第6話 覚醒する聖剣
走る。走る。走る。人生でこんなに全力で走った事があっただろうか? いや、無い。俺は過呼吸に近い状態になりながら、必死で住宅街を走っていた。
前を走る背中はレア。後ろから見る限り、全く息があがった様子がない。一体どんな体力しているんだろう? 俺も体力に自信が無いわけではないのに……
何かコイツは、普通の人間とは根本的に身体の構造が違うのではないのだろうか?
当然、良くない意味で
先程ラーメン屋でおまわりさん相手に大暴れしたレアは、俺の腕を掴んで走り出した。急遽応援に駆け付けたパトカー数台だが、タッチの差で俺達を取り逃がしてしまう。
ホント、あのまま
事情を知らない警察からすれば、今や俺も立派な”町内テロリストのお仲間”だ。考えただけでお漏らししそうです! 助けてお母さん!
商店街から川沿いに抜け、それから堤防の下を走り、ようやく住宅街に戻ってきたのだが……当然、そこには先回りしたパトカーが複数台巡回していた。コソコソと路地を歩く俺に、後ろからレアが声を掛けてくる。
「おい、ラーメンおいしかったな!」
「そっちかよ!?」
流石に驚いて振り向く俺。そこには状況を理解していないのか、にへらとだらしないレアの笑顔が。
彼女はこちらの気も知らず、『それと、あのギョーザも云々……』などと呟いている。ああ、頭が痛い。
徐々にコイツの思考パターンが読めてきた。
恐らくコイツの頭の中ではこうだ。まずトラブルの起きていない普段の状態。それから何かしらの事件を起こす。
次に脊椎反射で敵と交戦、そして振り切って逃げる。一旦逃げ切れば最初の振り出しへ戻る。
つまり、パトカーを振り切って警察官に目視されていない”今現在”、レアの中では己が他の一般人と変わらない扱い……無警戒状態となる。
俺の部屋にいた時は外を頻繁に通るパトカーを見て、それで落ち着きが無くなっていたに過ぎないのだろう。
もっと簡単に言うと……レア自身から一定期間、警官及びパトカーが見えないと……いや、そんな理屈っぽい言い回しをせずとも、更に簡単な表現がある。”今、自分から見えてないものは全く気にならない”と言う事だ。お前は野生動物か? この
くそ、ストレスがバベルの塔の様に積みあがっていってるのは俺だけかよ!?
これもう明日には、頭皮の毛根が全部死んでるかもしれないな……などと考えていると、”その時”は唐突に訪れたのである。
「おい! 貴様、何をボーッとしている? 見ろ、”我々の”仇敵のお出ましだ! パトカーだ! もうあれの名前覚えたぞ!」
レアの大声にハッ! と我に返る俺。『我々!?』 ……お前だけだろ! とツッコミを入れたいのを我慢して前を見た。
確かにパトカーだ。ゆっくりと、前方の丁字路からこちらへ曲がろうとしている。再び心拍がハネ上がり、頭部の毛細血管の隅々へと血液が流れ、毛髪の先まで酸素が行き渡るような錯覚を……俺は感じる。
パトカーに乗るおまわりさん達は、まだこちらに気が付いていない。
「おいレア、まだ気付かれてないぞ? そこの枝道に入ってやりすごそう。そこを右だ……」
俺達の目の前には、車一台ギリギリ通れる幅の道が左右に存在する。左は袋小路。右に逃げればその先にも細い道が分岐しており、今すぐに身を隠せば見つかることは無いだろう。そこから先もパトカー相手なら逃げやすい。
「了解した! ゆくぞ!」
突然俺の腕をがっちりと掴むレア。そして俺が指した方とは間逆の……左の袋小路にズンズンと進んでゆく。……えっ!?
