瞳のなかにあなたを見つける

 それは移り変わる季節のように。

 私のがんじがらめだった平凡な日常の色を塗り替えた。

 星々の輝きに吸い込まれそうになる。

 暗い宇宙の未明を埋め尽くす光のかけらたち。

 けれど憧れれば憧れるほどに、そこには行けないと現実が潮騒のように押し付けてきて夢はさらわれる。

 幻想は彼方へ。遠かった風景が返ってくる。

 なぜ気づかなかったのか。

 そう思うほどの喧騒が聞こえた。

 不安に満ちた色をしている。


「そう、これが……」


 義母ははの営む花屋は住宅街の一角にある。

 居住区。人が安寧を得る場所。

 軒先や窓から姿を見せて空を見上げる人々。振り向けば、義姉も二階から身を乗り出していた。

 彼らにも聞こえたのだ。あの針の音が。

 このざわめきが、魔女の言っていた死を恐れる意思。生きたがりの悲鳴。


「なんて汚い」


 ぼそり。言い洩らし、辺りを見渡す。


「いないや」


 紫の色は、宵闇に溶けてしまったかのように見当たらなかった。

 魔女は導かず、カボチャの馬車の出迎えはない。

 私がなぞる少女シンデレラの物語。しかしてそれは、シンデレラの物語であるのだから。



   ◇ ◇ ◇ ◇



 私の朝は早い。

 天窓からの空がわずかに白んだあたりで目を覚ます。

 床をきしませないように立ち上がり、枕元に畳んだ制服にそそくさと着替える。

 寝間着を小脇に階下へ。

 屋根裏に舞う埃が、昨夜見た星の欠片のようにきらきらと輝いていた。

 音を吸い込む静寂の中を歩く。

 晩秋の不明瞭な朝は霧を思わせる。

 廊下はそう長くない。

 拒絶するように固く閉ざされた扉の群をみっつ抜け、よっつ目。

 開け放たれた場所が存在した。

 価値の透明なこの家で、色づくことの許される数少ない所――つまるところは洗面所であった。

 用件は、備え付けの洗濯機にあった。

 寝間着をネットにまとめて放る。

 ついでと鏡を見て、ぼさぼさの髪を簡単に手慰めた。

 さて。身支度を終え、次の場所へ移る。

 廊下の突き当りにあるダイニングキッチンへ。

 塗装のはがれた食器棚や冷蔵庫は年季を思わせる。机だけは義母|のこだわりでアンティーク調なものを使っているため、いびつな立体感のある部屋となっていた。

 並ぶ椅子はみっつ。ひとつは小学生が使うような子供用。

 彼女はさっと手を洗い、朝食づくりを開始した。

 コンロに並ぶフライパンと小さな鍋。

 小鍋のほうにコップ三杯分の水を張り、火にかける。

 沸き立つ合間に冷蔵庫と食器棚に手を伸ばした。

 ヨーグルトを器によそい、個々に味付けをしていく。

 義母のものにはオレンジを刻んで入れ、義姉のには蜂蜜をひとさじ。

 慣れた手つきというより、頭に叩き込んだ設計図通りに組み立てている感じだ。

 湯が沸くにはもう少しかかる。

 チチッ、ともう一か所に火をおこす。

 熱の通りの早いフライパンに食パンを一枚落とす。

 両面がさっときつね色になるころには、少量の水はぐつぐつと沸騰していた。

 ふたつのコンロを閉ざし、一杯のマグカップにだけ白湯をそそぐ。

 焼いたパンには、戸棚の奥に隠したマーマレードを。義母が毎朝食べるオレンジの皮を少し拝借して作ったものだ。

 そっけない朝食を胃に押し込む。ほのかな柑橘の香りが、わずかながらに食事の余韻を感じさせる。


「……ふう」


 一息。小休止は終わり。

 作業を淡々と再開する。

 トースターにパンを二枚仕込んで時間をセット。

 暖められた舞台フライパンにじゅわっと音を立てて油が躍る。相方はみっつの卵。溶き崩してふたつはひとつに。

 ふわふわのスクランブルエッグを白い丸皿に飾る。

 温度をわずかに落としたお湯で二杯の紅茶を溶かした。

 芳香は湯気とともに。

 苦いところだけが残ったお茶の葉とはお別れ。

 甲高い音を鳴らしてパンが跳ねた。

 それが目覚ましであるかのようにこの家の主たちが起きだす。

 低血圧そうな表情で寒さに身をこすりながら椅子に座る。

 ふたりは、卓上に並ぶ食事がさも当然であるかのように口にした。

 もう私に価値はない。

 必要性のないものが価値を求めれば気分を害してしまう。

