第9話 「ダメ男、満腹になる」

二本目の煙草に火を着け、平良は先程送ったグループLINEを開き、何名が目を通してくれたのかを確認した。投下してから15分しか経っていないが、既に12名中6名が目を通してくれていた。もちろん、ただ単にLINEを開いているだけで文章に目を通してはいないかもしれない。色々と思う所はあるが、投下してしまったからには後はもう祈るしかないと思い、もう一度パソコンに向けて合掌をした。


今日は17時からレッスンがある。今はまだ11時だ。時間はまだまだある。そして、財布の中にある金額は8千円。あまりお金を使うことは出来ないが、久々に昼食を外で取る事に決めた。


昨日は一杯だけのはずが結局そこそこの金額になるまで飲んでしまった。残額8千円、更には今どうしてもお金を用意しなければならない状況だというのに、それでも外食をしようと決意するあたりからも、平良の計画性の無さが浮かび上がってくる。


部屋を出る時にはもう向かう先を決めていた。徒歩15分程の場所にあるダイニングバー「サプライズ」だ。5年程前の約1年間、平良がバーテンダーとして勤めていたお店でもある。このバーのマスターは、46歳にも関わらず女癖が悪く、3度の離婚を経験している。超いい男。モテモテなのだ。


そういえば先月また別れたという話を聞いた様な気もするが、平良はそういった話にはあまり興味がなく、どんなマスターであろうと大好きなマスターなのである。時々この店には来たくなるのだが、マスターに会いたいのはもちろんの事、マスターの作るハンバーグが平良は世界一旨いと本気でそう思っていた。100%豚の挽き肉だけを使い、オーブンで焼き上げるハンバーグは思い出すけで涎が垂れそうになる。何よりマスターの作るデミグラスソースは絶品、超一級品だ。


と、そんな事を考えながら店の近くまで行くと、なんだか不吉な予感が平良に襲いかかってきた。お店はまだ少し先ではあるけれど、いつもなら店の前に植木やベンチが出されている。この距離なら十分にそれらの確認が出来るはずなのに、見えてこない。


店の前に着くと、やはりそこには「close」と書かれた札がドアノブに吊るされていた。マスターに電話をしようかどうかも迷ったが、もしかしたら何か大事な用があっての事かもしれない。非常に残念ではあるが仕方ない。また来ればいい。


そして、帰ろうとしたその時、スマートホンがポッケの中で暴れだした。まさかマスターじゃねーだろうなーと思いながら画面を覗くとそこには篠宮和哉(しのみや かずや)という名前が表示されていた。篠宮和哉とは、故郷成田のグループLINEのメンバーの一人で、年収“1億円”を叩き出すITベンチャー企業の社長だ。 28歳、同級生であり親友でもあり、長身・イケメン・金持ち・イイ奴と、腹立つ事に好条件が揃いに揃う男なのだ。


きっとグループLINEに投下した“あの件”についてだろうと平良は電話に応答した。「あ、もしもしー、おー、篠お疲れ様ー。どうしたのよこんな昼間に」平良と篠宮は小学生からの仲だ。同級生は皆、「篠―しの―」と呼んでいる。


普段、篠宮からの連絡といえば、夜の飲みの誘いか、突然の「レッスンしてくれないか」の呼び出しのどちらかが多い。だからこの時間の連絡は珍しく、LINEの件での連絡だろうと考えるのが平良にとっては一番納得が出きた。


「おー、いっちゃんお疲れ様ー」平良は友達に「いっちゃん」と呼ばれる事が多い。学生時代からの友達は「いっちゃん」と呼ぶのが殆どだ。そして篠宮は続けた。「いっちゃん、ブログ見たよー!アメリカ行くんだったね!それにしても思いきったねー!やっぱりいっちゃんの行動力にはいつも驚かされるよ」篠宮は笑いながら更に続けた。「今夜またレッスン頼んでもいいかな?まぁ、ほら、アメリカに行くに至った話とかも聞きたいしさ」21時以降なら問題ないと伝え、また着いたら連絡するといういつも通りの話し合いを済まし、そして電話を切った。