「ちょ!? おまえ! 逆だ逆!!」
左はお茶碗持つほうだ! あっ、コイツ外国人だし例えがわからないか。
「ん? 細かい事は気にするな!!」
仕方ない、今更戻ってもパトカーと鉢合わせだ。幸いこの先はエル字に通路が折れている。隠れていれば何とかやり過ごせるだろう。
塀に囲まれた路地の突き当たりまで小走りし、電柱の下でしばらく息を潜める。そのまま暫く待った。
こちらからは様子が見えないが、そろそろ大丈夫だろうか? いい加減……もういいよな? 手でサインを出して頷き合い、来た道を戻る俺達。
しかし、エル字の角を曲がった瞬間、ありえない光景が目に飛び込んできたのだ。
どちらが先に呟いたのだろう……? 覚えていない。しかしそれは確実にそこにいた。
「あ、パトカーがこっち向いて道塞いでる……」
サッと住宅の壁に隠れてパトカーを観察すると、大体の事情が読めた。運転席に座っている随分と若い警官に向かって、隣の上司らしき人物が何か苦言を呈しているように見えたのだ。
恐らく、狭い路地に入ろうとハンドルを切った若い警官であったが、車で進入してみると思ったより道が狭い。しかも前を見ると鋭角なエル字路だ。多分あの感じだと二人とも応援でこの地区に来ていて、辺りの道に詳しくないのだろう。
それで慌ててバックしようとしたが……若い警官がまだ狭い路地での運転に慣れておらず、パトカーを塀にこすりそうになったので、上司が一旦車を止めて指示を出している……と。そんな所ではないだろうか?
まだこちらに気付いてない。このまま車をバックしてくれるなら、隠れて少し待てば何処かへ行ってくれるだろう。よし、今のうちにコッソリ戻ろう……と思った矢先。
「ハッハッハッ! おい、アレを見ろ、実に滑稽だな! あのパトカー立ち往生しているぞ! おバカさんだな!」
「――!?」
アホの大声が袋小路にこだましたのである。おバカさんはお前だ!
引き攣る俺。何事かとこちらを向く車内のおまわりさん二人組。やりやがった……
大声に気付いたおまわりさん達が、目を凝らしてこっちを見ている。
こちらから視線を外さず警戒し、車内の無線で連絡する素振り。これはバレたと見て間違いない。
俺が硬直して見ていると、助手席のパワーウィンドウが音を立てゆっくり下がった。年配のおまわりさんがこちらを刺激しない様に語りかけてくる。
「えっと……君達。その……例のアレだよね……?」
答える俺。
「えっと……はい。その……多分仰っている……アレです」
空気を読むおまわりさん。出来る男だ。
「あっ……そ、そうか。ははっ……うん。とりあえず……お話聞かせて貰って……いいかな?」
微妙な空気に困惑する俺。だがこれは助かるチャンスだ、慎重にいこう。
「あっ、はい! えっと、その……是非……お願いします……」
はあ……何かドッと疲れた。とりあえずこれでようやく事情を説明できる。そういや今まで何故、このアホと一緒になって逃げていたんだろう? 安心し、肩から力を抜いた俺の世界に……ようやく色彩が戻った。
俺の雰囲気から”荒事を避けられそうだ”と察してくれた年配のおまわりさんが、急に優しい雰囲気で語りかけてくる。あちらも面倒は避けたいのだろう。そりゃそうだ。
「良かった。ではちょっと路地の出口までパトカー下げるから付いてきてくれるかな? ここは狭くて車のドアが開かないからね。話は車に乗って貰ってから聞くから」
「はい、わかりました」
と、大人しく俺がついていこうとしたその時……再び目の前が真っ白になるような事態が起こる。
そう、極度に緊張した俺は……隣で臨戦態勢へと移行しつつある、コイツの存在をすっかり忘れていたのである。叫ぶアホの子。
「貴様等に話す事はなにもない! そこをどけ! どかぬと言うなら押し通るまで。我が聖剣エクスカリバーの錆となるがいい!!」
「ふぁっ――!?」
叫ぶレアに再び緊張するおまわりさん二名。ヤバイ! なんという事をしてくれたのでしょう!?
