UPDATE2.4「はじめの一歩」
UPDATE2.4「はじめの一歩」
誰かの叫ぶ声。地獄めいた声が、頭の中をこだまする。
怒り、憎悪、復讐心。傷口から垂れたどす黒い血液が、全身を覆う。
次の瞬間、血液に引火するように、全身が燃えた。それでもなお、復讐を誓う声が頭に響く……
スズトは、目を開けた。いつもこの夢を見る。毎晩毎晩、全く同じ内容の夢。『ここ』に来てからずっとそうだ。
「やぁ、おはよう」
ベッドの上に腰かけた、ピンクの髪が特徴的な美少女が、笑いかける。スズトは呆れたようにため息をつく。
「また君か……」
「別にいいじゃん。美少女が起こしに来てあげてるんだから。うれしいでしょ?」
「そうだね。うれしいよ。中身が『男』じゃなければ」
はいはい、と美少女はベッドから立ち上がった。彼女の名はスズメ。着ているのは、扇情的なメイド服だ。
「女の体も悪くないよ? 胸も揉み放題だし」
そう言って決して小さくない自分の胸を揉みしだき始めた。色気もへったくれもないその光景に、スズトは再びため息をついた。
「……で、なんの用?」
「あー、プライムがね、用があるとか」
プライムが? スズトは寝間着から着替えながら、そう聞き返した。
「新人? の指導がどうとか、言ってたっけな……」
「ふーん、新人ねぇ……」
スズトは黒いコート・オブ・プレート(鎧の一種。板金を丈夫な皮や布地の裏に留めたもの)の上にブルーのコートを着て、腰の後ろに一対の盾筒を提げた。そして左腰にポンプアクション式のセミオートボウガンを提げる。
スズトの部屋には、様々なものが飾られている。絵画や書道、何故か板前用の服も掛かっている。意外と多趣味なのだろうか。
戸を開け、廊下に出る。和風な木造建築の建物だ。階段を下り、エントランスを通り、暖簾をくぐって外に出た。
石畳の大きな通りは、この街、城塞都市ゼンモン・シティの中心部、スザク・パレスに続いている。スズトは太陽に目を眩ませながらスザク・パレスを見上げた。あの和洋折衷の美しい城こそ、この街の中心部であり、街を統制するマスターギルド〈スザクの夜明け〉ギルドの本拠地である。スズト、そしてスズメも〈スザクの夜明け〉ギルドの一員である。
大通りは様々な店や、長屋などが立ち並んでおり、とても賑わっている。それこそ一年前では考えられないほどの賑わいぶりだった。暗黒の半年を乗り越えたこの街は、活気を取り戻しつつある。
「指導って言われてもなぁ。最近は剣すら握ってないんだけど」
「寿司は握ってたくせに」
スズメはそう言ってクスス、と笑った。それを見たスズトは顔をしかめた。
「スズメがやればいいじゃん」
「やだよーだ。面倒だし、それに君ほど強くないし」
あっそ、とスズトはそっけなく返事し、通りを歩きながら店を眺める。防具、武器、食べ物……表の大通りにある店はまともだが、裏通りの店では、危なっかしい商売が行われているという噂もある。麻薬や、人身売買の類だ。実際、治安が悪い。街の治安を守るのもマスターギルドの仕事だが、人手不足のために手が回らないというのが実情だった。
二人は正面の噴水を迂回し、警備兵に挨拶すると、スザク・パレスの中へと入っていった。エントランスはとても広く、ギルド所属のメンバーたちが、クエストの募集や、装備についての相談、または他愛もない会話で談笑しあったりしていた。スズトとスズメはエントランスを横切り、上に昇るためのゴンドラの前に止まった。
「じゃ、ボク行くとこあるから。んじゃ」
「ああ、またあとでな」
走り去るスズメに手を振ると、スズメも手を振り返した。スズトはゴンドラに乗り、最上階にダイヤルを合わせると、レバーを引いた。転落防止用のドアが閉まり、カラカラと音を立ててゴンドラが上昇を始めた。
上昇するゴンドラの中で、スズトは一人、物思いに耽っていた。
暗黒の半年間、混乱と絶望がひしめく混沌とした地での死闘。そしてあの少年、シェイド……
ガタン、と音を立ててゴンドラが停止した。ドアが開く。ボンボリが廊下を優しく照らしている。目的の部屋まで歩いていると、ギルドに二人いるサブプライムの一人、ユージに出会った。
「お、スズト君。久しぶりだね」
「どうも、ユージさん。お久し振りです」
「プライムに何か用が?」
「ええ、新人を鍛えて欲しい、とか」
「なるほどね。まぁ、あまり気張らずに頑張りな!」
ユージはそう言ってすれ違いざまにスズトの肩を叩いた。スズトはユージの背中にお辞儀すると、くるりと振り替えって目的の部屋の前まで歩いた。そして、障子戸を開けた。
畳が敷かれた和室。壁際には大きな赤い大鎧が飾られており、その後ろには達筆な字で『朱雀』と書かれた掛け軸が掛かっている。畳の独特の匂いが、スズトの心を落ち着かせる。
「わざわざ来てもらって、すまないね」
部屋の中央で正座している男こそ、〈スザクの夜明け〉ギルドのギルドプライム、テツオである。その隣には、スズトと同年代くらいの少年が同じように正座していた。
「いえ、わざわざというほどでも……」
