第6話

※※


5月に行われた体育祭も終わり、もう少しで梅雨の時期になってきた。雨の日はあまり好きではない。湿度が高いせいで全体的にベタベタするし、何よりラケットの表面が湿ってしまって、ボールがよく飛ばなくなってしまうのだ。

僕は、客観的に見ても、ぐんぐん卓球が上手くなっているのを感じていた。練習は、いつも通りのものをやって、試合では「何に変えてでも勝つ」「強さが全て」の卓球に馴染み始めていた。勝つ事は、卓球をやる上で大きなモチベーションになっていると思う。最初こそ「この考え方はおかしい」と思っていたが、意外と、慣れてしまえば楽なやり方だと思う。やればやっただけ自分に返ってくる。返ってきた分強くなれて、卓球も楽しい。シンプルで、とてもやりやすい。僕に合っているのかもしれない。

まだ二ヶ月くらいしか練習していないのに、僕はかなりの実力をつけていた。いつかの臆病風も、今の僕には関係ない。なんだって出来るような気がしていた。

僕はいつものように学校を終えると、堀北さんと一緒に多目的ホールに向かう。そしてロッカーで着替えると、先輩にお願いして打ってもらう。そして練習を終えると、またロッカーで着替えて、平岡先生の話を聞く。いつもは選手のモチベーションを保つ為の話をして、解散だったが、今日は連絡事項だけのようだった。

「来週、部内戦がある。ここで力を見せることができれば、団体戦のレギュラーにも入れる。レギュラー陣は、ベンチ以下の選手に寝首をかかれないように、ベンチ以下は下克上のつもりで格上に挑むように、それぞれ一週間みっちり練習をしろ。以上だ。」平岡先生はそう言うと、いつものように末永先輩を見る。末永先輩は

「それでは、解散。」と言って、これまたいつものように一番に多目的ホールを出て行く。それに倣って、先輩達も帰っていく。僕は堀北さんと一緒に、玄関に向かった。「ここまで」はいつも通りだった。2年生以上の下駄箱は別の場所にあるはずなのに、なぜか1年の下駄箱に、数人の先輩がたむろしている。そこには宮島先輩の姿もあった。どうしたのだろう。と思っていると、後ろで堀北さんが、青ざめた顔をしている。どうしたの?と聞こうとする前に、宮島先輩がこちらに声をかけてきた。

こちら、というよりは「堀北さん」に。

「久しぶり堀北ちゃん。」宮島先輩はなんだか意地悪な口調で堀北さんにそう話しかけた。そういえば、貼川君も彼にかつあげを受けている。僕は堀北さんを守るように宮島先輩の前に立ちはだかった。

「どうした鮎川。俺は後ろの堀北に話があるんだ。そこをどいてくれないか?」口調こそ優しげだが、どうも良くない雰囲気だ。

「堀北さんが怯えています。話なら今ここでしてもいいでしょう。」僕はそう言い返した。すると後ろに宮島先輩とたむろしていた男二人もこちらへ歩いてくる。少し怖いが、気丈にじっと宮島先輩から目を離さない。

もしかすると、僕と堀北さんが一緒に帰るようになったきっかけの、怖い先輩に言い寄られた。とは宮島先輩のことなのだろうか。だとしたら、この状況は少しまずい。

「お前、卓球部の掟、忘れたのか?」宮島先輩は頭を人差し指で二回トントンとすると

「『弱いものは強いものに従う』。鮎川、お前は確かに入ってきた時よりは格段に上手くなった。だがな。」と続けて、僕の胸ぐらを掴んだ。

「この俺に敵うほどじゃない。そこをわきまえろ。今この場で痛い目にあうか、そこをどくか選べ。」そのまま僕を突き放すと、堀北さんに近づいていく。焦った僕は、宮島先輩と先輩二人を呼び止めるようにこう叫んだ。

