第4話
※※
「今日も、体験入部では練習に参加してもらいます。昨日も話したように、卓球は『効率良く』が大事です。それを常に頭において、メニューをこなしていってください。」末永先輩は、今日も、体験入部に来た新入生たちにそう話した。
今日の練習は、筋トレのようだった。僕は、体力があまりないことを昨日の練習で思い知ったので、あまり自信がなかった。末永先輩は、部員を集めて、多目的ホールにあるホワイトボードに、何かを書き始めた。どうやら筋トレのメニューのようだ。
「それでは、新入生は、二年生と組んでやってもらいます。二年は一年にきっちりやり方を教えるように、では始め。」
末永先輩が号令を出すと、練習が始まった。僕は、昨日多球練習を指導してもらった先輩と組むことになった。
「まずは腹筋だな。普通の腹筋と同じで、手をクロスさせて、ゆっくりやれ。押さえといてやるから。」先輩はそう言うと、僕の足を押さえた。僕は言われた通り、ゆっくり起き上がって、腹筋をする。普段やっているスピードの腹筋より、かなりキツい。
そのあとは、反復横跳び、腕立て、背筋と、様々な箇所の筋肉を鍛えていく。中でも一番辛かったのは、体幹トレーニングだった。
体幹トレーニングとは、内側にある筋肉を鍛えるトレーニングのことである。主に、一定の姿勢を保ち、動作を止めることで、自分の体重を使って行うものが多い・・・はずだ。正直、自分も筋肉に関してはあまり詳しくなく、筋トレはあまりしないほうだった。だから体力が低いのかもしれない。
今日やったのは、肘と足の先を床につけて、後の部分を浮かすものと、足を上げて、足上げ腹筋の状態を維持するものの二種類だった。それぞれ1分半ずつを3セット。腹筋が吊りそうになりつつも、なんとかメニューを終える。
明日から走り込みをして、少しでも体力をつけよう。と思った1日だった。
そして、練習も終わり、ロッカールームで着替えて、帰ろうと思った時だった。
「鮎川君……だよね。」と、昇降口で声をかけられた。振り返ると、今日、卓球部の体験入部に来ていた女子がいた。どうしたのだろう。僕が頭の上に疑問符を浮かべていると
「ちょっと相談があるんだけど、一緒に帰ってもいいかな。」僕に相談?まだ会ったばかりの人間に、普通相談なんてするだろうか。僕は、頭の上にさらに疑問符を浮かべた。
「や、あたし中学校から一緒の友達が高校にいなくて、鮎川君優しそうだから、声かけちゃったの……。迷惑だよね、ごめん!」女子は、それだけまくしたてると、そそくさと帰ろうとする。
「待って、わかった。一緒に帰ろう。」彼女も心細かったのだろう。それに、僕はどうやら困ったり落ち込んだりしている人間を見ると、放っておけない質の人間らしい。単なるお人好しと言ってもいい。僕は、貼川君の顔を思い浮かべながら、女子を引き止めた。
女子の名前は、堀北千里と言うそうだ。堀北さんは、卓球部の体験入部で組んだ先輩に、言い寄られてしまって、困っている。と僕に打ち明けた。僕は、会って1日目の女の子にそんなことをする先輩がいるのか、と少々幻滅した。
堀北さんは本当に困っているようで、泣きそうになりながら話をする。なんでも、断る雰囲気を出したら腕を掴まれたらしい。なんとかお茶を濁してその場から逃げてきて、見つけた僕に話しかけたということだそうだ。
「それは怖かったね。もうその先輩には近づかないほうがいい。」一通り話を聞き終えて、僕は彼女にそう言った。堀北さんは頷いたが、腕を掴まれたのがショックだったようで、このままでは怖くて学校に行けない。と泣きべそをかいた。でも、その先輩をどこかにやれるような力は僕にはない。
「他の先輩に相談するのはどうだろう。例えば、末永先輩とか。」部長である末永先輩が言えば、多少はマシになるのではないか、と思ったのだ。
「でも、あまり事を大きくして、裏でいじめられたりしたら・・・。」彼女はかなりネガティブな考えに陥ってしまっているようだ。
「じゃあ、明日からは僕と一緒に帰ろう。」まだ相談できる友達も、彼女にはいないようだし、男である僕が一緒にいれば、その先輩も関わりにくいのでは、と思ったのだ。
「ほ、ほんと?」堀北さんは、かなりホッとした表情で僕を見る。整った顔立ちで、目を潤ませている。その表情を見て僕は少しドキッとしてしまう。いけないいけない。僕は初対面ながらに信頼されて相談を受けたのだ。この問題が解決するまで、僕がしっかりしなければ。