「え、えくす……何だって??」
「な、何言ってるんですかね? あの
何かを話し合うおまわりさん達。その直後、レアがツナギの胸元のジッパーを十数センチだけ降ろし、余裕のできた襟首の背中から”アレ”を取り出したのである。ジーザス!!
言うまでもない。そう、あの忌々しい
「武器だ、武器を持ってる! 報告にあった通りだ!」
「飲食店で、アレ持って暴れたと報告にありました!」
俺は興奮したレアに『あのパトカーはどかないんじゃなくて、動けないんだってば!』と、何度説明しただろう? しかし無駄だ、完全に敵と戦う戦士の目になってる!!
「最後通告だ! そこをどけ! しかしその真っ向から向かってくる姿勢、敵ながら良し!」
だからどけないって言ってんだろ、このおたんこなす! バットを左手で縦に構え、右手の二本の指で下から上へスッとなぞりながら何か文言のようなものをブツブツ唱え出すレア。
戦闘前の儀式のようだ。これが本物の厨二病ってやつだろうか? ここまで酷いのは生まれて初めて見た……何が敵ながら良し! だ。引くわ。
何かを唱え終えたレアが、突然中世の騎士が剣で忠誠を示す様なポーズでビシッと立ち、胸に金属バットを当てる。そして……
「ゆくぞパトカー! 我が名はレア、主神オーディンに仕えし戦乙女! いざ! 推して参る!!」
次の瞬間、バットを握ったアホがパトカーに飛び掛ったのである。圧倒的不利な状況に叫ぶおまわりさん達。
流石にパトカーを前に発進させ、女性をハネる訳にもいかないのだろう。俺は公務員じゃないけどお気持ち察します、ハイ。
理不尽だが、社会ではマニュアルを破って波風を立てた者が悪なのだ。
「食らえ! 我が必殺の聖なる一撃! ――えくす! かりばーーっ!!」
――バキッ!!
レア渾身の垂直フルスイングで、パトカーのサイドミラーがボディとサヨナラする。おまわりさんが叫んだ。
「ああっ!? ミラーが! お前達、公務執行妨害だぞ!!」
俺「達!?」
いやいやいや! 俺なにもしてませんよ!?
ミラーを吹き飛ばすと、そのままの勢いでパトカーのボンネットに駆け上るレア。今度は餅つきのようにバットを屋根に振り下ろす!
「かりばーーっ!!」
――ボゴッ!!
「あーっ!? 屋根が!!」
叫ぶおまわりさん。そりゃ叫ぶわ。
一瞬で蜘蛛の巣が張った様に白くなるフロントガラスと、派手ににへこむ屋根。そして突然訪れる一瞬の静寂。
レアは不思議そうに首を傾げながら、訝しげな顔で手元のバットを見つめた。
どうやら思っていたより威力が低かったようだ。しかし次の瞬間、火が付いたようにバットで屋根を連打する――!
「かりばーっ!」 ――バンッ!
「かりばーっ!」 ――バキッ!
「かりばーっ!」 ――パリン! ベキイッ!
砕け散るフロントガラスとパトライト。ボコボコの屋根。
車内ののおまわりさんが絶叫した!
「うわあぁぁぁぁ!? あ、あぶない! 危ないからやめなさい! やめなさい!!」
更に車から飛び降り、悠然とボンネットの前に立つレア。もうパトカーは目も当てられない惨状だ。両手で握りしめたバットに強く力が込められる。
「かりばーーーーっ!!」
斜め下から身体を捻って打ち上げる強打。そして……
――ボンッ!! という派手な音と共に、パトカーのエアバッグが展開したのだった。
……お母さん、僕を助けてください。
ビニール傘と金属バット ~レアさん、やりすぎですよ~ ワセリン太郎 @waserin5555
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