彼女のくれたチョコが、他の人のより大きかった

玖珂李奈

1. バレンタインデー

 喜ぶべきなのか。いや喜ぶべきことなんだけれど、どう喜んだらいいんだ。


 喜び方を間違えたら大問題だ。下手したらどちらかが会社を去らねばならぬ事態にもなりかねない。そこまではいかなくとも、気まずさがグループ全体を覆い尽すことは確実だ。

 俺はたった今彼女から渡された紙袋を手に、脳みそを高速回転させている。

 だが、長い長い冬の時代を過ごしたせいで、既に永久凍土と化している俺の恋愛脳は、ただつるつると空しく上滑りを繰り返すばかりだ。


 ✨✨


 二月十四日。バレンタインデー。


 この日の詳しい謂れは忘れたが、少なくとも日本と一部のアジア圏では、「女性が好きな男性にチョコレートをあげる日」になっている。

 とはいえうちの会社には未だに「義理チョコ」の風習が根強く残っているので、この会社にいる限り「チョコを一個ももらえなかったバレンタインデー」を過ごす心配がない。


 女子社員達は、各グループ内の男子社員には個人で買ったチョコを配り、部課長にはお金を出し合って買った、少し良いチョコをあげる事にしているようだ。

 この職場は女子率が低い。だから結構な出費だろう。

 だが、出来ればこの風習は消え去って欲しくないと個人的には思っている。俺が下戸の甘党だから、余計そう思うのかもしれない。

 まあ、とはいえホワイトデーのお返しを考えるのは面倒くさいものだが。

 貰うのは嬉しいがあげるのは面倒くさい。

 なんだか年賀状と少し似ている。


 で、問題はこの紙袋の中身だ。

 さっき、「水谷さん、はーい」と手渡されたそれは、


 他の人のチョコより、大きかったのだ。


 ✨✨


 くれたのは、俺の左隣に座っている氷室さん。

 氷室さんの担当チョコは、俺のグループの男子社員で、4人分。

 俺は一応、グループリーダーの立場だ。


 三時になった時、彼女は他の女子社員と一緒に席を立ちあがり、チョコを配り始めた。


 まず女子全員で部長に。

 部長は確か、元祖天才な着物少年のパパと同い年だが、子供がまだ幼稚園児だ。だからなのか、「それ、絶対部長あてじゃないだろ」という、お面ライダーのおもちゃつきお菓子缶をあげていた。


 次に課長達、そして各グループに分かれてその他シモジモに配る。

 そこで氷室さんは俺の方に向かってにっこり笑い、「水谷さん、はーい」と言って、茶色い紙袋を渡してくれた。


 「あ、ありがとう」


 俺がそう言うと彼女はもう一度にっこり笑い、さっさと次の人の方へ向かっていった。


 長い髪の毛を、なんか食べかけの袋菓子の口を止めるやつみたいなバナナクリップで緩くまとめている。艶のある髪の毛は、彼女が歩くたびにたわんたわんと揺れる。

 俺は、仕事が終わった後の彼女が、クリップを外す時の仕草が好きだ。


 ✨✨


「あ、水谷さんのやつ、俺らのと違いますね」


 グループ最年少の前田が、自分のもらった紙袋と俺の紙袋を見比べながら声をあげた。


「氷室さん、一応、リーダーとその他で分けているんですね」


 一応ってなんだよ一応って。前田の言葉を、氷室さんは曖昧に笑っただけで流していた。


 ……あれ?


 他の人の紙袋と、俺の紙袋を見比べる。

 確かに、俺のだけ違う。

 俺の紙袋は大きい。明らかに中身の量が違うのが分かるくらい大きい。

 だが、それだけではなく、

 俺のだけ、知らないメーカーのチョコだ。


 他の人のものは、誰もが知っている有名なメーカーのものだ。どんなにチョコに疎い奴でも必ず知っている、あれだ。

 で、俺のはどこのものか分からない。


 勿論、この世には俺の知らないメーカーが大量にあるのは知っている。これだって有名なものなのかもしれない。

 でもなんで、メーカーを分けたんだろう。

 皆に配ったものは、スーパーでどーんと積んである大手メーカーのものではない。そして結構高いらしい。

 ということは、役職に気を配って俺に大きいチョコを渡そうとしたが、皆に配ったメーカーのものだと値段が跳ね上がるから、別のものにしたのか。

 それともデパートの特設売り場で一気買いして、たまたまメーカーが分かれただけなのか。

 うん、これはありそうだ。

 でもだったら、俺のものの方にメーカーを合わせないか。

 いや義理チョコにそこまで深く考えたりはしないかもしれない。

 予算の関係か。

 見栄えの問題か。


 それとも。

 それとも。


 ……いやいやいやいや。待て俺。


 ……。


 氷室さん。

 なんでなんだ。


  ✨✨


 仕事が終わり、会社を出て、何気なくビルのガラスに映った自分を見る。


 ――このチョコが、「本命チョコ」である可能性は、ない。

 ビルのガラスが、俺に向かってそう囁く。


 「俺」という一人の男を一言で表すとすれば、「残念」だ。


 驚くほどのブサイク、というわけではないと思う。

 だがイケメンでない事だけは確かだ。

 容姿に際立った欠点はないけれども、パーツの一つ一つがどれも「うーんあと一歩」といった感じで、トータルすると「残念」になる。


 スーツは量販店の一番安いやつ。ズボンにアイロンはかけているが、膝の後ろの皺はなかなかとれないので、諦める事にしている。

 一応、清潔や身だしなみには気を配っているつもりだが、たまにネクタイにラー油のシミがついていたりする。


 年功序列という有り難い悪習のおかげでグループリーダーにはなれたが、部長までいくことはないだろう。


 恋愛遍歴は決して聞いてはならぬ。


 俺は、そんな奴だ。

 「あの」氷室さんが、相手にしてくれるわけがない。


 ✨✨


 俺の右手の中で、チョコの入った紙袋が楽しげに揺れている。

 その重みを、右手の指先の感覚を研ぎすまして感じ取る。


 俺もばかだよな。

 これをもらった時、なんであんなに悩んだんだろう。


 役職でチョコを分けただけに決まっているじゃないか。

 メーカーなんか、たまたまだ。

 なのに今、凄く嬉しいんだ。


 どういう理由であれ、彼女が「俺だけ」のチョコを買ってくれたことが。

 だから色々、考えていたかっただけなのかも知れないな。


 茶色に金色の文字でメーカーだかブランドだかの名前が書いてある紙袋。

 立ち止まって、見る。

 右手に少し力を入れて、再び歩く。

 紙袋が、また楽しげに揺れる。


 その楽しげな紙袋の重みを指先で感じ、少し悲しくなる。

 この重みは多分、役職の重みなんだ。

 彼女にとっては。


 たとえ俺が氷室さんのことを、ずっと好きだったとしても。

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