「ま、とりあえず座ってよ」
中央の囲炉裏を挟むようにスズトも正座した。テツオが抹茶の入った器をスズトに差し出す。スズトはそれをゆっくりと飲んだ。リラクゼーション効果のある独特の苦みを感じる。
「で、用件はスズメさんから聞いている通り、新人――隣の彼を鍛えてほしい」
テツオにの隣に座る少年は石像のように身じろぎひとつせず、正座している。緊張しているのだろうか。
スズトが質問を投げ掛ける。
「本当に私がやらねばダメでしょうか? つい最近まで寿司を握っていた男ですよ」
テツオはゆっくりと頷く。
「分かっている。君が前線を離れた理由を含めてね。君の寿司はおいしかったよ」
「ありがとうございます」スズトは複雑な気持ちでお辞儀した。
「さて、少し蛇足するけど、最近どうも付近の様子がおかしい」
「おかしい?」
「そう。魔物の動きが活発になっているという報告が入っているのだ。沈静化したと思っていたが、奴らは戦力を増強してきているようだ。そこで、ギルドでも一、二を争う強者の君に、白羽の矢がたったというわけだ」
そう言ってテツオはニヤリと笑った。スズトはこの顔を知っている。何かを企んでいるときの顔だ。
スズトは素振りをする新人――アランを見ながら欠伸した。一年間生き抜いてきただけあって、筋は良い。それどころか、もう少し鍛え上げれば確実な強さが手に入るだろう。
二人は城の敷地内にある闘技場で訓練に励んでいた。他の者も同じだ。
「我流?」
「はい」
「実戦も経験してるんでしょ?」
「……はい」
アランは素振りしながら答えた。その剣筋にブレはない。わざわざスズトをつけなくても良いと思うのだが、そこには何かギルマスの思惑があるのだろうか。スズトはかぶりを振った。今考えてもしょうがない。必要があれば、その時に分かるはずだ。
それから一通りの訓練を終えたあと、スズトは空を見上げた。空は紫がかり、日が沈もうとしていた。
「今日はこんなんでいいか。寿司、食べる?」
アランは少し困惑したように、頷いた。こういうのは初めてなのだろう。
その日の晩、アランは大通りにある寿司屋のカウンターに座っていた。彼の目の前で寿司を握っているのは白い板前用の服を着たスズトだ。
「で、なんで君も来てるのかな? スズメ?」
寿司を握りながら、横目でスズメを見る。当の本人は湯飲みのお茶を飲んでいる。
「君の奢りだと聞いてね」
スズトが睨む。
「お前の奢りだろ?」
「やだよ、そんな--」
スズトが一層強く睨む。スズメは諦めたように肩をすくめた。
「ああ、分かったよ。今回は新人君の祝いっていうことで……」そしてお茶を飲んだ。
「そういうこと。今日は遠慮せず、食べていいから」
スズトはアランに笑いかけた。アランはまだ困惑した表情だった。
握り終えたトロ寿司をアランの目の前に置いた。
トロは光を浴びて、上品な赤身を輝かせている。アランは生唾を飲み込み、寿司を取る。そして口に運び、ゆっくりと咀嚼した。
あまりのおいしさの為か、または他の理由か、アランは口を押さえて、目をつむった。
『?』
スズトとスズメ訝しんだ。何か様子がおかしい。
「み、水……ください」
ややあって、アランが絞り出すように声を発すると、スズメは急いで自分の飲みかけの茶を差し出した。アランはそれを手に取ると、一気に飲み干して、大きなため息をついた。
「もしかして、ワサビは苦手だった?」
「ゴホッ、ゴホッ。ワサビ?」
スズトは申し訳なさそうに頭をかくと、
「次からはワサビを抜いておくよ」
と言った。アランは小首を傾げたまま、よくわからないというような顔をしていた。その時、アランの胸元から黒いカメレオンがはい出してきて、アランを見上げた。
「あ、ああ。また後でな」
少し焦ったようにカメレオンの頭を撫でてやると、嬉しそうに指に頭をこすりつけた。
「今のは?」
スズメが興味深そうに尋ねた。
「俺のペットです。旅の途中で、偶然見つけて」
「へぇ、じゃ、大事にしないとな」
ええ、とアランはカメレオンを撫で続けた。
白いローブを着た女性が、空飛ぶ灰色のグリフォンの上から、ゼンモン・シティを俯瞰していた。その女性の名をオリガミと言う。マスター・オリガミ。
肩に乗っかった黒いカメレオンを愛おしそうに撫でると、目を細めた。
「まずは成功。偉大なる第一歩」
『私にとっては小さな一歩。人類にとっては大きな一歩。そんな言葉がありませんでしたっけ?』
突然、黒いカメレオンが少女の声でしゃべり始めた。オリガミは意に介さない様子で、
「アームストロングの言葉ね。なんで今それ言うのよ」
『いや、なんか、ふわっと頭に浮いてきたんっすよね』
「まぁ、いいけど、監視、怠らないでね」
『かしこまりましたー……かしこ。フフッ』
カメレオンが口を閉じると、フードの中に潜り込んでいった。オリガミは町を一瞥すると、グリフォンを反転させた。
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