学校と駅の間の距離は、徒歩でおよそ15分くらいある。とりあえずは、そこまで毎日送って行くことにした。
駅につくと、彼女とは別の路線だったので、そこで別れることにした。
「今日は本当にありがとう。また、明日ね。」堀北さんはそう言うと、自分の路線へ歩いていった。それを見送ると、僕も自分の帰路につく。
電車を降りて、商店街の道を歩く。そして分かれ道まで来た時に、何かよろよろと歩く人影が見えた、見覚えがある。
「貼川君!」僕はぼろぼろに泣きながら歩いている貼川君に肩を貸した。
「俺はもうだめだ。鮎川。」泣きながら、貼川君はそう言う。何があったのか、とりあえず聞き出さなければ。近くにあった公園に行って、彼が落ち着くまでしばらく待って、貼川君が話し出すのを待った。彼は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「俺は、昔は卓球、強かったんだ。」貼川君は、そう切り出した。
「小学生から今まで、俺より強い奴なんていないんじゃないかって、心の中では思ってたんだ。」
だけど、俺は一昨日、宮島先輩に惨敗した。その時気づいたんだ。俺、もしかしたら弱いんじゃねえのって、本当は薄々気づいてたことを、見ないふりしてたものを、無理やり見させられた気分だったよ。
貼川君は、そのあと宮島先輩に、暴言と暴力を振るわれて、金を取られた。と話した。僕は驚いた。いい人そうだったのに、許せない。
「先生とか先輩に言うべきだよ。」僕は、憤慨しながらそう言った。
「いや、いいんだ。弱い人間は、強いものに立ち向かうことさえ許されない。俺は、試合に負けた。それだけなんだ。」貼川君はそう言って、またよろよろと元来た道を戻ろうとする。
「僕が。」その時、僕の口から言葉が飛び出た。
「僕が仇を討つよ。絶対に強くなって、僕が貼川君の仇を取る。」何を言っているんだと思った。まだ知り合って間もない貼川君に。自分でもおかしく思った。だけど、僕は、目の前で、悔しくて、それでも何もできなくて泣いている人間を、放っておけはしなかった。ここで、見ないふりをしたら、僕は宮島先輩と一緒になってしまう。それだけは嫌だった。
貼川君は、一瞬僕の方を驚いて振り返ったが、また、元の顔に戻って、よろよろと、引き返していく。勝手にしてくれ、背中がそう言っていた。
僕は、強くなりたい。臆病風に吹かれ続けていた自分を変えて、変わりたい。心から、そう思った。決意を新たにすると、僕は小さくなっていく貼川君に背を向けて、歩き出した。
※
鮎川には、貸しを作りっぱなしだな。心の中でそう言いながら、家に帰る。俺は、こんなにも弱いのに、あいつは必死で強くなろうとしている。俺は、あまりの自分の格好悪さを、自嘲的に笑った。
家に着くと、自分の部屋に直行して、卓球ノートを捨てようと、本棚の前に立つ。しかし、俺は、なぜか一番端の卓球ノートを広げ始める。最後に、俺の卓球人生の最後に、せめて楽しかった頃の記憶を思い出したかったのかもしれない。卓球ノートには
「今日は、利き手じゃないおんじに勝った!」とか
「今日は、大会で優勝した!」とか、いろんな記憶が、書き連ねてあった。俺は、一冊、また一冊と読んでいく。読んだノートは、部屋の俺の周りに溜まっていく。
そして、16冊目、時期的に言うと、おんじの卓球場を卒業した時に書いていたノートになるものを読んでいく。すると、今まで同じ大きさの字の形で書いていたのに、一番後ろのページに、マジックで何か別の人間の字が書いてある。なんだろう。記憶が出てこない。人にこのノートを見せたことはなかった。とりあえず、読んでみる。
「駿太郎へ
お前は、誰よりも卓球が好きな男の子だった。初めて卓球場に来た時のことは、昨日のことのように覚えているよ。お前は目を輝かせて、ラリーを続ける私とちびっ子を見ていた。その時お前は言ったんだ。『僕もこんな風に、上手に出来るようになるの?』俺は『気合でなんとでもなるぞ。』とお前に言った。そこから、卓球を始めて、お前はどんどん上手くなっていった。
だけど、お前の良いところは、卓球が上手いってことじゃない。他の誰よりも、卓球が好きってことなんだ。お前は思い込みが激しいから、上手くなっていくにつれて、だんだんその事実を忘れていった。
もし、辛いことがあって、挫けそうになった時は、私の言葉を思い出せ。心の中で3回繰り返すんだ。そして、思い出せ。自分が卓球を続けた本当の理由を。
