第2話 失われたサルン

2-1 鴞神 kotankor-kamuy

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 1858年、ユウバリ州のタツコフと呼ばれていた処を訪れた松浦タケシロウは、コトンランという老爺エカシの家に宿泊した。


 老爺はその地域一の博識であり、よく故事をわきまえるという。

 その齢を訪ねると、83歳であるとさらりと答えたためタケシロウは驚いた。アイヌは自分の年齢がわからないと聞いたが、と尋ねたところ、答えていわ


 それは川向こうの人たちの事なりて、どうして私が歳を知らないでいるでしょうか。この国には物の算数もないように内地(本州。ヤマト列島)では思われるのでしょうが、数というものは往古おうこから伝わっているのです。

 ですが私たちは文字なき故に干支と日の吉兆は伝わっていないけれども、暦も季節の別もしっかりと伝わっているのです。


 と。そこで試しに秋の彼岸を尋ねると、八月シニョオラフ二日トトウ三日レトウ。と即答したため一層驚いたのだった。



 老爺は庭に熊、わし、フクロウなどを飼っていたが、フクロウのカゴの前には木弊イナウが多く奉られ、他の鳥獣以上の崇め方をしていた。

 その由来を尋ねると、それは天地開闢かいびゃくの時代に由来するのですと言って曰く、


 昔この世界に国も土地も存在しない時代に、青海原の中に浮油のようなものが現れた。

 このうち清らかなものがやがて、火が燃え上がるように、炎のように立ち昇ってカントとなった。

 そしてこのうち残った濁ったものが、次第に凝り固まってシリとなった。

 島は月日を重ねるごとに大きく堅くなり、その内、靄々とした“気”が集まり一柱の神威カムイ、地の神が生まれ出る。

 一方、炎のように立ち昇った清く明るい空の”気”からも、一柱の神威カムイ、空の神が生まれ出で、五色の雲に乗って地上へと降りて来た。


 この二柱の神威たちが、五色雲の青い雲を「水になれ!」と世界の外側へと投げると、海が生まれた。黄色い雲を「土となれ!」と投げると、それは島を覆い尽くした。

 赤い雲を蒔いて「金銀珠玉、器財宝となれ!」と言い、白い雲を蒔いて「草木鳥獣、魚や虫となれ!」と言うとそれらすべてが整っていった。


 こうして世界は今ある姿へと生まれたが、天の神カントコロカムイ地の神シリコロカムイは「誰がこの世界を統治するのであろうか」と心配した。神威はまだこの二柱しかいなかったのである。


 その時、一羽のが、天の神と地の神の前へ降り立って来た。

 フクロウは大きな目を瞬かせたが、神々はこれは面白いと思い、そして

 それが何だったのかは語られていないが、とにかくそれによってたくさんの神威達が生まれたのであった。


 こうして最初に地上に降ろされた鳥であるシマフクロウを、村落を守る神コタンコロカムイと呼び大切にするのだ、という。

 そしてコタンコロカムイがもたらしてくれた神々によってアイヌは繁栄の道を辿るのだ、と天地開闢かいびゃくの物語を続けた。


 武四郎はその、口承されていく神話に感嘆し、こう短歌うたを詠んだ。


 しるしおく ふでちょう物もなき里に たえ神代かみよの道ぞあやしき


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「セポ、ミラルを起こしてやってくれ。もうすぐ着く」


「えったー」


 夜明けをまたいで走り回り、とうとう目的のソラチ州南部の中心街へと到着した。

 あちらこちらに温泉・宿場街が立ち並んでいる。日帝開拓時代、ここはサッポロやオタルとソラチ以北の炭鉱などを繋ぐ国道があったため、休泊所が栄えた。


「湯浴み澤」いつしかその地をそう日本人たちは呼び、いまでも衰退の途ながら、その名残を残している。

 それこそがこの街、「イワミザワ」の由来なのである。



「んん...... すっかり朝だな」

灰色の髪をボサボサにしたミラルが、シートに合わせて体を伸ばす。


「もうすぐ着くってさ」


「じゃあここがイワミザワなのか」


 あたりは一面の銀世界で、いつのまにか大粒の雪が降り注いでいた。

 その向こうから、いろんなところで湯気が立ち上っている。ちょうど運送業者たちが運転の疲れを癒しに来ているのだ。


「意外とでかい湯屋街だな」


「これでも充分衰退してるっぽいよ、確かに一時期以上の活気さはなさそう」


「行ったことあるのか」


「親父も私も温泉好きだったからさ、よく連れて行ってもらったんだ。地方を巡るのも運送もどんどん規制で苦しくなってるらしいから、そういうところの宿場町なり湯屋街は衰退してるらしいね。特にサッポロ都からアサヒカワまでは」


「へぇ...... 温泉や湯屋なんてなかなか行った事がなくてさ」


「うちでもあまり風呂入らなそうね、シャワーだけ浴びてるイメージ」


「まあでも湯に入ったら寝れるかな、早くもう一眠りしたい」


 さぞ眠そうな目をしているミラルに、運転席のレツタが話しかける。


「ひと段落したら俺と入りに行こうぜ、お前は一人にすると何が起こるかわからん」


「遠慮しとくわ、子供じゃあるまいし」


 子どものようにしょんぼりとしたレツタの顔を見て、わたしは思わず笑ってしまった。そのわたしの顔を見てミラルはまた、不思議な笑みを浮かべた。

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