 そそくさと退出し、ふたり分の寝間着が増えた洗濯機を回した。

 あとは自室でおとなしく時が経つのを待つだけ。

 ふたつ分のドアの音を聞き、薄っぺらいリュックを小脇に抱える。

 階段から降りようとし、視界の端に光るものを見た。

 古着の中にそっと紛れ込ませたガラスの靴だ。

 私の得た役割シンデレラの証。


「……」


 わずかに逡巡して、それを鞄に詰め込んでから階下へ降りた。

 洗濯機のうなり声を小耳に洗い物を済ませて。

 まぜこぜになった洗濯物を干せば、登校時間ぎりぎり。

 地元の高校とはいえ、走らなければ間に合わない。

 ぼろぼろのスニーカーは、せめて小石からは足を守ってくれる。

 寒さでひときわ痛む関節を無視し、ひとのまばらな通学路を落ち葉を蹴り上げ駆け抜ける。

 風景を見ている余裕はない。

 だからいつだって私の見る世界は灰色だ。――だからふと見る色づいた景色に目を奪われてしまう。

 予鈴が近く聞こえた。住宅街から離れ、駅や商業施設の集まる街の中心地に学校はある。

 ぜえぜえ、と酸欠の魚のようにあえぎながら校門に飛び入る。

 文化祭も目前。いつもは質素な校門も、様々な飾りつけがなされている。

 備品があちらこちらに分別して置かれている。予鈴が鳴ったから人気のないだけで、先ほどまで何人もが作業をしていたのだろう。

 痛む足を無視して上履きに履き替えた。最近サイズが合わなくなってきてつま先が痛い。かかとをつぶすのは見っともないのでしないが。

 オコジョみたくぱたぱた走る。

 校舎のなかもだいぶ模様替えが済んでいる。喫茶店にお化け屋敷、夏祭りのような射的屋もある。

 クラス単位だけでなく、部活や同窓会、委員会区切りでの出し物もあって雑然としてはいるが、そのわちゃわちゃ感がお祭り然としていて、見ている分には心地が良い。

 私のクラスは何をするんだろう。花の準備を頼まれた記憶はあるけれど、どのように使うのかまでは知らない。

 目的地が目に見えてきた。和喫茶なる看板を目に入れつつ教室へ滑り込む。なるほど。

 目立つ動作であったが、だれも見向きすらしない。

 慣れているとかではなく、ふれようとしない。

 いじめと、見るひとが見たら思うのだろう。

 しかし、そう断じるのはいささかの語弊がある。私自身が否を唱える立場だ。

 いじめという語感の軽さを嫌ってというのもあるが、何よりこの事態を招いたのが自分の態度であると自覚しているから。

 端的に言えば、私からすべてを無視したのだ。

 他者との繋がりを排斥した結果が返ってきているだけ。

 だれも必要としなかった私は、だれからも必要とされていない。

 私の青春は、火山灰の積もった大地のように不毛だ。花が咲く余地なんてない。

 なのに、取り繕うようにシンデレラの役割を得た。

 もしもだれかに必要とされたがっていたのだとしたら。私の今まではまったく、透明なガラスのような空虚だ。

 だからそうでないのだと信じる。ただ、終わり方を見つけただけなのだと。

 朝のホームルームはつつがなく終わる。いつもの通り。見て見ぬふりをするように。

 それでも人の口に戸は立てられないないというか。この程度はまだ高校生の好奇心の範疇というか。

 一限目の授業が始まるまでの休み時間。

 教室内が常よりも騒がしかった。

 授業といったって今の時期はもうすべてが文化祭の準備に割り当てられているわけで、ざわざわ具合は常より大きいのだが、今日は一段とだった。

 いくつものグループの輪に分かれてはいるものの、その内容は共通している。

 昨夜の時計の音についてだ。

 ここにもまた、生の意思が満ちていた。

 死を目前に晒されて、笑ったり、怯えたり、見て見ぬふりをしたり。喜んでいるひとは、もちろんいない。

 彼らに対して好悪の感情はなかった。が、これに関しては胃のむかつきが抑えられない。

 学校は退屈をこなす場所である。しかし今日に限っては、今すぐ逃げ出したくなる欲求にあらがう必要があった。

 買い出しに行こうにも消耗品はとっくに整っている。そもそもいつも言われるがまま、私に話しかけるのが一種の苦行みたいな扱いなのに自発的にそんなことをすれば、お祭りの空気感に浮足立ったなかでは変に持ち上げられかねない。