「次の部内戦!」三人は、怯える堀北さんに向けた足をピタリと止めた。しめた。そう思うと、僕の頭の中に湧いた言葉たちを羅列した。

「次の部内戦で、もし僕が勝ったら、僕に従うってことですか?」僕はそう言うと、立ち上がってこう続けた。

「もし僕が勝ったら、堀北さんに言い寄るのをやめてください。」

その言葉を聞くと、宮島先輩はニタリと笑った。嫌な笑みだ。まるで「俺が負けるわけがない。」と、表情一つで言っているようだった。

「いい度胸だな。この俺に勝負を挑むとは、気に入った。」先輩は指を一本立てて

「もしお前が負けたら、お前は2度と俺に逆らうな。約束できるんなら。」と言って、さらに指を一歩立てた。

「この一週間は堀北に近づかないと俺も約束しよう。まあ。」そして最後に中指を一本立てると

「俺が負けるわけないんだけどな。」と吐き捨てるように言って、他の先輩二人と一緒に帰っていった。その姿を見届けると、堀北さんはがくりと膝を折った。僕が彼女を支えると、堀北さんは泣き出してしまった。

「ごめんなさい。私に勇気がないせいで、こんなことになっちゃって。」と、泣きながら言う。しかも、相手はよりによって宮島先輩。全国大会常連の学校の、団体戦のレギュラーだ。我ながら、無茶な勝負を挑んだと思った。だけど、僕は彼女を守りたいと思った。だから、どんな無茶なことでも成し遂げてみせる。そう心に誓った。


そして、そこから一週間、今まで以上に練習をした。それだけではなく、自主練を課して、ひたすら特訓した。堀北さんのためにも、自分のためにも、絶対に負けるわけにはいかない。

やがて、一週間が過ぎ、約束の部内戦の日になった。末永先輩にも、平岡先生にも、このことは話していない。だから、宮島先輩と僕の約束の試合はただの部内戦の一つでしかない。それでも、負けるわけにはいかない。

その日、いつもメニューが書いてあるホワイトボードには細かい字で試合の順番が書かれていた。その順番を見る限り、僕の最後の試合が、宮島先輩との試合になりそうだ。

多目的ホールの外は、雨が窓を叩いていた。ゴロゴロと、遠くから雷の音も聞こえてくる。

試合はどんどん進んでいく。僕は、ベンチ以下の男子と女子を含めてほぼ全ての試合に勝った。側から見たらとんでもないことを成し遂げていることはわかっているのだが、レギュラー陣や、主将の末永先輩には、簡単に負けてしまっていた。僕の目標は、宮島先輩に勝つこと、レギュラーの一人である彼に勝つのは、並大抵のことでは不可能だろう。

最後の順番が回ってきた。僕と宮島先輩の番だ。僕は頬を両手で叩くと、タオルで顔を拭いて、台についた。宮島先輩も、シューズをトントンとやりながら、台につく。そして、それぞれのラケットを見る交換の時間に、宮島先輩は

「戦績は上々のようだな。挑戦者。」と皮肉を言ってきた。

「先輩が初めて勝つレギュラーです。」僕も負けじと、そう言い返して、自分のコートに戻る。

周りの、気合いを入れる声や、シューズのキュッキュッという音。ボールを打つ音、全ての音を遮断して、目の前のボールに集中する。何に変えてでも、勝つ。


宮島先輩が高くボールを上げて、強烈な下回転のサーブを出してくる。僕はストップをかけて、短い無回転の球を相手のコートの手前に返す。そこから、瞬きもできないような、宮島先輩の猛攻が始まる。フリック、ドライブ、スマッシュ。行ったり来たりするボールが、まるで生きているかのように僕に襲いかかる。

だけど。

だけど、僕だって、この二ヶ月間、何もしてこなかったわけではない。これでも、必死でやってきたつもりだ。だから、僕も負けじと両の目を見開いて、それぞれのボールに合った返球方法で、球を返していく。そして、最初の一点目。

「くっ……。」

宮島先輩の厳しいコースのドライブが入って、僕は点を逃した。まだ、勝負は始まったばかりだと、自分を元気づける。

「次!」宮島先輩は、そう言って、またサーブの構えを取った。僕も、次のボールに集中する。一点も休んではいられない。

宮島先輩が次に出してきたサーブは、無回転で速かった。手が届く距離にやってきたボールは、ちょうど僕のラケットの真ん中にヒットして、相手コートに打ち込まれる。

しかし、先輩はいともたやすくそのボールをブロックし、速いスピードのまま、こちら側のコートに返してくる。そのまま僕は苦しい体勢のまま、中途半端な球で返球をしてしまった。

