桃弥side

80

 家に帰ると、プーンとカレーの匂いがした。


 そうだ。俺、今日カレー作ったんだ。

 カレーを作って、隣に住む音々を誘って道場に行った。


 なのに……

 胴着じゃなく私服だなんて、どうしてもそこは腑に落ちない。


 音々の一打がよほど効いたらしく、道場に行く前の記憶がない。今日は剣道の練習も殆どしていないはずなのに、体は長時間運動していたみたいにやけにだるい。


「取り敢えず、シャワーだな」


 脱衣場に入り、ジーンズのポケットから携帯電話と丸まった紙を取り出し、紙を確認せずゴミ箱に捨てる。


 シャワーを浴びながら、ふと隣家に視線を向ける。

 隣家の浴室の明かりは消えていた。剣道から帰ると、音々も真っ先に浴室に飛び込むのに、今日はどうしたのかな?


 ゴシゴシと頭を洗いながらも、音々の発した名前が妙に引っかかる。


「ちぇっ、時正君って誰だよ。そんなヤツ、逢ったこともねぇっつーの」


 シャワーを思い切り捻ると、水が飛び出した。頭から冷水を被り、思わず悲鳴を上げる。


「……ひゃあー!!冷てぇ!」


 その時……

 ふと、同じセリフが鼓膜に蘇る。


 ――『ひゃあ、冷たい!雨じゃ、雨が降りよる!どうして風呂に雨が降るんじゃ!』その男子は、シャワーの水を頭から浴び、そう叫んだ。


「あいつは誰だよ……」


 記憶を手繰り寄せるように、思わず風呂場の窓を開ける。隣家の浴室に明かりが点いた。


 ――そうだ……。

 以前、浴室に入ると窓が全開になっていたことがある。俺は全開になっている浴室の窓を慌てて閉めたんだ。何故なら、風呂場の窓から、音々の家の浴室の窓が見えるから……。


 ――『時正のヤツ、油断も隙もねぇな』


 俺は……確かにそう呟いた。

 坊主頭の男子に、音々の入浴姿を覗き見られた気がして腹がたったんだ。


「こら、桃弥、風呂場の窓は閉めろ。ご近所迷惑だぞ」


「父ちゃんお帰り。そうだ、父ちゃんに聞きたいことがあるんだ」


 俺は浴室から飛び出し、タオルでゴシゴシと体を拭き、ジャージに着替え脱衣場を飛び出した。

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