第三章 卒業証書授与03
わたくしこと『牧 双葉』ちゃんは今、とっても憂鬱な気持ちでいっぱいなんです。
だってそうでしょ?
準備係だからって、それだけで放課後に残って卒業式の準備しなきゃいけないって法律とか、きっとどこにもないはずなのに。ああ、それなのにそれなのに。
どうして明日は卒業式なんだろう? と言うか、私はいつの間に準備係になったんだろう? いったいぜんたい、この状況は何なんだろう? 神は私に味方しませんか、そうですか。
でね、そんな胸の内を幼馴染の同級生に打ち明けたわけですよ。そしたらその子、『双葉って、たまにどうかしてるよね』って言ってくるじゃありませんか、満面の笑顔で。どう思います?
おのれ、まゆかめ! 半年前の恩を忘れたか!? そこは黙って『じゃ、代わりに私が残って準備してあげる』に決まってんだろーーーと思わなくもないんですけど、でもまあそんなことは口が裂けても言わない私なのです。
だって私、彼女に対して少しだけ後ろめたい隠し事があったりするから。うーん。
何にしてもです。
仕方がないので、私は一人でトボトボと廊下を歩きます。向かう先は職員室。どうしてそんな場所に用があるのかって? いえいえ別に、木刀もってかちこみかけようってワケではないんですよ?
ただ単に、先生に指示された次の準備をするためです。でもでもでもでも。
ああ帰りたい。ああ遊びたい。ああこの鬱憤を晴らしてしまいたい。
だけども私はとっても真面目なので、三歩進んでは二歩戻るくらいの勢いで職員室へと向かうのです。最適な速度で、スゴスゴと見慣れた廊下を進むのです。
夕暮れの陽射しが射し込む学校の廊下。自分の影が左手の壁に映りこむ様に、ちょっと今何時よ? ああ今にも、気が狂ってしまいそう。
何だかよく知らない間に、前の生徒会長さん(鬼畜黒髪ロング)に勝手に決められていた、卒業式の準備係という大役。いっそのこと投げ出してしまえたら、それなら私はどれだけ幸せになれるんでしょう? いえ、無理なんですけどね、あの人にバレたら後が怖いから。
とか何とかやっている間に──
「ああうそ、もう着いちゃったよ」
見上げる先には、『職員室』と書かれた横長のプレート。仕方ないので、小指の先だけを持ち手に引っ掛けて、できるだけ限りゆっくりと扉を開けていきます。
いっそ一年くらいかけるつもりで、ジワジワと開けてやろうか? なんてすいません冗談ですはい。そんなに時間をかけてたら、私自身が卒業してしまいかねませんからね、ええ。
そんなこんなで、私は開いた扉からのそのそと職員室の中に入ります。
先生から行けと言われてたのは、確か職員室の一角から入れるらしい『資料室』とかいう名のへんな小部屋。
なんでも、そこに置いてある卒業証書を一まとめにして、そのまま体育館まで運べってことらしいのですけれど。
そんな指示をされたなら。それこそいっそ束を抱えたまま屋上まで駆け登って、偉そうな紙くずを全部、遠いお空に向かって撒き散らしてあげたくなりますよね、普通。
きったねーだろうなー。
なんてどうでも良いことを考えながら辺りを見渡せば、それらしい入り口がすぐに分かりました。ああ、なんという事でしょう。資料室とおぼしき部屋の扉が、半開きのままになっているではありませんか。
いったい誰の仕業でしょうか。こういうのって、育ちの悪さがわかる瞬間ですよね?
