1-15 金盞花 Kanituki-Nonno


「星が綺麗じゃない? 本物はこうも違うのかな」


「......うん、奥行きがあるな」



 雪で固められた、歩道のない車道を二人で歩いている。


 車道側の左に、灰色の髪をした少年がいる。こうして落ち着き近くで見てみると、彼の長大な体躯はとても奥行きを持って見えることに今気づいた。



「そして何よりあの温室の中よりも寒いな。体温を吸われる気分...... そして小売リーテールマートはまだかよっ」


「まだ結構遠くにあるね、800mぐらい。町まで行かないとないからなぁ」


「ごめんな、休んでいたかっただろうに付き合わせてしまった」


「レッツが簡易セルラーフォンを調達してくるまで別行動はだめだよ、まさか学生のくせにNPDA持ってないなんて知らないもん」



 21世紀も15年が経てば、すっかり携帯情報端末も進化したようである。

 Neo Personal Digital Assistant セルラーフォン と呼ばれる、タッチスクリーン操作の端末がアメリカで発売されて8年が経ち、みんなそれを使ってるような時代だが、彼は普通のPDAセルラー (私たち若年世代はガラパゴスセルラーとよく呼んでる)すら触ったことがないと云うのだ。



「だからいつも電話するか直接誘ってたんじゃないか...... いつも講義がないときは図書館の定位置にいるから出来たが」


「そっちこそいつもエルムの森かフルカワ講堂にいるから楽だったけどね。まったく、NPDA持ってないやつは普通言うよ」


「そういう友達がいるのか」


「割とね。確かに、高価だからなかなか買ってもらえない子もいるんでしょ」


「そうか...... いいね、谷宮は友達が多いじゃないか」


「んー? 遊ぶような友達じゃない、講義の時に顔つき合わすだけだよ。そのぐらいならいるでしょう」


「そうか、まあそれぐらいなら」


「まあでもミラルはガリ勉ですものね。遊ぶことと呑むことをよく考えてる人たちばかりの大学じゃそりゃ話も合わないでしょ」


「思ってたのとは違ったよな、でも、学生運動に呑み込まれてもどうしても自堕落になるって考えは思いつかなかった。自分なりに頑張って来たが、もうあそこに戻ることはないだろうなぁ」


「わたしは一刻も早く戻りたいんだけどね。あなたにとってはアイヌラックル学会でさえ居心地なく思えたの?」


「あんなところに居たって、あいつらは砂澤教授を助けられなかった。俺も助けられなかったし、とうとう俺は教授を......この手にかけてしまったんだ。 あれはカムイのせいだって云うんだろ? わかってるよ。もしかしたらあの狼は、俺の失望に呼応してあらわれたのかもな」


「......どんな人だったの」


「はっきりとものを言う人だった。俺は何度、糞真面目だって言われたかな。あんな無能な連中にも、可能性を信じて、何より自分の信念に殉じた。あの脱牢騒ぎの中で一人官房に残ってた。『私は逃げない』、そう言って聞かなかったんだ」


「そこまで覚悟して居たんだね......」


「無理やり引きずってでも行きますよと言ったら、 『じゃあお前が俺を殺してくれるのか』、って言ったんだ」


「ん......」


『甘ったれるな、お前は使ていればいいんだ。俺の存在がないとダメなら俺を殺してから往け。俺は、ここで、使んだ』、ってさ......」


俯いて沈んだその顔が暗闇に浮かぶ。


「 そして、この人は警察のやつらに殺させてはいけないって思うと、目の前が真っ暗になった。気がつけば、凍結した世界で狼が舞い、教授は氷漬けになっていたんだ......」


「......」


「俺は、人殺しだ。親父だけならず二人も三人も、自分の勝手で殺してしまった。恩師が報われれば、そう思っていたのに」



「それで、あなたはどうしたいの」


「......え?」


「このままわたしと一緒に札幌へ帰ろうかって思わない? きっと許してくれるよ」


「......」


「いや、ほんの冗談なのはわかるでしょ。レツタやユンさんを裏切ることになるけどね」


「.......いや、あの人らだけじゃない。そう決断すればその瞬間から俺は、俺を信じてついて来てくれた谷宮を裏切ることになる」


「言ってたじゃない、『俺も覚悟した』って。わたしはともかく、自分まで裏切って行きていくなんてわたしなら耐えきれないよ。こわいのは、未来が見えないのはお互い様。だけどもうわたしは、その気になっちゃったもの」


「......そうか......。行こう、早く暖かいものが飲みたくなって来た。そして早く帰らないとな」


「どこへ?」


「......モーテルだ。夜が明ける前に呑もうぜ」


「うん」


 おそらく、思わずほっとした私の笑顔を暗闇で覗いて、ミラルは不思議な笑みを浮かべた。

 どこかぎこちなく、それでいてどこか暖かな笑みを。




「......セポー! ミラルー!」


 ドロロロロロ、という轟音を発して一台のバンが近づいてくる。

 フロントガラスに透明なビニールシートが貼られている。確かにレツタのUAZだ。


「レツタ! エベツに行ってたんじゃなかったの」


「向こうはもう警察が動いてる! ミサキ町ももうダメだ、もう逃げるぞ、イワミザワへ!」


「ええ、嘘だぁ」


「速く乗れ! 飛ばすぞ」


 ミラルが助手席、わたしが後部座席へと乗る。スライドドアを閉めようと思った瞬間、物凄い勢いで駆けて来て、飛び乗った人がいた。


「ユンさん!?」


「おまえ!! 絶対安静っつってただろ!」


「あんなとこに居られるかよっ」


「どうすんのこれ、放り出したほうがいいのか......」


「レッツ、後ろからパトランプが見えた! 谷宮!速く閉めろ!」


「ほぁぁぁぁぁぁ......」




 1月4日、5時10分。わたしたちはまた闇へと駆け出す。


 長いようで短い、30日間が幕を開けた。その往く先は、全く見えないままで。



——————


 全く見えないまま、セポは夜空の向こうへと何かを見ようとした。

 干潮へと引いていく月が、やけに明るすぎる。

 そう思ってセポはまた、窓から突然撃たれるのを怖がって身を屈めた。


 僕には、彼女の覚悟が見えて居た。

 同時に、その意志に底知れぬ恐怖を覚えたんだ。

 目覚めていくように湧き上がる僕の感覚は、覚悟と恐怖で揺れ動き続ける。


 でもね、セポ...... 果たして君が何をしようとしているのか......

 そう思うと僕は、自分を失っていくような気がしたんだ......。


——————


            第一章;第1話 「呼声」完

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