第7話 「ダメ男、小さくなる」

今日やるべき事をしっかりと終わらせる事の出来た平良は、胸を撫で下ろし、椅子に座ったまま目を閉じた。そして、改めて武田コーチの事を想い、心の底から感謝をした。


平良の人生は決して順調とは言えない。お酒を飲みに行く癖を直せば少しは違うのかもしれないが、お酒を飲みに行く時間も平良にとっては大事な栄養補給の場所なのだ。あの場所に行き、調子よく近況を報告しながら、自尊心や自己肯定感を育んでいるのかもしれない。


そうでもしないと、きっとすぐにでもギブアップしてしまう。それ程にギリギリの精神状態の中、平良は日々を乗り越えているのだ。それでも、がむしゃらに、そして腐る事なく、頑張っていればきっといつの日か報われるはずだと、平良はそう信じていた。


いや、腐りきっているという事はないが、既に多少は腐り始めているのかもしれない。平良の真面目なのか適当なのかよく解らない生きざまと性格は、決して立派なものではないのだろう。


「はぁ……」平良はまた深い溜め息をついてみせ、まだ早いがそろそろ大木との約束の場所に行こうかなと椅子を立ち上がった。17時では間に合わないかもしれないと言った事については、案外早く用事を済ませる事が出来たとでも言えばいい。


財布と煙草、そしてスマートホンをジャケットのポッケに入れ、お馴染みの手ぶらスタイルで平良は家を出た。バックを持つという煩わしさが基本的に好きではないのだ。


カフェに到着したのは16時30分過ぎ。先に席について待っていればいいと平良は考えていた。ところが、店内を見渡すと既に大木は席についており、忙しそうに書き物の仕事をしている様子だった。真剣な表情で、仕事と思わしきものと向き合っている友の姿を見て、平良は感じた。「カフェで仕事をするなんて、出来る男アピールをしたいだけなんじゃねーのか?腹立つわー」相変わらずのひねくれっぷりである。


「はいはい、お邪魔しますよー」と小声で言いながら平良は大木の向かいの席に腰をおろした。「早かったな」「あー、案外早く終わってね」まるで台本通りの会話が再現された。


大木は途中まで仕上がっていた書類を鞄にしまい、その代わりに1枚のパンフレットをテーブルの上に置いた。「これ見ろよ、この保険会社の話を聞くだけで5000円分の商品券をくれるらしいぜ」


平良はパンフレットを手に取り内容を確認した。“あれこれ聞きたい保険の事、あなたにしっかりお伝えします!!”“今更恥ずかしくて人に聞けない事でも大丈夫!どんな事でもどうぞお気軽に♪”


そしてパンフレットの端にキャンペーン内容が書いてある。“話を聞いてくれたあなたに5000円分の商品券プレゼント!”なんて胡散臭いんだろうか。


「これはなんだ?」煙草に火を着けながら大木は応えた。「昨日の夜ファミレスに行ったらさ、こんなパンフレット見つけたのよ!資金繰りの役に立つんじゃないかと思って!俺もどんなのか気になるからやってみてあげるよ!それで平良もやればそれだけで一万円分の商品券GETじゃん♪」


確かにそうだが……どうしても胡散臭さが拭いきれない。平良は無言で大木の目を見つめ、そしてスマートホンを取り出し、パンフレットに記載されているお問い合わせ電話番号を呼び出した。


平良はカフェにいる事に気を遣いながら、口元を手で覆い小声で話し始めた。「あ、どーもー。今ね、ファミレスで見つけたパンフレットを見ながら電話してるんだけど…?どこのファミレスかって?」


大木を見ると口パクで「ジャスト」と言っているのが解った。「ジャストだよ。うん。それでね、保険の事色々教えてくれるって書いてあるけど、これ最終的には保険に加入させる事が目的なんじゃないの?うん、あぁ、そうなんだ。


私はね、プロの保険屋さんの何の計らいもない正直な話が聞きたいんだけど、あぁ、うん、なるほどね。それじゃーあれね、万が一担当から保険加入を勧められて断ったとしても何も問題ない訳ね」


平良は「だってよ」というメッセージを大木の目を再度見つめながらテレパシーで伝えた。「それなのに5000円分の商品券をくれるなんておかしくないかい?これじゃーおたく大赤字になっちゃうよ!……あぁ、そうかそうか、正直にありがとう。なるほどね。