もちろん、先輩がその隙を見逃すわけがない。鋭いスマッシュを入れられてしまう。その球を返せないまま、二点目も終わってしまった。

そのまま、1セット目は合計二点しか取れずに、宮島先輩のものになってしまう。このままではいけない。これでは、今まで戦ってきた。レギュラー陣との試合と同じである。この試合は、簡単には負けられないのだ。いや、負けてはならない。次のセットの最初は僕にサーブ権が移る。宮島先輩が放ってきたボールを受け取ると、いつもの構えを取る。ここから反撃開始だ。

ボールは、真っ直ぐに上がって、やがて少しずつ加速しながら、僕のラケットに吸い込まれていく。僕は手首をギュッと内側に寄せると、そのまま外側にラケットを振って、ボールに逆横回転をかけた。

ボールは僕が描いた軌道の通りに曲がって、先輩のコートに着地した。横回転は、ただラケットをまっすぐにボールに当てても、あらぬ方向へ飛んでいってしまう。だから、回転に合わせてラケットを傾けなければならない。

逆横回転のサーブだときちんと理解している宮島先輩は、ラケットを斜めに傾けて、そのままストップをしてきた。短く帰ってきたボールは小さくバウンドする、低い球だ。これをフリックして返してもいいのだが、ここまで低いと、失敗する可能性もある。だからと言って、またストップで返しても、相手に攻めるチャンスを与えてしまうだけだ。

僕は、この低い球を、攻める起点にすることにした。相手は、こんな低いストップを、いくらでも出せるような選手だ。格上の相手に勝つには、少々の無茶でも、やってのけなければならない。

僕は、思い切ってフリックした。すると、ボールは綺麗に向こうのコートに入っていく。宮島先輩も、さっきのボールをフリックで返してくるのは想定外だったようで、次の球に迷いが生まれた。僕はその隙を見逃さず、スマッシュで得点を決める。

その後は、交互に宮島先輩と僕は得点を決めていって、ポイントは10ー10のデュースになっていた。デュースは、2点連続先取で、そのセットをモノにできる。これはまたとないチャンスだ。まずはこのセットを取って、流れを自分に持ってくる。勢いは、スポーツにおいてとても大事だ。挑戦者が、格上に勝つための1つの手段と言える。ここは絶対に取らなければ。

まずは宮島先輩のサーブ。どんなサーブを出してくるかを見極める。

先輩はボールを高く投げ上げて、体重をボールに乗せて、下回転のサーブを繰り出した。僕はまたストップをする。ここまで回転が強烈だと、攻めようとして失点してしまうこともある。まずは冷静になるべきだと思った。すると、宮島先輩は、ドライブを打ってくる。相手サーブだと、どうしても攻めが後手に回ってしまう。それは、宮島先輩がきっちり戦略を立てて来ているからだろう。

僕はドライブを、かなり台から下がってドライブで打ち返した。ボールは相手のフォア側、しかもかなり深い位置に着弾して、大きく伸びた。宮島先輩は苦しそうな顔で、なんとか打ち返す。しかし、ボールは高く上がった。チャンスだ。

思い切りスマッシュを台に叩きつける。先輩は、そのボールをもう一度高く上げて、ロビング(球を高く上げて返球する技。相手のミスを待つなどして粘る時などに利用されることが多い。)をしてきた。向こうが粘る気なら、僕もとことんまで付き合うだけだ。さらに速い球を打って、相手に反撃する隙を与えないようにする。

何に変えてでも、勝つ。

僕は、またロビングで返ってきたボールに、スマッシュを打ち込む。少し横回転をかけて返したので、当然ボールは横に逸れた。それを予想していなかったのか、宮島先輩はロビングミスをして、僕の得点になった。

