第10話 「ダメ男、嘘をつく」

「先生、今日もありがとうございました!来月もよろしくお願いします!」


「うん、いや、こちらこそ本当にどうもありがとう。気を付けて帰るんだよ」


午後20時15分。この時間になるとやはりまだまだ肌寒い。春用でグレーのジャケットを羽織っている平良は、外で篠宮からの連絡を待つには少し辛かった。かといって自室に帰り、そしてまた出かけるというのも腰が重たい行為だ。


仕方なく近くのカフェに入り、レッスンレポートを纏めながら篠宮からの連絡を待とうと決め、カフェの喫煙席に腰を下ろした。ホットコーヒーと煙草、このコンビは本当に素晴らしい。平良は、煙草をふかしながら今の今まで行っていたレッスンに思いを馳せた。


21歳、大学生の大地(たいじ)君。プロの歌手を目指しているわけではなく、カラオケ恐怖症を克服したくてレッスンに通ってくれているのだ。いつもは二ヶ月に一回程のペースで通ってくれているのだが、アメリカ行きのキャンペーン告知ブログを読み、来月も受講してくれると言ってくれた。アルバイトで稼いだ貴重なお金を自分の為に使ってくれるのかと思うと、平良の胸には感謝の気持ちが溢れていた。


スマートフォンで申込みフォームの受信箱を確認すると、4名の応募から変動はなかった。まだ告知をしたのは昨日だ、焦る事はないと、平良はレッスンレポートをノートに書き続けた。


このレポートは非常に重要で、必ず他の生徒さんにも活かされると信じている。毎回事細かにどの様なレッスン、どの様な会話が行われたのかを記しているのだ。他の誰かと同じ場所で躓いた生徒さんに、処方箋をすっと差し出してあげたい。そんな思いが平良にはある。だからやはりこのレポートは大切なものなのだ。


レポートが完成したのは21時の5分前。冷えたコーヒーを口に運び、今度はこれから来る篠宮の事を考えた。ちなみに、グループラインは12名中12名、全ての既読がついているにも関わらず、未だに何一つ反応がない。


今回のグループラインに投下した件と、これから来る篠宮が、何かしら関係しているのだろうと平良は思った。しかし、深読みは禁物だ。変に期待をしてしまっては期待外れの結果を受けた時、落ち込むのは自分自身だと平良は知っている。何も考えずに待とうと、必死に無心でいる事を心掛けながら、篠宮からの連絡を待った。


21時15分。やっと篠宮から連絡が届いた。「到着!いつもの駐車場!」短い文章ながらしっかりと意味の伝わるメッセージだ。「了解」とだけ返信をすると平良は席を立ち、“いつもの駐車場”まで小走りで向かった。その距離、わずか2分程だ。


駐車場に到着すると、篠宮は自慢の愛車、黒いベンツのゲレンデのボンネットに寄っ掛かって待っていた。手を降りながら平良は声を掛けた。「寒い中待たせて悪かったね。なんとなく、今日はレッスンよりも別の話をしに来たんじゃないかなと思うんだけど、何処にいく?カラオケか、居酒屋か」


篠宮とのレッスンはいつもカラオケボックスで行われていた。レッスンとは言っても友達という間柄から、一時間程の簡単な指導をするだけだ。それでも、一万円の受講料を必ず帰り際に渡してくれた。飲食代、カラオケ代を全て支払ってくれるというのに。

いつかは自分も篠宮の様に躊躇う事なく、お金を誰かの為に使ってみたいと平良は思っていた。


「ははは、さすがに勘が鋭いね。アメリカに行く話が聞きたかったんだ。ま、レッスンを受けたいのも本当だけどね」それならば、レッスンはまた後日にして今日は居酒屋かで話をしようと提案した。この提案の真意は、平良が先程のレッスンで神経を磨り減らし疲れきっていたからに他ならない。もちろん、せっかく成田から来てくれた友人には口が割けても言えたものではないのだが。


篠宮は大衆居酒屋というのを余り好まない。うるさくて、美味しい酒が飲めないというのが理由だろう。今夜も「串し家 旨い店」という何ともストレートな名前だなと思わずにはいられない小料理屋を篠宮は選んだ。