わかった!とても気に入りましたしお願いしようと思います!ちなみに私は何処に話を聞きに行けばいいのかな?…うん、私は千葉県の柏市に住んでるよ。…うん、」平良は再び「だってよ」テレパシーを大木に送りながら言葉を続けた。


「え、こっちまで来てくるの?あぁ、支社が多いんだね、それは助かるなー。それじゃーいつにしましょうか?…あぁ、そう。それじゃーその連絡を待って対応すればいい訳ね。了解しましたー!忙しいのに丁寧な対応ありがとね」


電話口の相手に折り返しをもらう為の電話番号を伝えると終話ボタンを押し、そして大木に伝えた。「恐らく24歳のギャルだね。巻髪で派手目なネイルを着けている事は声から伝わってきた」平良なりのボケだ。大木はそんな突拍子もない平良の冗談にも慣れている。


そして平良は続けた。「ありがとう。つまり“これ”に協力してくる人を募れば5000円×人数分の商品券が手に入る。換金すれば大体90パーセント以上の現金が手に入るという訳だ」


「ご名答~!」大木が言った。「平良は友達が多いから本気でお願いすれば協力してくれる人も出てくるでしょ!仮に100人が協力してくれたらそれだけでも50万だぜ!」しかし、と平良は思った。協力者には何もメリットがない。これでは自分だけが得をしてしまう。


「確かにそうなんだけど、俺なら断っちまうかもしれねーなー……」


大木は平良の言葉を受け、少しだけ怒った表情になり、そして言い放った。「平良、それはマジで言ってんのか?そりゃー確かに「この保険屋の話を聞いてきてくれたら5000円分の商品券が貰える。そしてその商品券を俺に渡せ」なんて言われたら誰も協力してくれねーよ。俺だってしない。


だけどよ、頑張ってる友達が本気でお願いしてきてるって解れば協力したくなるってなもんじゃねーの?平良、もし俺が本気でお願いしてきも本当に協力してくれないんだな?」


正直、平良は動揺していた。何故ならば、確かにそんな状況で協力しない人は友達と呼ぶに相応しくないのかもしれない。クズ人間だ。だがしかし、どうしても忙しくて協力してやれない可能性だってある。俺はちゃんと協力してやれるのだろうか。

何かしらの理由をつけて断ってしまうのではないだろうか。


「お、俺だって協力してやりてーに決まってんだろ……。だけどよ、その時その時の都合ってもんがあって……協力してやれねーかもしれねーんだよ……。だから……だから……そんな容易く協力してやるだなんて俺には言えねー!!」


ポカーンと呆気に取られた表情で大木は平良の顔を見ていた。数秒間の不思議な沈黙を大木は破った。「いや、だからそうだろ?協力はしたいって今自分で認めてたじゃねーか。

そりゃーお願いをした全員が行動に移してくれるだなんて俺も思ってねーよ。そうじゃなくって、例え何人かであったとしても協力してくれたらそれは助かるじゃねーか。そうじゃないか?」


平良は顔を真っ赤に染めた。恥ずかしかったのだ。恥ずかしくて堪らなくなってしまったのだ。何故、そんなにも難しく考えてしまっていたのか。何故、あんなに熱く的外れな事を言ったのだろう。


平良はデカい図体をもじもじさせ、気持ちの悪いオーラをカフェ中に撒き散らした。「ほ、ほんとその通りだな、すまん」あまりない事なのだが、平良は動揺すると別人格になってしまったかの様に小さくなる時がある。それを大木は今までに何度か見てきている。


「とにかくそういう事だから、そのパンフレット上手く使ってくれよ♪

平良の情熱がきちんと伝われば、心を動かされる人はいるはずだから!

それじゃ、俺はまだこの後があるから先に出るな!平良頑張れよ!」


本当にいつもありがとうと伝え、大木が駅の方へと歩いて行くのを見送った。平良はもう一度カフェの席につき、煙草に火を着けた。


もし、自分が情熱を持って本気でお願いした時に、一人の協力者も現れなかったら……。その時はこれまでの自分が、誰の為にも協力をしてこなかった事を意味しているのかもしれない。だがしかし、せっかく大木が忙しい中俺の為にこうして提案しに来てくれたんだ。少し怖いけど、これを三本目の竿として海に垂らそう。


煙草を揉み消すと平良は財布の中身を確認した。コーヒーやら煙草やらで18000円あったはずのお金が16000円まで減っている。 そして手帳を開き、明日は17時からレッスンが一件だけ入っている事を確認した。


平良は店を出る支度を整えると、ある1つの決意を固めた。「1杯だけ……1杯だけ……」

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