「よし!」

大きくガッツポーズをする。あと一点。しかもサーブはこちらだ。

僕はボールを上げると、球の斜め上を擦るようにサーブを出した。宮島先輩は、僕のサーブをバックハンドドライブで返してくる。僕はこの球をミドルの方向にブロックした。できるだけ深く返したつもりだったが、それでも宮島先輩は、回り込んでさらに攻めてくる。相手も、ここを取られたらまずいことを理解しているのだろう。ボールから少し焦ったような意思が感じられる。

向かってくるボールをバックの厳しいコースに打ち込む。宮島先輩はそのボールをさらに回り込もうとしたが、回りこみきれずに辛い姿勢でラケットを振った。ボールは高く舞い上がって、僕のコートを追い越して、オーバーした。

負けられない戦いの、取らなければならないセットを、僕は制した。しかし、まだ1セット、あと2セットを取らなければ。まだ油断はできない。そう思って、気を引き締め直す。


なんだあいつは、この宮島直樹に無茶な勝負を挑んできたと思ったら、俺から1セットをもぎ取って行きやがった。俺は、全国大会常連のこの秀樽高校の「レギュラー」なんだぞ。その俺が、まだ高校に入って2ヶ月のケツが青いガキに、追い詰められ始めている?こいつと俺が同等?そんなことはあってはならない。タオルで顔を拭きながら、勝つための方法を模索する。何が何でも勝つ。こんなやつに負けたくない。


その後、僕と宮島先輩は接戦を繰り広げた。精神を削るような一点一点は、両者の体に深くのしかかる。やがて、僕たち二人以外の試合はすべて終わり、色んな人がこの試合を見物し始めた。

セット数は2ー2。ポイントはまたデュースに差し掛かり、勝つまであと2点という瀬戸際に立っていた。

僕はというと、メンタルとフィジカルの両方が削られすぎて、すっかり疲れてしまっていた。だけど、もう一踏ん張りだ。僕は頬を二回叩くと、宮島先輩のサーブに備えた。

「サッ!」宮島先輩も声を張り上げて、僕を睨みつけるように一度見ると、ボールへ目を移し、サーブを出した。

僕は、自分のことを臆病だと思っていた。勇気がないと思いこんでいた。だけど、それは間違いだった。人は誰だって臆病だし、勇気が出ない時もある。それを自分だけだと思い込み、力を出せないときの言い訳にしていたのだ。

もう間違えない。僕は心にそう誓うと、宮島先輩のサーブを、思い切り打ち抜いた。

宮島先輩の隣を駆けるように通り過ぎた球は、フェンスに当たって、床に落ちた。あと一点。冷静になれば、難しくない一点だ。僕は下回転を思い切りかけると、ボールがバック側に来ることを予想して、先に回り込んだ。

しかし、それを読んでいたのか、宮島先輩は、フォア側に短いストップをかけてきた。しまった。僕は考えるよりも先に、腕を前に突き出した。間に合え!

ボールは、ラケットの端に当たると、向こう側のコートに吸い込まれていく。そして。

ボールは卓球台の角に当たって、そのまま落下した。

エッジボール。失点と得点の微妙なラインで、もししてしまったら、謝るのがマナーの後味の悪いボールだ。それが試合が決まる大事な1点で起きてしまった。一瞬、二人の間に沈黙が流れる。その沈黙を先に破ったのは、宮島先輩だった。

「ありがとうございました。」そう言うと、僕に握手を求めてくる。僕も握手に応じると「すいません。」と謝る。宮島先輩はその言葉には何も言わずに、そのまま自分の水筒がある方へ歩いて行ってしまった。


そのあと、ロッカールームで着替えると平岡先生の話を聞いて、解散になった。僕は堀北さんと玄関に向かった。すると、一週間前と同じ場所に、宮島先輩が一人で立っている。

「お前、強いな。」宮島先輩は、僕にそう話しかけた。

「先輩に勝つために、たくさん練習しました。」僕は、少し顔を強張らせながら、先輩の目を見た。

「悔しいが、俺の負けだ。約束通り俺は堀北から手を引こう。」宮島先輩はそれだけ言うと、バックを背負ってその場から立ち去っていった。

弱い者が強いものに従う世界。その厳しい世界で、常に上にいた者は、始めてその弱者に牙を剥かれ、敗北した。僕は勝ったのだ。と、強く実感する。本来なら喜ぶべきことなのだが、最後の一点がどうしても僕の中では納得できず、少し違和感を感じてしまっていた。部活終わりの夕方の空は、雨に打たれて青黒く染まっていた。


