1-11 孤独 Yayko

 耳をつんざく、人のものではない咆吼。

 それを聞いた瞬間からハルユキは、自分の中から新たな感情のたかまりを感じ始めたのだ。


 目の前を跳ぶ血飛沫。

 どれが俺ので、どれが目の前の狂戦士サマユンクルのものなのだろう。

 自分の身体を縦横無尽に衝撃が駆け回る。

 真っ白な光の下で目が眩みながら、ハルユキはその苦しみから逃げようとした。

 今まで嘗て、目の前の苦難から目をそらし、逃げたことなどなかった自分。

 それは父であるマハワトの期待に応えるため、そして失望させないためだった。

 そしてなにより、母を悲しませたくないからだったのだろう。


 小サマユンクルの追撃の手が緩む。

 押されながらも立っていた、自分の足が緩みヘタリ込む。

 その醜態を屈辱と思いながらも、ハルユキは自らのトゥレンペに救いを求めた。




 ユンは、いつのまにか我に返っていた。

 そして見れば、いつのまにか駐車場の真ん中で血だるまとなって縮こまるハルユキがいる。

 それを見てトドメを刺そうと近づくが、その瞬間。自らの体がまるでシンバルのようにビリビリと振動するのを感じた。

 離れると同時に、ハルユキは顔を上げる。もはやその顔に、わらわのような笑顔はなかった。


『沙里ユン!!! お前だけは許さん!!!!』


 そして目の前に現れた、ハルユキの憑神トゥレンペの実像。

 それをなんと形容できよう。

 黒い怨念。

 腐った獣の魂。

 復讐の塊。

 悪鬼?

 いや、悪神。


 幾千の手がナイフを握り、這うように襲いかかって来た。

 白い照明の下、苦悶を抱えたユンの首が飛ぶ。

 首と胴体は千手によって、跡形もなく食い尽くされていった......。




 ヘリコプターの音が激しく中空を覆い、警邏けいら車両のサイレンが辺りを囲む。

 真夜中のたった短時間で起こったこの惨劇を目撃したものはほとんどいなかった。

 よろよろと山中ハルユキは立ち上がり、偽の星座を映したドームの夜空を見上げた。


「沙里ユン... どこへいった!!!!」


 その声が虚しく、騒音の中に消えて行く。



——————


「こんなところで大丈夫なのか?」


「都内よりはマシだべ。ここはなんとかレジスタンスの勢力内だ。」

 そういってレツタは部屋の鍵を渡した。


 トヨホロの、どこまでも続く雪野原。都内ドームでは全く見ることの失くなった光景である。

 警察車両の追跡を無茶苦茶に退けて、その雪野原の中にひっそりと建っているモーテルへとレツタは駆け込んだ。

 ド深夜、なんだったらあと3時間もすれば夜も明けるって時なのにもかかわらず、レツタの顔を見た瞬間に主人は鍵を3つ渡してくれた。



 シャツのボタンを解き、ズボンを脱いでベッドに横たわると、ノックとともに主人のおかみさんがアミニティとほうじ茶、煎餅を持って来てくれた。


「地下の方に降りるとひとつだけですがシャワールームが置いてあります。お早めに入りなさった方がいいですよ」

 そう云っておかみさんは出て行く。

 気がつくと髪が凍りついていた。冷たい汗でシャツも濡れていた。


『こんな時間に来たら普通怒って追い出されるのに、至れり尽くせりじゃないか』


「レッツの人脈なんだろうか。なんにせよ、何か罪悪感がある」

 お茶をすすると、たちまち疲れが襲ってくる。シャワーに行く気にもなれず、ベッドに横たわった。



『このまま寝たら不味いんじゃない? 大丈夫?』


「大丈夫なわけないでしょ。なまらこわいんだけど」


『それはどういう意味かい? 疲れたという意味(北海道弁)か、それとも先行きが怖いということかい』


「ひっくるめて全部に決まってるしょ。......キリト、私たち何を始めてしまったんだろうね」


『気づくのが遅いんじゃないかな、いや、前から気づいていたのか』


 ため息をついてしまう自分がいた。

「でもキリト、なぜミラルなんだろう」


『ん?』

 さすがにこれは意図が読めなかったのか。


「ずっと前に、アサヒヤマの動物園でオオカミを見たの。 エゾオオカミじゃない、タイリクオオカミ。 たしかキリトは怖がってその場から消えてしまったんだっけ」


『無論覚えてるよ。僕は色んな動物神たちと交友を持って来た。だが、狼神ホロケウカムイ...... 彼らだけは未だに苦手だ。 向こうが僕を喰らおうとしてくるからじゃない。むしろとても尊敬の念を持って迎えてくれる。だがどうしても、彼らの考えは少し読めないところがあるんだ』


「それ、その時も聞いた気がするな。あなたが消えてから、わたしはずっとそのオオカミさんを見てたの。小高い丘の上で、眠そうに横たわってたけど、私の視線に気づいてこっちを見た。 ......孤独だったの」


『何だい?』


「その瞳、その薫り全てが。奥さんもいたし、子どももいた。でもわたしを見ると、何か捨てられた子犬と似たような瞳を向けていた。どんなに豊かな暮らしを享受しても、あるいは恐怖も本能に根付いた享楽もない穏やかな暮らしをしていても、あのオオカミさんは孤独だったの。」


『......ああ、そしてその瞳を、村泉に重ねてしまったわけなんだ』


「あの子はまさしくオオカミと一緒。今まで恵まれた人生を送って来たけど、ずっと悲しい離別の過去を引きって生きてる。 その孤独につけ込まれて、あの狼神オンルブシカムイは取り憑いたのかもしれない...... あなたがわたしの恐怖につけ込んで取り憑いたように」


『......ははは』


「......なぜ、ミラルが孤独を背負わなきゃならなかったんだろう。そのきっかけを作ったこの国は、どうなってるんだろう」


『......』


「......嫌なこと考えたら少し頭が冴えて来た。シャワー浴びてくるね」


『いってらっしゃい』



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