1-7 神尾斬兎 Tuye-Kamuysarana
人気のなくなった夜道を、借りてきた自転車で走る。
突然端末から電話が入ってきた。疑わしく思いながらも、ハンズフリーで出る。
「もしもし、谷宮です」
《コンバンワ。大分夜分遅くだが》
「ああ、レッツ...... ていうかあんた大丈夫なの」
電話をかけてきたのは、
年がかなり離れているものの砂澤教授の従兄弟にあたる。一年前すでに大学は卒業し、この日までどうしてるかわからなかった。もちろんわたしの先輩にあたるのだが、どうもそうは思えない節がある。
《部屋が荒らされてしまってなあ。 仕事前の宿の引き払いをやってるとこや》
「仕事? こんな夜遅くに?」
《職業じゃないんだけどね。 コウタ(砂澤教授)のやろーから人の逃亡の手助けをするために今から警察署まで迎えに行く》
「どんな仕事してんのよ。 お疲れだわ」
《ってーかセポ知らねえのか? ミラルがコウタっちと一緒に捕まってんだが》
「知ってるよ...... てかその逃亡者ってミラルのことなの」
《話が早い、手伝ってくれ》
「......奇遇ねえ、西署で待ってるわ。車で来るんでしょ?」
《......はあ、いやいいわ、お願いします》
通話を一方的に切断すると、ペダルを踏むことに集中する。
......また電話がきた。今度はなんだ。
「もしも......」
《セポやん、学会かレジスタンス入ってんの?》
西署ってこんな大きな建物だっけ。
今更ながらそう思った。
1、2、3... てっぺんまで煙がかかり、何階建てか数えられないが確実に15階ぐらいはある。
灰色の炎に照らされて立ち昇る黒い煙を見て、「こわい」を通り越して冷静になっているわたしがいる。
消火車両も、炎闘者もまだ来ていない。ということは爆発的に起きてまもない火事なのだろう。
『というか見てる場合かい? ミラルが...... 』
......ヤバイよね。署の入り口へと飛び込んで行く。
「危険だ!入るな!!」
男の腕に捕まり、駐車場の方へと戻された。
その男は警察官ではない。
「一体何があったんですか」
「脱牢さ!デモ隊が牢を破って署内を爆破したんだ」
「なんてこと...... まだ中に残っているのは!?」
「わからん。ただ砂澤教授は...... ハァ、逃げましょうっつっても聞かなかったんだ」
「背の高い若い男の子はいなかった!? 髪が長くて、灰色の...... 」
「いやあ、わかんねぇ。若い奴はいっぺえいたけど、目立ってでかかったり髪があれってやつぁ......」
「......!!」
「おい!だから待てって!あぶねえっ」
頭より、体が先に動くとはこのことだろうか。
ただひたすらに炎で包まれ、スプリンクラーの降り注ぐ屋内を走り、ミラルの影を探す。
「あちちちっ、おい、危険だっt」
だがその脚の勢いは、突然の冷たい突風でもみ消された。
「!?」
瞬く間に、視界の全てが凍りついた。
比喩ではなく、壁から天井、スプリンクラーからほとばしる水、そして後ろから追いかけてきた男までもが、「氷」に包まれた。
『危ない危ない、大丈夫?』
なんだかわからないが、ウサギが咄嗟のことながら防御してくれたようだ。
「なんとか...... っていうかありがとう」
『暴走する何者かの力を感じる...... かなり強力なやつだ、こっから先は先刻みたいに守れる保証はないよ』
「そう言って引き下がるとでも?」
『わかってるさ。反応は下、地下だ。 あっ、走るなよ滑るぞ』
盛大にお尻を打ってコケた。
「ミラル......? ミラル......」
スプリンクラーでできた氷の壁を鈍器で何度も叩いて破り、かと思えば防火扉に阻まれる。
凍りつき、あたりは蒸気で満たされた暗い廊下にあの大きな影を探す。
暗闇に銀色に発光する、浮かぶ絹布のようなものを見た。
「......誰だ!? 近寄るな!」
紛れもなく、ミラルの声。
「近づくな......消えるぞ!!」
目の前が発光を始める。
その光の向こう側に、ミラルがいた。
「......谷宮!? 逃げろっ! 逃げろぉぉぉ!!」
突風が吹き荒れ、廊下に積もっていた雪が舞い上がり、わたしを襲う。
発光体は宙に浮かび、吹雪とともに私に襲いかかった。
その光の中で、わたしは、確かに、
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エゾオオカミ。
かつての北加伊道の大地における、食物連鎖の頂点。
その気高い姿と咆哮に、アイヌたちは神を見た。
ホロケウカムイと呼ばれ、狩人はその精神を目指し、村人は密かに、畏れ、敬った。
それはひとえに、彼らは無意識にその姿から、偉大なるもう一つの姿を見出したからに過ぎない。それは秘められ、忘れ去られた一つの名が表している。
オンルブシカムイ、その意味は、『狩猟の神』。
またその意味は、『生命に均衡をもたらす神』。
——————
......
