1-12 予感 Ekamke

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 凍えるような寒さの、UAZの車内。

 セポはその中でミラルのジャケットと、タバコ臭いレツタのダウンを羽織ってそれでも震えていた。

 そんな彼女を気遣うような目をしながらも、ミラルは一言も話しかけずにいた。

 とうとう二人は一言も喋らず、レツタは気まずそうにしながらも積極的に喋っていた。

 別段変わったことではなく、いつものことなのである。カフェと留置所の一件が珍しかっただけだ。



「......谷宮。お前ならわかってくれると思ってる。何かを探してるんだろ?お前は、俺と同じだ」


 僕はあの言葉を思い出した。

 ミラルの「薫り」、それはセポ自身も例外ではない。二人はそれぞれ少し質は異なれど、同じ孤独を背負っている。だがそれはミラルのように不本意に降りかかったものではない。彼女がその孤独を望んだのだ。


 彼女の実家は、この時代には数少なくなった日本神道ヤマトカムイの神社だ。


 早くこの家を出たいと、高校の時はよく言っていた。両親や、祖母が問題ある者たちだった訳では無く、むしろ逆で、とても優しい夫婦である。一人娘が宮司を継ぐ婿を連れてこなければ家が絶えるというのに、父親は彼女の進路について全く決めつけようとしなかった。

 あらゆる死者の記憶がここに集まり、そしてセポに語りかけてくる。僕が訪れる前からそれが彼女の日常だった。


 それに嫌悪感を示し出したのは確か中等学校に入ってからである。

 父を亡くし、母は自殺。祖母とお手伝いの女中が一手に彼女を支えたが、やがてセポは家や御堂に残る、二親の記憶を感じるようになった。

 いつも学校に残って勉学に励み、家に帰っては友達に建ててもらった小屋の中で寝食も惜しんで勉強していた。そうして中高それぞれ一度飛び級し、16歳にして北海道帝国大に入学したのだった。


 なぜそこまで家を出たかったのか、僕に話すことはなかった。役立たずの神様の推測でしかないが、それは単に双親のことを思い出してというだけではない。二人の記憶の中にある、セポ自身の出生に関する違和感である。


 あの夫婦は、一人娘を持つには老い過ぎている。

 そして、二人によく似ていると言われれば、これもまた違和感を感じるのだ。


 ともかくセポは、実家で孤独と、過去への拘束にさいなまれた。

 その結果彼女は自由を渇望し、サッポロへと行ったのだった。

 結局そこで待っていたのは置き換えられた孤独でしかなかったが、それを彼女はどう考えているのだろう。

 なぜかそれが読み取れない。僕には度し難い。

 人一倍自由と、孤独を嫌い怖がるくせに、自由と孤独を誰よりも渇望する。それが谷宮セポという人間なのだ。


 自由と、孤独を渇望する。そういう意味では、村泉ミラルと彼女はよく似ている。


 狼と兎...... 

 狼は、決して孤独な生物ではなく、むしろ群れるカムイだ。だが、数が少なって今は孤独......

 兎は、寂しいと死ぬと人間どもはいうが、それは嘘だ。むしろ縄張り意識を強く持つから、孤独でいることを望む。


 だが、狼は捕食者であり、兎は被捕食者だ。

 なぜ、二人は惹かれ合うのだろうか。

 カムイである僕には、とても度し難い......。


−−−−−−


「谷宮、いるか?」

 ミラルはドアを開けてからそう言った。


「ノックぐらいしてから入ってよ」

 セポはシャワーから上がって部屋に戻って来たばかりで、ジーンズを脱いだままだった。


「ユンさんがここに来たんだ。ものすごい怪我をして」


「レッツの部屋にいるの?」


「ああ、今町医者呼んでる。ズボン履いて降りよう」


 あまりに面白くて吹き出してしまう、セポが怪訝けげんな目でこっちを見た。


「......いいよ、少ししたら見に行く。出てって」


 そうして僕は部屋に吊るされてしまった。


——————




「ウーッ、ウアハァ、あでぇーッ」


「レツの坊ちゃん、頭の方から押さえて! 暴れられたら処置できない」


 手荒に応急処置を受けて苦しむ声が夜中の、誰も泊まってないモーテルに響いた。

 急いでストーブが焚かれたと見えて灯油の匂いが充満し、ベッドに寝かせられたユンさんは汗と溶けた雪とでびしょ濡れになっていた。


「少しぐれぇ我慢しろユン! 痛い痛い痛い痛い、俺の腕が持ってかれる!!」


「俺が手伝いますよ」


「すまんミラル」


「元気な患者ですこと。こんな寒い中なんの処置もせず逃げて来て......なんかに感染したらどうすっぺ」


「ホントだよ、とっくに死んでそうなもんだけどなぁ」


「うぅ...... ......」


「喋んなってお前は。『九死輪環』だろ?」

 そう聞くとユンさんは頷く。


「身代わりを置いて、自分は気配を消して逃走するだかっていう能力で逃げたんだそうだ。こいつが手こずるんだから相当な奴と当たったみたいだな」




「病院が開いたら朝イチで放り込みます。それまで絶対安静。わかってますね」


「へいへい」

 女性医が部屋を出ていくと、レツタは眉をしかめて聞く。


「ミラル、今何時だ」


「4時18分。いつ出発する気なんだ」


「もうそろ追っ手が来てもおかしくないがねえ。だが依人関係でここまで大規模な捕物とりものってのもなかなか無えんで、てこずってるんじゃねえか?」


「わからないな。まず行くあてはあるのか?」


「念押してイワミザワまで逃げようと思ってんだわ。あっこまで行きゃ、完全にレジスタの勢力内だ」


「そんなにかからないよな...... しかしここまでこの短時間でよく逃げたものだよな」


「俺のドライビングテクニックのおかげかな?」


「ああ素晴らしかったよ、ちょっとしたスタントみたいで。出来れば乗って吐き気をもよおすより、外から見てた方が良かったかな。同じ寒いんだったらさ」


「えっ......」


「わたしも同感。車で出るんだったら修理ぐらいしてから行こうよ、事故防止も兼ねて」


「セポちゃんまでぇ...... ひどいよぉ」


「なんにしたって急ぐ必要はないだろ? ゆっくりしていこうよ、イワミザワまで遠いわけじゃあるまいし」


「そうね。わたしはユンさんが心配」


「俺は買い出しに行ってくるわ。レッツ、車に乗してってくれ。どうせこれから修理工探すんだろ?」


「じゃあ後でな。運転しっぱなしなんだから寝かしてくれよ」




 ......ミラルがこんなに喋ってるのって、見たことがあるようで中々ない。

 そもそも、あまり意識はしたことがなかったけど、わたしと彼とはあまり多くを語らうことがなかったように思う。


 なぜだろう。今まで、お互いに同年齢で、似た境遇だと知り合ってからはよくあう仲だったはずなのに。そう、こうしてお互い逃避行するぐらい。


 何もかも知っているようで、まだまだ知らないことがあるのだろうか。

 いつからか、彼を知りたいと思っていた。その琥珀色の瞳に潜む、凍りつくような夜に魅せられていた。


 そして、何か胸騒ぎがし始める。

 この国では、何が終わり、何が始まろうとしているのだろう。

 迫り来る暗雲の切れ間から浮かんだ半月は、淡い黄金に輝きながらも、すでに欠けはじめていた。

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