第3話

「携帯と硬貨で二千アグルか……思ったより少ない」

「この世界に転生した人は大体売り飛ばしてるから、それほど珍しいものじゃないんだよ。まあそうだとしても、まさかいきなり携帯を手放すとは思わなかったよ」

「金がないんだからしょうがないだろ?それに、この世界じゃ使い物にならないしな。さて、宿は確保した。土も砂も落とした。これでなんの問題もなく勇者になれるな!」


 宿の前から大広場へ移動しようと足を一歩踏み出したところで、俺は動きを止めた。というよりも、止められた。チラッと隣を見ると、ミューが無言で俺の左手を両手で掴んでいた。


「……どうした女神様。人の温もりでも欲しくなったのか?」

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」


 そう言って俺から目を逸らしながらも、しっかり両手を掴む。まるでどこかへ行かないように。そういえばこいつ、こっちに来ると神様の力がどうのって言ってたな。


「お前もしかして、神様の力に制限があるんだろ?だから俺がギルドに行かないように捕まえてるつもりなんだろ?」

「…………ナ、ナンノコトカナ?」


 しばらくして、俺は軽く鼻で笑ってから全身に力を入れて二歩目を踏み出した。


「ふんぬぅううううう……」

「うぬぬぅううううう……」


 小さい足を踏ん張って懸命に俺を止めようとするミューを、俺は全力で引きずる。通行人の目も気になるが、今はそれよりも、なんとかしてギルドに辿り着くことが重要だ。


「こっっのぉ……いい加減っ……手放せぇ……」

「絶っっっっ対……い……や……だっ……」

「てめぇ……往生際がっ、悪い……わ!」

「勇者……なんっ、て……そんな、ありきたりなの……させるわけ、ないでしょ!なるならせめて……パン屋になりなさい!」

「なんで、異世界に来て……までっ……パン作らないと……いけない、んだよ!俺は絶対に……勇者に、なるんだ……!」


 死力と死力のぶつかり合いは、大広場に入っても続いた。

 全長三〇〇メートルはあるであろう大樹を中心に広がる白い石レンガの空間は、東京ドーム程はあった。初めて来た俺でも、ここが町では有名なスポットだとわかるくらい大勢の人で溢れていた。大樹を囲むように屋台が出ていたり、曲芸や歌を披露している人もちらほらいる。折角だからここで楽しんで行きたいところだが、今はそれどころではない。

 広場をしばらく横断すると、大きな剣が突き刺さっている建物が見えてきた。看板を見るにここがサプライズ・トラベラーのようだ。


「よし、入るぞ!」

「いーやー!」


 いまだ抵抗を続けるミューを引きずりながら店の扉を開ける。中は思っていたよりも広く、ゲームなどでよく見る木造の酒場のようなところだ。店内は多くの人で賑わっていて、そのほとんどの人に同じ剣のタトゥーのようなものが付いていた。もしかして、これ全員異世界転生者なのか?


「岡崎ー!」


 出入口近くのテーブルで、赤茶色の髪をしたファイター風の少女が椅子に座って牛乳を飲んでいる少年に声を掛けた。


「宮下、どうかしたのか?」

「見て見てこれ!この依頼書!」

「えーと何々?北東に生息するハピーネの討伐か……あ、報酬いいなこれ」

「でっしょー?しかも見て、ここの依頼条件!」

「ん?……討伐には男女各一人ずつの二人のパーティで行うこと。なんだこれ?」

「知らないの?ハピーネって名前の割には厳つくてパワーもすごいんだけど、幸せを願っているモンスターなんだって」

「それがこの条件とどう関係があるんだ?」

「それはその……」


 女の子は少し頬を染めて人差し指同士を突き合っている。そのようすに男の方は首を傾げた。


「し、幸せを願ってるっいうことは、幸せそうな人には襲い掛からないってことなの……だ、だからね!ハピーネの前で――こ、こ、恋人同士のフリをすれば、ハピーネ討伐も楽にやれるってことなの!」

「こ、恋人同士!?」

「だ、だからね岡崎!私と――」

「ちょっと岡崎!」


 意を決して誘おうとした少女の言葉を遮ったのは、剣士風の少女だった。


「今からクエスト行くから付き合いなさい!」

「別にいいけど、一体なんの――」

「それは……べ、別にいいでしょなんでも!いいから早く――」

「ま、待ってよ牛田!今私が岡崎のこと誘ってるところ……」

「そんなの早いもの勝ち……」


 お互いに睨み合おうとしたところで、手に持っていた依頼書へと視線が移った。その内容は互いに同じものだった。それがわかった瞬間、二人は同時に少年の手を取り引っ張った。