はてさて。
扉のすきまに首から上をそっと差し込んで、どれどれと中の様子をうかがってみます。するとおやおや、先客さんがいるではありませんか。
後ろ姿から察するに、どこぞのクラスの先生かな? どうやら小部屋の端っこに置いてある長机の前で腰をかがめ、一生懸命に何かしているようですが──
仕方がありませんね。そっと後ろから声をかけてみましょうか。
「ああ、すまない。ちょっと待っていてくれ、もうすぐ終わるから」
私の声掛けに気が付いた先生は、そんな寝言をほざかれると、再び机に向かわれました。邪魔してやりましょうか──なんて。
私は先生の脇からそっと、その様子をのぞき込みます。するとどうでしょう? 立ち姿のまま背中を丸めて机と向き合う──確かこの人、三年のどこかのクラスの担任さんだったはず。
とにかくその先生は、明日使われる卒業証書らしき一束を、ぼろっちいクラス名簿片手にペラペラとめくっておられるようです。
ピンときました。これはおそらく並び順のチェックに他なりません。
何と言うことでしょう、話が違います。
私が聞いていたお話では、各クラス担任の並び順チェックならもう終わっているはずだから。そう聞いていたのに、これは酷いです。不届き者です。喧嘩を売られています。
私はさっと素早く、先生が向かわれている長机の上に視線を走らせました。
机の上に置かれた束は、不届き先生が現在確認中の物を含めて全部で五つあるようです。よく見ると、どの束の表紙にも赤色のマジックで大きくクラス名が書かれているようですね。
もっとも。クラス名の赤文字よりも、用紙の全面にデカデカと書かれた見覚えのある文章の羅列が──って、ああこれ校歌の歌詞かな?
とにかく、そんな自己主張の激しい文章が邪魔をするので、どうにも赤マジックの書き文字が見づらくはありますが、何にせよ。
(3-A……B、C……とんでE)
数字とアルファベットくらいなら判別可能でした。
どうやら左から順にA束、B束、C束、と並べてあるようですね。ちなみに不届き先生がめくっている束は、五つある束のうちの左から四つ目。
こうして見る限りに『3ーD』と書かれた表紙だけが見当たりませんでしたから、その束が現在進行形でめくられているのだと仮定しまして、それでは判決です。
てめー3年D組の担任だな、覚えとけー!
何てことを目の前の背中に向けて思いこそすれ、やっぱり口には出さないのが双葉ちゃんです。そういう発言はキャラ違いですからね、ふふん。
程なくすると、3年D組の不届き先生は一仕切りの作業を終えられたようで、『じゃ、後よろしく』的な言葉と共に、この小部屋から消え去りやがりました。ふざっ。
ああもう、どいつもこいつも。
色々と思うところはございます。とはいえ、いつまでもブー垂れてはいられません。仕方がないので、私は長机の正面に向かい立ちます。
目の前には、クラス名が書かれた紙の束が五つ。今はAからEまで順番に並んでいますね、よしよし。さてさて、私は先生にどんな指示を受けたのでしたっけ?
「えっと」
少し考えてから、それではと。
まず最初に、私は長机の左端に立つことにしました。見下ろせば、校歌の歌詞の上から赤マジックで『3-A』と書かれた表紙のついた一束。どうやら、左のすみっこを大きなクリップで挟み留めて束にしているようです。
ぱっと見で、3、40枚くらいは重ねられていますでしょうか? 分量的にも、これで1クラス分の束に間違いなさそうですね。それでは作業に取り掛かりましょう。
「何だっけ。クリップ外して、束の上と下から“遊び紙”を取るんだっけ?」
もう、ずっと昔に聞いたような気さえする先生の指示。不本意ながら、従います。
とりあえず試しに、3-A束の左すみからクリップを取り外してみます。
あら、結構珍しい形のクリップですね。挟んでいる紙が傷つかないような親切設計になってるみたいです、感心感心。
外してしまえばクリップは用無しですから、私がもらってしまいましょうか? なんてやっぱり冗談なんですけれど。
「えっと、それで遊び紙……って、この3-Dって書いてある一番上の紙のことよね?」
一人ぶつぶつ呟いても、誰も頷いてなんてくれません。こういうのって、少し寂しいですよね。