ちなみに、篠宮は車だ。帰りは運転代行を頼んで帰るので心配御無用。ここでも格の違いを見せつけられる。ここのお店はたまに篠宮と入るのだが、とても上品な和テイストのお店だ。一見値段の高そうな印象なのだが、実はそこまで高い金額にはならない。

平良一人ではまず入らないお店だけに、初めて訪れた時は意外にも良心的な価格で感動していた。


席に着くと、トマトのベーコン巻き、若鶏の唐揚げ、ぶり大根、そして、篠宮の好きな日本酒、獺祭の冷を二合、そして平良用の生ビールが注文された。「んじゃ、取り敢えずお疲れ様」と、ビールグラスとお猪口が額をぶつけ合った。


先陣を切ったのは篠宮だ。「アメリカ行きの費用が足りてないんだろ?いつもレッスンで世話になってるし、金なら貸してやろうか?」なるほど、そういう事だったのか。この件に関してはプライドとかではなく、平良の真っ直ぐな思いから「有り難いがそれなら大丈夫だ」と断る事を選ばざるを得なかった。自分の力でなんとかしなければ意味がない。大木武司や武田コーチの協力もまるで意味のないものになってしまう。そんな事は出来ない。それに……これ以上返済に悩まされたくない。


「そうか、わかったよ。ま、もし気が変わったらその時は気にせずに連絡をしてくれ。あ!そうそう、今朝送ってくれたLINE、誰からも反応なくて焦ったでしょ?」笑っている。なぜ笑うのだ。


「きっと不安に思ってるんだろうなーと考えると可笑しくてね」

いやいや、全然笑えねーよと突っ込もうかと思った瞬間、篠宮はさっさと画面を見ろと言わんばかりの勢いでスマートフォンを平良に差し出した。そして、画面を覗くと愕然とした。


なんと、自分以外の成田LINEメンバーが新たにグループを作って楽しそうに会話をしているではないか。仲間外れなのか?なんなんだこれは?などと少し混乱をしながら、LINE上で繰り広げられている会話を目で追った。


グループ名は「いっちゃんが狂った(笑)」となっていた。成田の友人の会話は以下の通りだ。「さっきのいっちゃんからのLINE、あれはなんだ?(笑)」「ビビったよな(笑)突然のあの熱いテンションで(笑)」「で、皆はやるのか?やらないのか?」「やってやりてーけど正直しんどい(笑)」「俺もだ、時間がない」「じゃー俺もだ」「便乗してんじゃねーよ(笑)」


ここまでのやり取りを見て、平良は少し落ち込んだ。やっぱり、そんなもんだよな……と。しかし、LINEの会話はまだまだ続いていた。そして、途中から篠宮が会話に加わって状況が一変している。


「じゃ、一人5000円を募金してやるってのはどうよ?」「まじかよ!俺今金ねーんだ!」「払ってやりたい気持ちもないのか?いや、別になくても普通だと思うが(笑)」「気持ちはあるよ!」

なんて会話が始まっている。


ここからまだ続くのだが、とある篠宮の発言が乱れた空気をしっかりと纏めてくれた。「じゃ、金は俺が立て替えとくから、金の準備が出来次第お支払いお願いしまーす」平良は、自分の事を皆が話してくれているのに、どこか信じられない、まるで他人事の様な気がしていた。しかし、このLINEのやり取りは紛れもない事実なのだ。


そして、話を纏めてくれた張本人が今目の前で日本酒を飲んでいる。「篠……ありがとう」その言葉を告げるのが精一杯だった。しかし、その少ない言葉から篠宮は多くの想いを汲み取った。何故なら、平良の目には明らかに涙が浮かんでいるからだ。


「ま、そういう事だ」と微笑みながら、篠宮は恐らく現金が入っているであろう封筒をテーブルの上に置き、そして平良に向かって滑らせた。すぐに受け取ろうとしない無言の平良を見かねたのか、篠宮は改めて話始めた。