「ちょ、っと!邪魔しないでよ!」

「それはこっちのセリフ!そのクエストをやるのは私と岡崎なんだから!」

「いててててて!ちょっと二人とも落ち着いて――」

「岡崎ー、ハピーネの討伐依頼なんだけどー」

「ザッキー!私と討伐デートしない?」

「お、岡崎さん!良かったら私と……」


 次々と女の子が現れ、岡崎少年争奪戦へと加わっていく。あんなのがリアルに存在するとは……ていうかこれって――


「ひぃいいいいい!もう嫌!だから嫌なのよここ!」


 両肩を抱いて震え始めたミューを見て、俺は思わず苦笑いを浮かべた。


「あ、あれってもしかしなくても……」

「私の担当だよ!本当にああいうのばっかりなの!」

「でもいいなーああいうの、俺もあんな風に――」

「絶対にさせないからね!」

「ですよねー」


 俺とミューはハーレムから離れ、店の奥にあるカウンターへと向かった。そこではスキンヘッドで髭を生やしたガタイのいい男性が食器を拭いていた。


「いらっしゃい――ん?見かけないだな」

「ついさっき転生してきたばかりなんだ、よろしく!」

「そうか、俺はこのギルドのマスターをやっている。呼び名はいろいろあるが、マスターと呼ばれることが多いな」


 男は気さくな笑顔で握手を求めてきた。俺はそれに応えて手を握った。


「冷たっ!」

「おっと悪い悪い、さっきまで食用のコカトリスを冷凍庫から出してたんだ」

「食用のコカトリス!?おおっ、なんかそういう単語聞くと異世界に来たって実感が湧いてくるな」

「ははっ、そうか。それは良かったな。それで?見るからに新参者みたいだが、ここに来たということは、勇者になりに来たってことでいいんだな?」

「おう、よろしく頼む!」

「わかった、ちょっと待ってろ」


 そう言って店の奥へと消えていったマスターが戻ってくるのを、俺はワクワクしながら待った。そのすぐ隣でミューは今にも帰りたそうにしていたが、全く気にしない。しばらくして、戻ってきたマスターは巨大なホッチキスのようなものをカウンターの上に置いた。


「これは?」

「エレメントスタンプだ、こいつで勇者の証を刻むことができる。右手を間に入れてみろ」


 俺は言われた通り機械(?)の間に手を入れた。すると、俺の右手の甲に黄緑色の剣が刻み込まれた。その光景に、俺は鳥肌が立つほど感動した。


「おおー!これが、勇者の証……!」

「ははは、そんなに嬉しいか?」

「だって勇者だぞ勇者!もう響きだけで最高じゃんか!」

「まああんたみたいな人は珍しくないけどさ。ところで、あんたの“ブレイバー”は一体なんなんだ?」

「ブレイバー?」

「転生した時に神から与えられた力のことだ」

「あー、あれのことか……」


 そういえば、こっちに来てからまだ一度も使ったことがなかったな。しかもどんな能力かも知らない。今教えてもらおうとミューの方を向いたが、当人はまるで他人のようにカウンターでジュースを飲んでいる。いつの間に頼んだし、ていうか興味がないにもほどがあるだろ。


「実はまだ一度も使ったことなくて、一体どんな力なのか知らないんだよ」

「そうか、じゃあわかった時は教えてくれ。マスターの特権でその能力を有効活用させてもらう」

「ははは、変なことに使うなよ?」

「さぁ?ブレイバーにもよるかな」


 ちょっとした洒落を交えながら渋いマスターと会話する……いい!すごくいい!なんていうか、如何にもできる男同士の会話って感じだ!こんなこと、前の世界ではできなかった!やっぱり異世界って素晴らしい!


「さてと、次はお嬢ちゃんの番だ」

「えっ、私も!?」

「当たり前だろ、お前職にも就かずにどうやって生きてくつもりだ?」

「私を養ってくれるんじゃんないの!?」

「一言も言ってないけどそんなこと!」

「やだぁ!働きたくないー!」

「働かざる者食うべからずだ!いいから勇者になれ!」


 俺はミューの右腕を掴んでエレメントスタンプの前まで引っ張った。それに抵抗するように、ミューは左手で右腕を掴んで引っ張り返す。


「ハハハ!馬鹿だなお前、力じゃ俺に勝てないということを理解できなかったのか?」

「だとしても嫌なんだから抵抗するに決まってるでしょ!」

「往生際が悪いな、諦めて右腕を差し出せ!そして勇者になれ!」

「いやあああああああああ!誰か、誰か助けてぇええええええ!」


 ミューの言動で周囲からは子供を虐めてるように見えているだろうがそんなことは知ったことじゃない!例え神だろうと俺はこいつに供物を捧げるつもりはない、食う物くらい自分で調達しやがれ!

