最終話

※※


「貼川君。」僕は彼をそう引き止める。謝ることと、感謝をしなければならないのは、僕のほうだ。

「僕は、もう貼川君に関わるつもり、なかったんだ。あの時言った言葉が、自分でも恥ずかしかったから、だけど。」僕は、心の底でためこんでいた貼川君への言葉を、彼にぶつけていく。

「だけど、貼川君にあの時宣言しなかったら、僕は部活の雰囲気に流されて、心無い卓球マシーンになっていたかもしれないんだ。」覚悟があったから、僕はここまで強くなれた。

「貼川君。ありがとう。」僕は、ずっと言えなくて、だけどずっと心の奥にため込んでいた言葉を、やっと貼川君に言うことができた。



 俺は、鮎川に感謝されるとは思っていなくて、面食らってしまう。俺は何もしたつもりはない。だけど、鮎川のその言葉には、一切の曇りもなかったように感じられた。

アナウンスが聞こえる。


※※


 どうやら、決勝の時間になったようだ。僕と貼川君は



 俺と鮎川は


※※※


 固い握手を結んだ。


卓球場には、いつも王様がやってくる。自分のことが大好きで、だけどそれより卓球のことが好きな、卓球の王様だ。王様は、ラケットを握りしめるたびに、3回繰り返す。

「俺は天才。

 俺は天才。

 俺は天才!」

王様は、自分が変わることはないと、いつかの夜に呟いた。だけど王様は、少しずつ変わっていったのだ。傲慢で、いつも自慢げに生きていた王様は、最初の敗北から、大きな何かを学んだのだ。彼は、もう自分におまじないをかけることも、誰かとの思い出に縋ることもない。ただ一人の人間として、前を向いて歩きだしていく。

冠をはずして、カーテンで作ったマントを脱ぎすてて、ラケットを握りしめ、シューズをはいた足を、前へ前へと進めていく。


 鮎川と貼川の二人は、同時に卓球場に入場した。二人を、小さな拍手が包み込む。会場の外は、もうすっかり暗くなっていたが、それでも二人の表情は晴れやかだった。

 貼川のサーブから試合は始まる。鮎川は、そのサーブをチキータで返す。強烈な横回転を、貼川はドライブでいなしながら返球する。

 鮎川が得点すると、会場は湧き、貼川が得点すると、拍手が会場に響き渡った。

 白熱したラリーは、二人を優しく包み込む。ドライブ、スマッシュ、ツッツキ、フリック、チキータ、ロビング……。すべての技や球が、軌道を描いて、一つの絵画を作り出す。それは、二人が歩んだ半年間を、象徴しているようだった。



 2―2のフルセットまで、試合は進んでいた。このセットを制したほうが、この試合の勝者だ。俺はボールを高く上げると、鮎川のコートへ送るようにサーブをした。鮎川は、俺の下回転がかかったサーブを、ネット手前にストップする。俺がストップをフリックで返すと、鮎川は、ドライブで思い切り攻めてきた。俺も負けじとドライブで応戦する。

 試合は、俺のマッチポイントに差し掛かっていた。サーブを出すと、鮎川はドライブで積極的に攻めてくる。彼のその眼は、まだ自分の勝利を疑ってはいなかった。だが、それは俺も同じである。俺と鮎川のラリーの音は静かな卓球場に響き渡る。

 カコッ。カッ。コッ。カコン。カコン。カコン……。

 そして、俺の放った球が鮎川のラケットを突き抜けて、床に落下し、跳ねて、やがて止まった。

 俺は、一瞬時が止まったような感覚に陥った。そして一拍おいて、大きな拍手が会場を包んだ。終わったのだ。俺は膝をついて俯く。消えかかっていたおんじのメッセージは、完全に消えてなくなっていた。

 突然目の前が涙で滲む。勝ったのに、うれしいはずなのに、その涙は止まることはなかった。

 俺は、卓球は勝敗が全てだと思っていた。大切な何かは試合をやって、得られるものだと思っていたのだ。

 しかし、俺の脳内に、おんじの声が響く。

俺はランニングが終わって、卓球がしたいとおんじに詰め寄った時のことを思い出していた。

「バカ。これも卓球なんだよ。」おんじは、確かにそう言った。

 体力を作る練習も、ボールを打つ練習も、試合と同じ「卓球」なのだ。だけど、その答えすら、正しいとは限らない。もしかしたら、俺の辿り着いた答えも、誰かからしたら間違っているかもしれないのだ。

 だから、これは「机上の空論」。頭の中で考えられた、実際には何の役に立たないものなのだ。だけど、俺はそれでいいと思った。いくら考えても無駄なら、探していけばいい。これからも、ずっと。










 彼は落ち着いたように会場に入場する。すると、大きな歓声が応援席から上がる。大きな国際大会が行われているのだ。

 彼は、ラケットをくるくる回すと、サーブの構えをとる。そして彼は、踊るように対戦相手とラリーを始める。彼が得点を決めるたび、観客はどよめき、喜び、そして勇気づけられた。今日も、卓球の王様は前へ歩き、そして進んでいく。

 そして、彼はまた得点を決めると、ガッツポーズを作る。


大きく「貼川」と書かれたゼッケンが、彼の動きに合わせて揺れていた。

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机上の球論 熊野 豪太郎 @kumakuma914

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