......くそっ、なんて力だ!』
冷たい地面から起き上がる。
その眼前には、白銀に光ってわたしへと襲いかかろうとした巨大なオオカミと、黄金に光って立ちはだかる小さなウサギ。
「キリト! あんた......!」
『下がっていてくれ! 君も巻き込まれるぞ!』
「何を......」
『こいつ、と云うよりこのカムイに封印をする!』
「谷宮! そいつは誰......」
『村泉ミラル! 君もここから離れるんだっ』
黄金の光が一層まばゆくなる。
『川は海へ、海は底へ。底から根へと息吹きて、其を持て立ち去りたまへ。』
突然光が収縮すると、白銀の光は消え去っていた。
......かに思えた。
『Rrrroarrrrrrrrrrrrrrrrrr!!!!!』
猛々しい咆哮ののち、今までに経験したことのないほどの突風が身体を吹き飛ばした。
スローモーション映像のように、景色が流れていく。
地吹雪で舞い上がった小粒の雪と、これは......ダイアモンドダストってやつ?
黄金に輝いていたウサギは、視界の上を通り過ぎ、わたしよりも遠くへ吹き飛ばされていくのだろう。
衝撃に吹き飛ばされた私の体は、驚いて息を吸った。
口と鼻の中が、一瞬にして凍りつくような感触。
だんだん金色も見えなくなって、残るのは白銀の光......いや、灰色の景色。
......
身体が地面に叩きつけられた。
一層雪は舞い上がり、壁や天井に張り付いて氷の層や氷柱を作り出していく。
......これは、走馬灯の最後なのだろうか。
......
...セポ!速くっ... 逃げろぉぉぉぉぉ!!」
絶叫。
息も絶え絶えになり、重い身体を起こす。
ぼやけて、彩度の消えた視界の中で、わたしを一点に見つめる光があった。
それは、本当に黄金の光を発するミラルの影。
その身体は床に這いつくばり、必死にその大きな背よりもさらに大きなオオカミを押さえていた。
「......逃げないよ」
「えっ......」
視線がぶつかり合う。
わたしには、黄金に光る村泉ミラルの目が見える。
そしてミラルには、おそらく......白銀に光る谷宮セポの目が見えていたはずだ。
「覚悟...できたよ。誰に頼るでもなし、自分で他人の命運ぐらい背負って、掴んでみせるよ」
目を閉じ、手を合わせる。昔、自分の家のお堂に向かってしたように。
そして手のひらを外に向け、宙を握る。
目を開くと、そこには曲線を描く
その時ミラルは、わたしの首の後ろから浮かび上がる、黄金に輝く巨大な人影を見たという。
兎の耳と目を持ち、その右手に剣を振り上げた、昔写真で見た
刃がミラルと狼の上に振り下ろされる。
舞い上がる雪まで黄金に輝く光に包まれて、狼だけが消え去っていった。
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カイの数々の山に住まう
杉村キナラブック嫗の伝承によれば、ヒグマは温厚な性格に似合わない大きな体躯や嗅覚、腕力に加えて、とても長く美麗な尻尾を持っていたのだという。
アサヒカワの
その平地に住まう
彼は徳があり、小さき動物にとても慕われていた。彼らの永劫に健やかとなることを願うために、イセポは宴席を設け、上酒や肴、宝を我が家に用意した。
暮れ方になると、鹿や鳥、狐など、様々な
半信半疑だった彼らも、至れり尽くせりのもてなしを受けて上機嫌になっていく。
一座が大変に盛り上がってきていた夜更け、小さく誇れることもないのにいい気になっているとイセポを
料理を食い荒らし、酒樽をいかれさせ、屋内に糞を撒き散らす有様。
遂にイセポは私に無礼を働くならまだしも、客を呼んでいる宴席で狼藉を働くとは許せん、と床間の刀を手に取り、キムンカムイの尻尾を根元から両断したのだ。
驚いたヒグマは誇りの尻尾も忘れて
それからヒグマの尻尾は短くなったのだ、と云うことだ。
別の伝承には、その後そのウサギはあるアイヌラックルにより
『トゥイエカムイサラナ』(神の尾を斬る者)
という名を与えられ神格化されたという。
また別の伝承で、一方キムンカムイはその過ちと
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