お前は天才。
お前は天才。
お前は天才。
絶対に、お前は立ち上がれる。そう思い込め。
おんじより。」
卓球ノートに書かれた小さくて不器用な手紙は、まるで今の俺を、そのまま見て励ましてくれているようだった。そして、俺は再び思い出した。俺の周りに落ちた卓球ノート達は、積み上げたものが崩れても、自分の周りにばら撒かれるだけで、決してなくなるわけではないと、言っているようだった。
俺は、見えなくなっていた。卓球の楽しさを、卓球がもたらす本当の意味を。
卓球は、強いから楽しいのではない。楽しいから強くなれるんだと、卓球がもたらすのは勝利ではない、もっと別の、大切なものだと。おんじは、卓球ノートから、そう教えてくれた。俺の目から、涙がこぼれ落ちる。昔の俺は、本当に卓球が好きだった。しかし、いつの間にか、楽しさや達成感より、勝利、実力ばかりに目がいくようになってしまった。俺は、自分の強さに酔いしれて、本当に大切なものが見えていなかった。俺は、誰よりも卓球が好きだった。だから、ずっと続けてこれたのだ。
たった一度の敗北で、俺は、どんなものより大切なものを失うところだった。おんじが、気づかせてくれたのだ。卓球ノートのマジックで書かれた文字は、湿って少し滲んでいた。
そして、俺は外に飛び出た。空には、たくさんの星がてんてんと輝いている。全速力で走り出す俺を、応援してくれているようだった。
俺は、どんどん加速していく。宮島先輩の顔、惨敗した時の記憶、殴られた時の傷。それらを全て振り払うように、俺は走り続けた。心の中で3回叫んでみろ!
俺は天才。
俺は天才。
俺は天才!
俺は足に急ブレーキをかける。止まった目の前には、卓球場があった。もう何年も、来ていない場所だった。卓球場はまだ灯りがついている。ぎい。そう音を立てて、ドアが開いた。
「そろそろ、来ると思って、待ってたんだ。」おんじは、昔と変わらない笑顔で、俺を迎え入れた。俺は、息を吸い込んで、ゆっくり言った。
「強くなりたいんだ。」
おんじは、ニヤリと笑うと、俺の背中を叩いた。
「そろそろだな。と思ってたよ。お前が泣きべそかいて俺のところに来るのがよ。」おんじは、そう言いながらも嬉しそうだった。
「色々あったんだ。本当にいろいろね。」俺は言葉に含みをもたせて、昔とちっとも変わっていないおんじとの再会を喜んだ。
「どうせ初めの部活なんかで先輩に勝負を挑んでぼろ負けしたんだろう?大したことじゃないじゃないか。」
「当たってるけど、その先輩にいじめられて金も取られたんだ。」
「はっはっは!そいつは傑作だな。お前は弱気になるととことん弱気だからな、そんなん今度返してもらうつもりでドンと構えとけば良いのよ。」おんじはそう言って、ガハハと笑った。いつもいじめられると、俺はおんじの所へ泣きに行っていた。その度に、こうやって笑い飛ばされたものだ。問題の解決はしなくても、笑われると、なんでもくだらないことに思えて、俺はいつも元気に戻っていた。今回も、いままでの悩みはなんだったんだと思うくらい、俺の心は晴れていた。
「それで?負けたから仕返しに強くなりたいって魂胆だな?そんなことで俺を使うなんて百年早えよ。」相変わらず人聞きの悪いことを言われるが、それでも俺はへこたれずに頼み込む。
「俺、わかってなかったんだ。いっつも自分の強さばっかり見て、卓球の本質を見てなかった。」俺は、さっき気づいたことを、おんじにそのまま話した。
「ふむ。昔より口下手だが、理由だけは一人前だな。」おんじは急に真面目な顔になって言った。
「だから、おんじの力を借りたいんだ。」俺は、あと一押し、と思って続けた。
「別に構わんが、俺の練習はキツイぞ。昔は小学生だから手加減していたが、今は立派な大人の体。容赦しねえぞ。」おんじはタバコに火をつけながら言った。
「そうこなくっちゃ、俺が我慢強いのは、変わってないさ。」僕はそう言うと、人差し指の関節を鳴らした。それを聞いたおんじは、またニヤリと笑う。
「じゃあ、明日の5時にまたここに来な。答えは明日お前の体に聞くことにしよう。」そう言うと「もう今日は遅い。せいぜい寝坊しないように早寝しな。」と、俺の頭をぽんと叩いた。俺は頷くと、卓球場を出る。空は、先ほどと変わらず綺麗に光り輝いていた。
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