1-10 少年 Hekaci

 キムントミコロクル。日本語へ訳すれば「山の戦争屋」である。

 彼らはキムンカムイ、すなわちヒグマの神を信仰し、その験者げんざ憑座よりましという二つの面を併せ持つ。

 修験しゅげんとは彼らにとり傭兵稼業のことであり、その完遂のために巫術ふじゅつを用いて、即ち信仰するカムイの一雫を憑依し自らの力とする。

 多くの傭兵団は、それを行う幾人かの「依人よりびと」によって構成される。キムントミコロクルは、数ある傭兵団の中でも団員が多い、つまり依人が多いことが特色である。


 だが、沙里ユンはその団員をアスファルトへ沈め、老いたとは言え最強と呼ばれた酋長を追い詰めた男である。

 なにしろ、彼の憑神は英雄・サマユンクルなのだ。その力は総て攻略している...はずなのだ。


 ところが、目の前の少年の恐るべき力を前に、全身が震えている。

ありえない、ありえない... そう口ずさむしかないほど。


「......こいつは!?」


「山中ハルユキ。俺の最後の直弟子にして息子。こいつこそキムントミコロクルの最高傑作だ」


 目の前が暗くなった気がした。

 その名は、耳にしたことがなかったわけではないのだ。

悪神ウェンカムイハルユキ」その名だけは......