LINEに投下した“例の件”については一切触れてこなかったのが不可解ではあったが、篠宮はいい意味でいつも自分勝手だ。きっと要件だけを済ませたかったのだろう。


グループLINEを開くと10名が目を通してくれていた。しかし、返信はまだ誰もして来ない。LINEというのは何名が既読にしたかが解るシステムなので、読んでるのに何故返信をくれないのか?もしかしたらこんなワガママなお願いに呆れてしまったのではないか?と、平良を少しだけ不安にさせていた。


サプライズの前でボケーっと突っ立っていた平良はきっと、悩んでいる人特有の重苦しいオーラを纏っていたに違いない。それを指摘してきたのはまさかのマスターだった。「おー!イットじゃねーか!あ!もしかしてランチ食いに来たのか?悪いな、訳あって今ランチは休業中なんだよ。ところでどうした?ずいぶん暗い雰囲気だな。また浮気でもバレたんじゃねーか?」


突然のマスターの登場にビックリはしたが、店の二階はマスターの自宅になっているのだからごく自然な事なのだろう。「少し買い出し行っててよ。せっかくだから中入れよ。どうせ暇なんだろ?」お言葉に甘え、そして更に飯を食わせてくれと甘えまくってみた。「ハンバーグかぁ……ハンバーグとなると少し時間が掛かるからなぁ……」


冷蔵庫の中を見ながらマスターは続けた。「何でもいいなら作ってやるよ。ただし、1000円は置いてけよ」マスターの作る料理は何だって絶品だ。断る理由がない。それにしてもサプライズのランチセットは800円前後だ。1000円とはふざけた値段を提示しやがってと、平良は思いながらも、「突然なのにすみません」と礼を言った。


「……で?今回は一体どの様な問題が起こったんでございましょーか?」ニヤニヤと笑いながらマスターは変な日本語で質問をしてきた。マスターは知っていた。平良が食事だけをしに来る事はない事を。それは、いつも必ず報告や相談という手土産を持って訪れるからだ。マスターは、平良が飯を食う事もままならない程に貧乏だった時期をよく知っているし、ダメ男である事もよく知っている。平良にとってマスターは、柏という町で唯一素直になれる相手だったのかもしれない。


平良はここ最近起こった事や思った事など、全てを素直に話した。その間、マスターは特に相槌を打つ事もなく、料理をしながら聞いていた。そして、突然マスターがビールジョッキに生ビールを注ぎ始めたのだ。「いや、レッスンもあるからビールはちょっと」そう思ったのも束の間、マスターは美味しそうにビールを飲み、そして煙草に火を着けた。


そして、くわえ煙草をしたまま、カウンターに料理を出してくれた。「いやいや、先に料理を出すべきだろ」と、平良は思ったが、あまりにも豪華な料理に驚きを隠せず、文句の代わりに感動の唸りをあげた。「げっ!なんだよマスターこれ!こんなに食材使っていいのかよ!」


平良の目の前に用意されたのは、白身魚のカルパッチョ、牛タンシチュー、そして平良の好物の唐揚げ、そして高菜のチャーハンだった。別に怒っている訳ではないのだろうが、マスターは上から見下ろし、そして睨み付ける様に言った。「昨日の残りもんとかが殆どだから気にせず食え。文句は言うなよ」


マスターは180センチの長身に茶髪の長髪を一本に束ねているのがトレンドマークだ。上から睨まれると正直怖い。それにしてもマスターの作る“飯”は旨い。本当に旨い。平良はマスターとの会話を忘れてガツガツと料理を食べ続けた。


「しっかしお前は本当に旨そうに食うよなー」旨いんだから当然ですと心の中で応え、手を止めずに平良は食べ続けた。「俺はな、お前に飯を食ってもらうのが好きなんだよ。料理人ていうのはな、やっぱり旨そうに食べてくれるのを見るのが一番嬉しいもんなんだぜ。美味しかったですって言われるのは有り難い事だけど、暗い雰囲気で食べられたりするとやっぱりガッカリなんだよな」