 じわじわと手がエレメントスタンプの中へと近づいていくに連れてミューの悲鳴も大きくなる。そろそろマスターが本気で止めに入ろうとしていたその時、俺の顔に何かが飛んできて、そのまま頭から横に吹き飛ばされた。


「いってぇ……な、なんだ?」


 右頬を擦りながら起き上がり現状を把握する。俺が立っていた場所に誰かが立っていて、そいつはミューを抱き寄せていた。

 空色のマントをはためかせ、ゲームで見るような勇者らしい服に身を包んでいる。金色に染めた長い髪にとても整った顔をした二十代前半くらいの男で、そいつは俺を、まるで親の仇のように睨み付けてくる。


「女の子を虐めて楽しみやがって、このゲスが……」

「え?」

「俺はテメェみたいな、レディを大切にしないカス野郎が大嫌いなんだよ!失せやがれ!」


 わぁ、どうしよう。これ完全に勘違いされちゃってるよ。まあこうなるんじゃないかと想定してなかったわけじゃないけど。


「えーと……お兄さん?一応これでも俺とそいつは――」

「例え知り合いであろうと、レディに手をあげていい理由にはならねぇだろうが!」


 やばい、面倒なタイプの人だ、話し合いで終わらせるにはこっちが折れないいけないタイプの人だ。うーん、まあ悪いのは俺と言えば俺だしなー、ここは素直に謝った方がいいのかも。


「大丈夫かいお嬢ちゃん?怪我はないかい?この俺、伊集院幸宗いじゅういん ゆきむねが来たからにはもうあの男に手出しは――」

「チェスト!」


 カッコいい顔をさらに決めてミューを見つめていた伊集院という男は、突然悲しくなるようなか弱い悲鳴を上げた。その原因に俺は目を向ける、助けてもらったはずのミューが、拳を強く握って男の股間に突き刺していた。野次馬とかしていた勇者の何人かは思わず股間を抑えていた。


「お前……仮にも助けてもらったのに……」

「だってアイツ、漫画やアニメでよくいる女を見たらひとまずナンパするタイプの男だよ?そんなのに助けられたら、それをいいことにテンプレなナンパを仕掛けるに決まってるんだから!あーもう鳥肌が立ちそう!」

「お前はアレか、異世界転生云々関係なくテンプレが嫌いなだけなんだな」


 だとしたら、やっぱり俺はこいつと真逆だな。この先ほんとに大丈夫だろうか……


「はぁ……もうしょうがないから勇者になってあげる」

「なんだ突然?気でも変わったのか?」

「このまま抵抗し続けると、さっきみたいなのがまた現れそうだから」

「なるほど」

「ちょっと待ったぁあああああ!」


 ぷるぷると生まれたての小鹿のように足を踏ん張って声を上げる伊集院に、俺とミューは面倒臭そうな視線を向ける。そのまま蹲っておけばいいものを……


「しょ、勝負だ!」

「勝負?」

「ああ、勝った方がその子を守ることができる真の勇者だ!」

「あっ、こいつ欲しいならいいですよどうぞ」

「ちょっと!人を使わなくなった古着感覚で渡そうとしないでよ!」

「ハッ、そう言って俺の隙を突こうとしても無駄だ。正々堂々戦ってもらうぞ、これは言わば――決闘だ!」


 決闘。

 その単語を耳にした俺は、向こうに差し出そうとしていたミューを引き寄せて後ろに隠した。


「決闘……俺とアンタで一対一の戦いをするってことでいいんだよな?」

「あ、アツヒト?女神である私を大切にするのは当然だけど、どうしたの急に?」

「そうだ、これは女の子を賭けた戦いだ」

「女の子を賭けた、戦い……」

「……まさか!待って待ってストップアツヒト!ダメ、そんな決闘受けちゃダメェ~!」


 俺の行動の意図に気づいたミューが、俺の体にへばり付いて止めようとしている。だが、その行動が余計に俺の心を燻る。


「――いいぜ。その決闘、受けて立ってやる!」

「なんで急に態度が変わったのか気になるが……まあいい、ついて来い。広場で決着をつけよう」

「ああ、理想的だな」

「うわぁああああああ!女の子を賭けて男二人が戦う、なんて使い古された展開……!ああ……全身から寒気がするぅ!その対象が私だと思うと余計に!」


 理由はどうあれ、異世界に来てこんな古き良き展開に巡り合えるなんて思わなかった!男なら誰しもやってみたいことベスト5にはいるこの状況……全身全霊を賭けて楽しまなくてはな!

 俺は苦しみもだえるミューを引きずりながらギルドの外へと出た。

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