 目の前にいる少年がその男だとは、半分疑い半分信じるしかなかった。

 顔はまだ幼さを帯びている。14、15であろうか。

細長い輪郭に、小さくも細長い鼻。白い肌に、紅を差したような艶やかな唇と、肩まで伸びた黒髪が映える。

 だが黒目がちの目は、今にも血の海の情景が浮かびそうな迫真に満ち溢れていた。

細く筆で迷いなく引かれたような眉の間には四つの皺が浮かび、輪郭の濃い目に影を落としている。

 だが、ユンにはこれが果たして成人に1、2年満たない少年かどうか確信が持てなかった。


 その疑問は、その身体にあった。


 152糎のユンに比べて、ハルユキは180糎はある。


よくできた体格の割に、かなり痩せているのが救いか、顔と胴体のアンバランスさはない。だが違和感は払拭できない。


 ただ、その後ろ髪はポニーテールのように結ばれていた。

 キムントミコロクルでは、元服ないし一人前の戦士として成熟するまでは髪を後ろに縛る。元服もしくは戦士として認められて初めてその結んだ髪を切るのだという。

 これは、キムンカムイがもともと長いヒグマの尾を切らせている、という言い伝えに由来する。


 つまり少なくとも目の前の少年は16歳に満たないのだ。


「......」


 安心しろ。そう言い聞かせても汗が足元を濡らして行く。

ハルユキは真っ黒な装甲を脱ぎ捨て、白く艶やかな上半身を露わにする。


「来ないのか?こちらから行くぞ」

 そう言ってナイフを逆手に掴んだ拳を構える。

どこまで覗いても黒く、それでいて自らの使命に対して純真な瞳は、ユンを恐れも侮りもなく見つめていた。


「......いいのか。僕の太刀にナイフで敵うとでも思っているのか」


「俺にとって、武器を持つとは即ち遠慮。遠慮せずその刀で振りかかってこい」


 それを聞き、ユンの中では何かが切れたという。

 短気とは、サマユンクルの天性であり宿命。それを常々戒めていても、こうして発露してしまうのだろう、とのちに語った。


「遠慮だと...? なめやがって。こっちは素手でってやる。後悔しろやッッ」



 考える間も無く、右足が前に出る。

 その足を爪先で立てて、左足、即ち後ろに重心をかける。

 そして上半身を正面に向けて、拳を高めに構える。

 一見今にも逃げ出しそうな体勢だが、実は後退のギアを外した構えであるのだ。



 目の前の少年、山中ハルユキもまた、いつのまにか構えていた。

 右手にはナイフを逆手に握り、斜め45度に傾けた刃先がこちらを向いていた。

 右足をそろりと爪先を立てて前に出し、左足に重心を置き後ろに傾いている。


「面白いな。同じ構えじゃないか」




 そう言った黒い影が、目の前から消え去る。

 かがんでけてきた巨影の腹に向けて、右足で蹴りを見舞う。

 身体を半身に返したハルユキの、刃を握る右手が喉を狙った。

 さらにユンも半身に返して避け、勢い余って通り過ぎるハルユキの額に左拳をおおきく振りかぶって浴びせた。


「ぐっ...左利きサウスポーか。一つ解った」



 ハルユキはコンクリートへ受け身をとって高く飛び上がり、また一瞬にして距離を縮める。

 振りかぶられた左手を避けるようにユンの身体の右側へと避け、ハルは再び喉元めがけてナイフを振るう。

 その右腕をユンは両腕で抱え、一本背負投いっぽんぜおいなげでアスファルトへその長身を叩きつけた。

 だがハルユキはバネのように飛び上がって戻り、盛大にユンの顎へと蹴りを見舞った。


「甘いな。ぶん投げずに押さえておけばよかったものを。」



 じんと歯が痛み、頭がくらくらする。

 そして痛みがないために忘れていたが、斬られた背中の傷から血がどんどん流れてきているのだった。

 短気なサマユンクルの魂が、”早く片付けなければ”と叫ぶのが聞こえる。


 一度頭をぐるりと回し、どう攻撃するべきかを頭に逡巡しゅんじゅんさせるが、その隙を見て、ハルユキは距離を詰めてくる。

 彼は、2回ナイフを突き刺そうと繰り返していた。ならば次は...!


 ハルユキは一気に距離をとって、己の体で美しく「1」をあらわすような蹴り上げを仕掛けた。

 寸前でかわしたユンは回し蹴りを見舞おうとする。

 だがハルも即座に足を畳んで足刀そくとう蹴りの型に移る。

 弾丸のごとく長い足が打ち出され、それをかわした小柄でずんぐりとした肉体が宙を舞う。

 ナイフを握っていない左拳が振りかぶられ、即座に空中を跳ぶユンは飛び足刀を見舞った。



 ...相打ちとなって、二つの影は同時に宙を舞い、ハル、ユンの順にアスファルトへ叩きつけられた。

 強烈に拳を顎に喰らい、全く無防備なところを受け身を取れずに15メートルも転げてユンは意識が飛んでいた。


「言っただろう。俺にとって武器は遠慮だってさ」


 意識が戻った時、その言葉を聞き戦慄した。


 憑力カムイカシが強力すぎる。

 山を引き抜き滝を引き裂く力と、その人間の体には有り余る力に耐える能を、身体に宿す。

 それこそが依人よりびとの究極的な能力なのである。

 この少年は、ひぐまの神にして山神、キムンカムイの力を宿している。

 だが彼のものは決して生半可な憑神トゥレンペではないようだ。


 足音が自分の方へと近づいてくる。

 ユンは起き上がった瞬間、からりとナイフが落ちた音を聞き、そして次に一蹴りで頭から駐車場のブロック塀へと叩きつけられたのを感じた。


「こんな力... 何者だお前は」


 ユンは、それが愚かな質問だと気付いてハルユキの顔を見た。

 その顔には、予想していた邪悪な笑みも、張り付くような蔑みを浮かべた笑みもなかった。

 ただ少年のように幼く無邪気な笑顔で、血に汚れた自分の顔を覗き込んでいたという。


「俺は親父をすでに超える逸材さ。山中ハルユキと名付けられた、この世の悪神だよ」


 また立ち上がった瞬間、ナイフはもう握られていない右拳が振りかぶられる。

 左の腕で受け止めた瞬間、一番目に号砲のような爆音、そしてかろうじて受け止めた腕を生暖かい血の感触。

 血が流れれば流れるほど、サマユンクルの魂は昂揚こうようして行く。


「うぉぉぉおおおooOOAA■■■■■■■■■■■■!!!!」


 咆哮から、我を失ったユンの拳はハルユキを徹底的に殴り始めた。

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