「雨、凄いね。」堀北さんは、昇降口で歩みを止めると僕にそう話しかけた。

「部内戦で毎回卓球台拭くの、大変だったよね。」僕も、苦笑しながら大きな黒い傘を広げる。湿気が凄いと、卓球台は当然濡れる。その状況で試合はできないので、雨の日は雑巾で台を拭くのが決まりになっていた。

「実は私、今日傘忘れちゃったんだ。」堀北さんは、そう打ち明けた。今日は、確かに朝は雨が降っていなかった。折りたたみ傘を持っていない人は、この大雨の中、ずぶ濡れで帰っていったのだろうか。風邪をひいてしまいそうだ。

「なら、僕の傘に入る?」堀北さんに風邪をひかれては困る。僕はそう提案した。

「えっ。それって……。」堀北さんは、顔を赤くしながら、僕の方を見た。堀北さんの反応を見て気づく。「相合傘」になってしまう。

「あっ。ごめん!嫌だよね!」僕も顔を真っ赤にする。なんてことを提案しているんだ僕は。なら、傘を貸してしまおう。堀北さんが濡れるよりは、僕が濡れた方が何倍もマシだ。

「いや、でも。」堀北さんは僕の方を見たまま

「私は、いいよ。」と呟いた。

二人の間に、甘い沈黙が流れる。僕は傘を広げて、堀北さんに近づいた。そして昇降口を歩き出そうとしたその時。

「おい。このあとの予報は雷雨らしいぞ。早く帰れ。」と末永先輩が後ろから話しかけてきた。僕は飛び上がるほど驚いて

「そ、そういえば用事があるんだった!堀北さん!この傘貸すね!」とまくし立てて、堀北さんに傘を押し付けて、ダッシュで帰った。赤くなった顔に、大粒の雨が当たって、あまり前が見えなかったが、それでも走り続ける。

走りながら、前にもこんなことあったなあ。と残念がった。

そして、びしょ濡れになって電車に乗った時には、すでに頭は冷えて、卓球のことを考えていた。

今回の宮島先輩との試合。勝ったはいいが、納得はいかなかった。僕は、もっと勝ちにこだわりたい。自分が納得できる勝ち方で、勝利できるようになりたい。そのためには、もっともっと強くならなければいけないと思った。

僕はしたたる雨水を眺めながら、さらに練習を重ねる決心をした。



俺は、卓球場にいた。といっても、おんじの卓球場ではない。うちの隣町のクラブチームが使っている卓球場である。

俺は、あの夜の後、いろんなことを考えた。主に、これからについて。

おんじがいない今、俺は誰に教わったらいいのか、そして、どうやって強くなればいいのか。どこで宮島のリベンジを果たしたらいいのか。

そして、自分なりに答えを出した。卓球は一人では強くなれない。だから、練習してくれる人がいて、大会にも出れる、クラブチームに入ればいい。と思ったのだ。大きな大会に出れば、秀樽高校に当たれるかもしれない。そして、トーナメントの上に上がれば上がるほど、その確率は高くなる。頭の悪い俺にしては、いいアイデアだ。

そして、インターネットでここを調べたところ、結構大きな施設で練習ができるようだったので、早速入った。見学はしていない。直感である。

卓球場は、おんじのところより格段に広くて、綺麗だった。秀樽高校の多目的ホールと遜色がないレベルである。

「キミが、貼川君だね。ここのコーチをやっている川内だ。よろしく。」川内さんは、俺にそう挨拶をした。礼儀を忘れない俺は、ここでもしっかりと挨拶を返す。川内さんはニコリと笑って