「一応言っておくけどね、これは皆からの気持ちだよ。だけど、俺個人のお礼も含まれている事を伝えておくよ」


お礼?俺が何かしたか?と平良は思ったが、その疑問を篠宮が解決してくれるのにそれ程の時間は要さなかった。


「平良、覚えてるかな?7年とか8年くらい前?俺がまだ起業する前の事だよ」はて、なんの事だろうと平良は思った。「あの時さ、俺が腸の病気になって間もない頃で、バイトとか出来なかったんだよ。それでさ、気を病みながらも図書館で一冊の本に出会ってさ、それで起業したいと思ったのさ。でも、誰に話しても賛成してくれる奴は一人もいなくてね。それどころか「お前には無理だ」とか色々と聞きたくもない意見を貰ったの」


篠宮はなおも続けた。「でさ、いっちゃんはいつもライブとかツアーで成田にはあまりいなかったじゃん?だけどSNSで成田に帰ってきてるのを知った俺はいっちゃんに会えないかと連絡したんだよ。覚えてるでしょ?で、近くのカフェのテラスでいっちゃんに相談したんだよ。皆に反対されている中で、中卒でやりたいバンド活動を頑張ってる、要は皆と少し違ういっちゃんの意見を聞きたかったんだ。


そしたらいっちゃん言ってくれたよね?なんで自分の人生を友達に決めてもらってるんだよって。何をやったってどうなるかなんてわからない。それだったらやりたい事を選べって」


平良は全てを思い出した。しかし、それは違う。美化しすぎだ。平良の目線で同じ話をしたならばこの様になる。ツアーから帰って来たばかりで疲れていたのに篠から連絡が来て会う事になる。

篠が落ち込んでいるのは声からじゅうぶん伝わった。少し寒いのにカフェの店内は禁煙だっていうじゃないか。テラスなら吸える。篠は禁煙者だが、それは関係ない。テラスだ。


相談の内容も、俺にとってはくだらない。やりたい事を自分で決めないでどうする。寒さと苛立ちから少し強い口調になって意見をしただけなんだ。別に篠の事を考えた結果熱くなって意見した訳じゃない。早く帰りたかっただけなんだよ……。


そんな平良の想いをよそに、篠宮は続けた。「あの言葉、本当に感動したんだよ。初めて肯定してくれた人だからねいっちゃんは。あの時のいっちゃんの言葉がなかったら今の俺はいないよ。

それは断言出来る。だから、少ないかもしれないけど、このお金は俺からのお礼も含まれてるんだ。だから、気にせず受け取って欲しい」


あまりに美化された篠宮の話に困惑して、平良の涙はとっくに乾いていた。涙どころではない。今まさに平良は己と闘っている。美化し過ぎだと、言うべきか、言わないべきか、さぁ、どうする。


「よく覚えているよ。そっか、あの時のあんな事が……」宙ぶらりんな返事をしてしまった。これはもう、この事は墓まで秘密にして持っていこう。「それでは、大変恐縮ですが、有り難く頂きます。成田の皆には後で一人一人にお礼の電話をするよ」平良は真実は伝えず有り難く封筒を受け取った。中身は確認していない。なんだかこの場で確認するのはいやらしく思えたからだ。


その後、篠宮と一時間程話し込み、代行の運転手が到着した所で別れる事になった。「篠、今日は本当にどうもありがとう。今日はもう遅いから、明日にでも皆にお礼の連絡をするよ」


「いいのいいの、困った時はお互い様でしょ。じゃ、また来まーす」そういうと、篠宮を乗せた代行車とゲレンデが出発した。篠宮の帰り際はいつもあっさりとしている。平良はこの軽い感じが好きだった。


篠宮を乗せた車が見えなくなったのを確認した平良は、急いで封筒を確認した。12人のメンバーが5000円ずつ出しあったのだから、そこには6万円が入っているはずだった。ところが、封筒の中には10万円入っていた。篠宮の仕業だ。


平良はすぐに篠宮に電話をして感謝の言葉を伝えた。もう、このミッションは自分の為だけではない。必ずやりきらなければ。


平良は手帳を開き、そして明日の予定を確認した。パスポートとレッスン。「よし」と気合いを入れ、平良の姿は柏の繁華街へと消えていった。

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