私はとりあえず、クリップの拘束が解かれて自由になった紙束から、クラス名が書いてあった最初の一枚を取り上げてみます。
するとはい、思ったとおり。表紙の一枚を外してみれば、すぐ下から現れたのはいかにも『卒業証書です』と言わんばかりの面構えをした厚手の用紙。
「青木……」
何となく、下から出てきた証書の名前を読み上げてみましたが、とくに深い意味なんてないんです。
「ふ~ん」
我ながら愛らしい小声を垂れ流しつつ、私は今しがた取り外したばかりの“遊び紙”らしい一枚を、一応は念のためと裏返して確認してみます。すると、どうやら──
「あ。書き損ねた奴なのか」
本当なら誰かの名前が書いてあるはずの場所には、中途半端な書きかけで終わっているお名前が。
なるほどこれで、合点がいきます。
ようするに、書き間違えて使えなくなった卒業証書の紙を裏返して、束留めクリップの“挟み痕”対策として使っているわけですね。
例え安心設計なクリップだとしても、多少の傷くらいは付きそうなものですから、それに対する安全策と言ったところなのでしょうが……それなら初めからクリップなんて使わなければいいのに。
まー、何にしてもです。書き間違えたのを再利用とか、ケチです。ケチンボです。
「んで結局、遊び紙ってこの一番上の紙のことなワケよね? となると一番下にも……」
要領は分かりましたが、しかし念には念を入れましょう。
クリップで傷が付かないようにという目的なら、一番上だけでなく一番下にも同じような紙が一枚挟まっているはず。って言うか、各束の上と下から遊び紙を取れって言われていたんでしたっけ。
「どれ」
A束を抱え上げて束の下から一枚抜きますと、はいやっぱり。またしても、校歌の歌詞が書かれた面を上向きにした紙が一枚、私の前に顔を出します。言うまでもなく、これも卒業証書の裏面ですね。
裏返しで挟まれているということは、きっとこれも書き損じの失敗証書なんでしょう。なんだか可哀想ですね。
「どうれ」
下から抜いた一枚をぐるりとひっくり返せば、ほらね。やっぱりこれも書き損じた証書だということが一目で分かります。それではさらに念を入れるため、下から二番目も見ておくことにいたしましょうか。
「あ、これはちゃんとした証書なんだ。……戻しとこ」
どうやら、先生の言っていた遊び紙は、束の上下に一枚ずつ挟んであるだけのようですね。
「“遊び紙”を外すって、多分こういう事だよね?」
誰もうなづいてはくれませんけど、きっと間違いないでしょう。どうです? 中々の名推理ですよね。これならあいつにも引けをとりません。受け合いです。
「んじゃ、一気にやっちゃお」
最初の束から外した遊び紙を長机のすみっこに除けて、次に私はB組の束に向かいます。
A組の時と同じ手順で、クリップを外して上と下から裏返しの遊び紙を抜き出せば、やっぱりそれも書き損じの再利用でした。
どこまでケチケチなのでしょう、酷いものです。身の程を知るべきです。
「一応この束も、二枚目はちゃんとした奴ね。おけ。んじゃ次は、Cか」
そうして私は順番に、束から大きなクリップと上下の遊び紙を取り外していき──
「できた」
あまりのことに愕然としてしまいました。
何がって? そんなの、今まとめ終えたばかり束の迫力に圧倒されてに決まっているじゃありませんか。
三年生、全五クラス。一クラス40人で計算すれば、実に二百枚の大台に乗る卒業証書の束。大束。超大束。
「マジでか」
この大束を運べと? それは私に死ねと言っているのでしょか? いえまあ、これくらいでは死なないんですけど。
「ちくしょーっ!」
可愛らしさに勤めて出した掛け声と共に、私は巨大な束を抱え上げます。行き先は体育館ですって? 馬鹿ですか?
ああ、ここからの道のりの何と遥か彼方なことか。絶望感に包み込まれながら、私はこんな事を思います。
「察して、むこうから私に近づいてくる根性くらい見せなさいよね、体育館のくせに」
まあ、体育館は動けないから無理なんですけどね。
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