「じゃあ、この施設を少し案内するから、付いてきて。」と言って歩き出した。

ここは、卓球場と言うよりは、大会などで使うようなアリーナになっていた。トレーニングルームには、トレーニングマシンがずらりと並んでいて、多球練習で使うマシンがある部屋や、広いロッカールームもあるようだった。ここで卓球の練習ができるのかと思うと、わくわくしてくる。

「広いだろう。」川内さんは、まるで自分のことのように自慢げに説明しながら、俺の前を歩く。

「はい。練習が楽しみです。」俺もそう返して、川内さんに着いて行く。一通り見終わると、最初にいた場所へ戻ってくる。どうやら、真ん中に卓球場があって、その周りをぐるりと一周囲うように様々な施設がある構造になっているようだ。

「じゃあ、早速だけど練習に参加してもらおうかな。ラケットとシューズは持ってきてる?」

「持ってきました。」僕は、おんじの形見のラケットとシューズを取り出して、その場で着替えようとする。

「ああ。ロッカールームがあっただろ?そこで着替えてきて。先に卓球場で待ってるね。」川内さんは慌ててズボンを脱ぎだした俺を止めた。確かにこれでは変態になってしまう。その場所ではしてはならない格好はあるものだ。俺は納得するとズボンをまた上げ、川内さんに頭を下げて、ロッカールームへ向かった。


着替え終わると、俺は卓球場へ歩く。今更だが、このシューズではやはり恥ずかしいな。と思う。おんじは、生きていたら俺に何と言ってこのシューズを渡すつもりだったのだろう。「恥ずかしいんなら、練習しろ。そのうち消えてくだろうからよ。」などと言って笑っていたのだろうか。

そう思っていると、卓球場についた。川内さんは「早かったね。」と僕に笑いかけた後

「じゃあ、練習を始めるよ。ここは数人につき一人コーチがつく塾でいう個別指導みたいなやり方なんだ。君は僕のグループに入ってもらう。」そこまで説明すると、川内さんの後ろに三人、人がいるのが見えた。川内さんのグループの人間だろうか。

「じゃあ、二人一組になって、それぞれ台で練習してもらおう。」俺は川内さんの後ろにいた人の一人にお願いして、練習を始めた。1ヶ月半ラケットを握らなかったこともあって、技術に関してはかなり不安だったが、意外と衰えてはいなかった。

「これも卓球なんだよ。」という、おんじの言葉が思い出される。体力をつけているあの瞬間も、俺は卓球をしていたのか。

昔から、俺は我慢強い。劣っているところを反復反復。できるようになったら別の苦手なところを反復反復・・・。そうやって今までやってきたのだ。そしてこれからも、俺は変わらない。どんな辛いことがあっても、俺は絶対に変わらない。ずっと頭が悪くて、無鉄砲で不器用で、我慢強くて、卓球が好き。おんじが教えてくれたことを、決して無駄にはしない。


練習を終えると、川内さんが話しかけてきた。なんでも、大会についてのことだそうだ。俺は川内さんに向き直って、話を聞く。

「一番近い大会は、10月31日の全日本ジュニア選手権の県予選だね。出られたらで構わないんだけど。どうする?」かなり大きな大会だ。秀樽高校も当然出るだろう。俺は息を吸い込むと

「出ます。」と川内さんに言った。10月31日。この日までに、俺は強くならなければならない。決意を新たにすると、俺はラケットをくるくると回した。


そこから、俺は必死に練習した。クラブの練習は、かなりきついものだった。しかし、俺は我慢強い。どんなきつい練習でも、決して根を上げることはなかった。


卓球場には、いつも王様がやってくる。自分のことが大好きで、だけどそれより卓球のことが好きな、卓球の王様だ。

王様は、とても大事な友達を亡くした。でも、その友達は、王様にかけがえのない大切なものをくれた。

だから王様は、くじけないで次の球を見ることができるのだ。しっかり両の目を見開いて、ラケットを振ることができるのだ。

「俺は天才。

俺は天才。

俺は天才!」

3回叫んで、王様はラケットを掲げた。


そして、10月31日。王様の劇場が、幕を開けようとしていた。

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