうまくやっていくと思っていたからかな。父さんも母さんも基本放任主義だったし。お手伝いのレイコさんはたまにすごくうやうやしく連絡してくるけど」


 そうこう言っているうちにバンは駐車場に着き、さっさと降りていく。


「レツタ、アサヒカワの情勢はどうとかって聞いてるの?」


「ん? ああ、アサヒカワはかなり警察団が有利だからな。アサヒカワ警察が独自に施政をってるぐらいに。だからなかなか平和だよ。そもそも今んとこドンパチパチやってるのはソラチ州からヒダカ州ぐらいのもんだ」


「だとしたらわたしたち、アサヒカワ方面に行ったらやばいんじゃ...」


「いらっしゃいませ。砂澤様ですね、お待ちしておりました」


 仲居さんおよそ8名の出迎えを受けて、思わず一同ドキッとしてしまう。それよりビックリしたのは、玄関口に立ちはだかる壮齢の男であった。


 近づいていくうちに、思ったよりも身長が低いことに気づく。170に少し満たないぐらいか。かと行って体格がいいわけでもなく、黒い花菱柄のひとえ着物を盛大に着崩して見えているほどの痩身。

 小町鼠ロマンスグレーになった髪がよく似合う、いかにも昔ながらの日本任侠という男である。その漂う気迫から、わたしは実際よりも大きく見ていたのだろうか。


「いよーぉレツタぁ!おおきくなったでねえかこのクソ小僧!」

 満面の笑みで肩を叩いて、レッツは盛大にむせる。

 この痩身で、ひとえ一枚で玄関口まで出ているのに、全くもって寒そうに見えない。対してその男と応対するレッツは、漫画的な汗をかきながら凍えそうな気分を醸し出している。


「先に部屋に入っててくれ。俺はおっさんと話してる」


「おっ、見かけない奴がいるな。隠し子か」


「あんたじゃないんですから。それにこれでも俺もう22なんですよ」


「いいじゃねえか。俺もお前ぐらいの頃には8つになる子どもがな......」


「......紹介しますよ。北帝大から連れてきた奴らで、男の方が村泉ミラル、女の方が谷宮セポです」


 ......わたしとしたことが、挨拶してなかったか。

「お世話になります」

「お世話になります」


「おう。ゆっくりしていけや、吟醸は呑むか?」


「え? いや、好んでは......」


「遠慮すんじゃねえ、何も来やしねえよ。レツタと違って行儀の良さそうな奴らだな、さすがは北大生か」


「おい。俺も北大なんすけど」


「見えねえよなぁ、こんなどっからどう見てもクソガキって奴が! ハハハハハハハ」


 思わずうちに二人とも笑うと、レッツの顔がどんどん苦々しくなっていく。

 近くで見ると、裾の胸から丹頂鶴の刺青いれずみがチラリと覗いた。明らかにヤクザ者という男なのに、話すと普通の好々爺である。この男こそが宿主であり、レジスタンスの総長と呼ばれる男なのだと体で理解した。




 レツタは浴衣姿で、コーヒー牛乳を飲み干し、ピースのライトに火をつけるとこう話をいだ。


「日帝時代...... ああ、お前らなら明治時代と言ってもわかるか。初代、柾岡まさおかリョウはオタルで舟仕事をやってたそうだ。生計を立てるとイワミザワに移り宿場と浴場を経営してボロ儲けして、今の3代目柾岡リョウに至る、ってわけだ。そういうヤクザ者はいっぱいいたらしいな。まあそんな中でもおっさんの先祖は成功したってわけだ」


「へえ。もしかしてミラルの先祖ってヤクザ?」


「俺の親父もお袋もアイヌと日本人のハーフだった。その中にヤクザがいるって話も聞いたことがないんだよな」


「じゃあその背中の刺青は?」


 風呂上がりのまだ少しばかりで、ミラルはタンクトップに、肩にタオルを掛けたラフな姿で私の横に座っている。

 タンクトップからはみ出して見える刺青は、柾岡の和彫のそれとは違う、所謂トライバル柄だった。

 青黒く変色し色あせているが、アイヌ特有の文様がアレンジされ、洒落た装飾になっている。先刻さっきタンクトップを脱いでもらって全体を見ると、それは閉口して静かに威嚇するオオカミを形取っていた。


「俺の親父は猟師だったんだけど、その先祖から伝わるお守りとして背中に刺青を入れたらしい。それと同じやつを叔父から伝え聞いて入れている」


「なんというか、現代的でカッコいいよね。アレンジが入ってるんだ」


「いや、もともとこういう柄だったくさい。親父以前はどういうものだったか、今となってはもう知りようがないからわからないんだけどな」


『アイヌにとって刺青ヌイェ......時に「身に文をしるす」と書いて文身と表現されるが...... は魔除けの意味や、元服げんぷくの証の意味を持っていた。ちょうどアセアニア連合のポリネシア島の原住民や、ニュージーランドのマオリ族が持っていた風習のようにね。セポの曽祖母の遺影にも、口元に髭のような文身をしていたのがあったな』


「そういえばそうだね。そういうのが一番よく見るけど...... って、キリトいたの」


 思えば、神尾キリトをトヨホロのモーテルに吊るして来たまんま逃げていた。道理でしばらく静かだったわけだ。いつのまにか浴衣を着た人間の姿で、わたしの横に立っていた。


非道ひどいじゃないか、置いてけぼりにしていくなんて』


「ちょっとやりすぎたかな。よくここまでこれたね」


『君の場所ぐらいわかるさ。それに地上においても神霊となった今では時速20キロメートルで駆け抜けることなど造作もない』


「というかその人、谷宮のカムイだったのか。神尾......キリトさんだったっけ」


『キリトで構わないよ。改めましてこんにちは、村泉ミラル。そして砂澤レツタ。』


「谷宮の......カムイ? どういうことだ、説明しろや」


『「その話は追い追い......』」

 わたしとキリトで反応がかぶる。


『...失礼、僕が喋っていいかな。ミラル、なぜ君の文身は背中に彫られているかわかるかい』


「......? そうだよな、確かに口元や、手の甲、腕に彫る風習はあるって聞いても背中にはって聞いたことがないな。日本人の和彫への影響か」


『それもあるかもしれないね。その文様のベースは彫刻や衣服に用いられるものであって文身に用いられるものではないし』


「衣服や彫刻...... それに用いられる文様に意味はあるのだろうか」


『文様は渦巻きモレウ茨の棘アイウシシクをかたどったものが多い。なぜ刺々しいものでできているかというと、衣服の裾から悪い霊が入って自分の見えないところに取り憑かないように、という意味があるらしいね。腕の裾は文身や手甲の文様、背中は襟の文様、足からは裾の文様で守るというふうに』


「......それで背中なのか。はじめから刺青として背中に入れておけば取り憑かないだろうって風な」



『いや、それはセポが得た知識から知っただけだ。僕は生を受けていた頃からこれまで、人間アイヌと関わったことがなかったからね』


「どうなんだろう。何が正しいのかな」


『でも、僕がなるほどと思ったのは、悪霊が憑く背中を守るためってこと。その通りで悪霊や憑神トゥレンペは首元から背中にかけて取り憑く。もしかしたら今に伝わる単純で抽象的な文様ではなく、あくまで現代的なトライバルとして、自らの背中にオオカミの魂を宿したのかもしれない』

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