 八方ふさがり。机にかじりつく気分だ。無心でひたすらに飾りつけのわっかを作り続ける。作成数記録更新。せっかく逆算して作成数を決めていたのにおじゃんだった。明日から何をしよう。

 ぼうっとしててもあれなので、計画の中心らしい子と花の種類と数の最終確認を済ませる。まあこれくらいならお互いに苦痛はない。

 こうしてどうにか学校での一日を消費した。

 終わってしまえばいつもの日常が返ってくる。

 今までは諦観の下に鬱屈と過ごしてきたが、この鉛を吸い込み続けるような空間から出れるのならば希望の光にすら思えた。


(どうせ終わるなら……)


 魔の刺した思考が走る。

 高校まで通えているのはひとえに義母の見栄だ。

 卒業とともに無一文で勘当されるのは目に見えている。

 花屋の仕事はあくまで家庭の手伝い。給与は発生しない。

 未来を見据えられても、その準備の時間をすべて今生きるためのご機嫌うかがいに浪費しているのが現状だ。

 けれど、本当に世界が終わるのならば。

 何もかもに縛られるのはやめにしてもいいのでは。

 ささやく声に陶酔しそうになる心を自戒する。

 その終わりを覆すために私は聖女シンデレラになることを選んだのだから。

 ガラスの靴は、しっかりとした重量感でその存在を誇示していた。

 帰路に就く。

 放課後の予定を語らうかしましさから距離を取って、昇降口へ。

 準備期間の中盤はそれこそ詰め込むとばかりにみんながみんな残業にいそしんでいたものの、開催が目前となればその貯金のおかげかカリキュラム内で間に合うだけの進捗を見せている。なので、いつもより疲労が少なく、ゆったりとした学校の空気を引きづったままの生徒がわんさか列を作っていた。

 三学年入り混じる熱気にくらくらする。

 ゆらゆらと、つかず離れず進むさまは水面のクラゲのよう。

 そうして日々は消費される――はずだった。


「……!」


 認識が、ゆがむ。

 それはきしむ音が聞こえそうなほど鮮烈に。

 何かの優先順位が組み替えられているような、猛烈な違和感が背筋を這いあがった。

 正体を探り、視線を動かす。

 その先にいたのは、だれとも知れぬ生徒だった。

 校章の色からして同学年だとわかる。明色に白の入った造りであるため、遠目でも判別がつく。

 顔に見覚えはない。すれ違ったことすらない可能性もある。

 そんな路傍の草ほどにも意識したことのなかった存在に、なぜ反応したのか。

 疑問と、鼻にまとわりつく感覚に顔をしかめる。

 後者には覚えがある。義姉のつけている香水だ。

 あまったるくて吐き気のする存在価値のわからないもの。

 そのように感じた事実でさらに疑問は山積した。

 あまりに私が見つめていたせいか。


「……?」


 ふと、目と目が合う。

 何かが結ばれた瞬間。

 傾げられた首は、疑念の態度。会話の糸口だ。

 踏み出せば、この時にでも始まるものがあるという予感がした。 


「……っ」


 私は、ハリネズミのように身を縮こませて人波にもぐりこんだ。。

 向こうは追いかけてくるほどの関心はなかったようで、無事に校舎の外へひとりで出れた。このまま気のせいだとでも思ってくれればいいが。

 今の感覚はなんだったのだろう。カラン、とわざとらしくガラスの靴が鳴った気がした。

 ――ならば気のせいだ。

 そう断じて私は足早に帰宅する。

 変化を拒んだ私の日常は続いていく。

 これが運命といった見えざる手のもたらす恩寵――ではない、、、、と知るのは、もう少し先の話で。

 先日から一時間遅れた十九時に星の悲鳴は響き渡り、すべての人が確固とした死を知覚した。

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