平良は口の中に食べ物をたくさん詰め込みながら、あまりよく聞き取れない言葉をマスターに向けた。「マスターの料理は世界一です!どんな雰囲気で食ってようがその人は感動しているはずですよ!」「何言ってっかわかんねーよ」と笑いながらマスターはビールを注ぎ直し、煙草に火を着け、そして続けた。


「つまり、イットは今不安なんだろ?そのアメリカに行く計画が上手く行くのかとか、将来の事だったりとか。俺はさ、お前のやっている事がなんなのか正直よくわからねーのよ。だけど、お前の魅力はよく知ってる。馬鹿でダメな野郎だけど、真面目でそれでいて冗談の言える可愛い野郎だ。そして何よりも俺はお前の声を初めて聞いた時感動したんだよ。これは前にも言ったよな?「なんてすげーいい声なんだ!!」って」


平良は食べる事に夢中なふりをしながら、マスターの言葉に神経を集中させていた。「実はよ、俺が今ランチ営業を止めてるのは少し身体を悪くしたからなんだ」平良の食べる手が止まったのに気付いたマスターは、少し焦った風に話を続けた。


「いやいや、なんか重病を患ったとかじゃないんだ!ほら、一人でランチもディナーも回すだろ?昔みたいにバイトを雇う余裕もないしな。少し無理が祟ったんだろ。疲れやすくなっちまってな。だから、あまり売り上げが伸びないランチを休業したって訳」


平良は驚いた。サプライズはいつだって予約でいっぱいだった印象がある。それなのにバイトを雇う余裕がなく一人で回してるだって?俺がバーテンダーをやっている時はホールも自分が担当していた。マスターと二人で回してたって忙しい時は追い付かない事だってあった。はっきり言って、一人で回すなんて無理がある。


口の中身を水で流し、平良はマスターに言った。「サプライズは人気店なんだ、バイトを雇えないなんて事はないでしょう?」少し黙ってからマスターは言った。「なんなんだろうな……。時代なのかもな。ほら、チェーン店の安い居酒屋とかが駅前に沢山あるだろ。あんなんに客は完全に取られちまってる。それでももちろん、サプライズが好きで来てくれる人はいるよ?でもな、昔ほど金を落として行く事はなくなったのさ」


平良にとってマスターはいつだって元気いっぱいのチャラチャラ最高兄貴だった。だからこそ、そんな弱音をマスターが口にするなんて信じられない。そんな平良の想いをよそに、マスターは更に続けた。「正直よ、店を畳もうか悩んだ事は何度もあるよ。けどよ、お前みたいに旨そうに食べてくれる奴を見ると、やっぱり辞めちゃいけねーんだなって思うんだ」言葉こそ発してはいないが、平良は「辞めんじゃねーよ」と心の中で叫んだ。


「まぁ……ほら、つまりさ、俺だってフラフラになりながら頑張ってんだ。だからよ、イットもテメーの事を信じて頑張れ。お前が信じれる男だって事は俺が保証してやるよ。ま、訴えられる頃には俺は死んでるだろうから、あまり意味のない保証だけどな」マスターは笑いながら空いたジョッキにまたビールを注いだ。


そんなに昼間っから飲んでたらそりゃー身体を壊すだろうと平良は思ったが、昔からマスターはこんな感じだ。上手くは言えないが、これがいいのだろうと思った。平良は残りの料理を全て平らげ、「ご馳走さま」と伝えると、洗い場に入り食器を勝手に洗い始めた。


そしてくだらない話を少しだけして、帰ろうかと1000円札を差し出す。「あー、今日は金いらねーよ。その代わりアメリカからブロンド美女を最低3人は連れて帰ってきてくれ。わかったか?」

まったく、どこまでもいい男だ。


感謝の言葉を残し、平良はレッスンの準備をする為に自室に向かった。レッスン自体は近所の貸しスタジオで行うのだが、前回のレッスンデータの確認や自身の身体を起こすストレッチ、簡単な発声練習などの準備をしなければならない。


自室に向かう平良の姿は、まるでこれから戦闘に立ち向かう戦士の様に、力強いオーラが全身を包んでいた。

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