成瀬尚の場合



 俺には四年間と少し付き合っている彼女がいる。

 彼女はいわゆるモテる人で、隣にいる俺はいつもヒヤヒヤしていた。

 だけど、彼女は俺がいい、俺じゃなきゃダメだという。

 そんな彼女を今日も俺は大切に思っている。

 そう、大切に。

 生憎の曇りだったその日、俺は彼女こと佐々木沙恵と会っていた。

 そこは二人の通う大学に近いカフェで、行きつけの場所だった。


「この課題、難しい〜」

「ん、どれ?あ〜、これはこれをこうして……」

「あ!本当だ!出来た!」


 嬉しそうに笑う沙恵に周りの男子の視線が集まる。

 生憎、沙恵は俺のものだという視線で周りを睨みつける。

 なんとも言えない優越感に俺は今日も浸っていた。

 そんな俺を不安そうに見つめる視線にも気づかずに。

 俺たちはいつもここで勉強をしていた。

 四年生になってからはかなり回数が減ったので、今日は久しぶりのカフェだった。

 だからだろうか。

 俺は久しぶりに出会ってしまった。


「コーヒーのスイーツセットをお持ちしました」


 そう言って、コーヒーを置いたのはなんとナコだった。

 俺はあの一件以来ナコと一度も話していなかった。


「ナコ、久しぶり」


 俺の声にナコの肩が揺れた。

 思わず、声をかけてしまったのは何故だろうか。

 その結論が出る前にナコが口を開いた。


「成瀬さん、久しぶり。では、ごゆっくり」


 それだけ言うと、ナコは離れていった。

 何で呼び方を変えたのかとか聞きたいことはたくさんあったけど、俺はそれ以上追いかけることをしなかった。





 あくる日、俺はまたそのカフェを訪れた。

 今度は一人だった。

 あの日、ナコが話しかけられなかったのは沙恵がいたからではないかと思ったからだ。

 しかし、ナコは俺にコーヒーを持ってくることはなかった。

 コーヒーを飲み干し、パソコンを開こうとカバンを漁っていたら、ナコがバイトを終え、帰ろうとしているのが見えた。

 俺は咄嗟にカバンを持ち、会計を済ませて、ナコを追いかけた。


「ナコ!」

「え?成瀬さん?」

「成瀬さんってなんだよ!尚ってなんで呼ばないんだよ!」

「え?」


 ナコは予想外の展開に驚きが隠せないようだった。

 それもそうだろう。

 いきなり昔振られた男が走ってきて、問い詰められたのだから。


「私はもう昔みたいに接するつもりはありません。失礼します」

「なんで……」

「なんでって尚が私を振ったからでしょう!?そんなこともわかんないの!」


 ナコは肩を震わせていた。

 俺は突然の涙に何をしていいのかわからず、その場で立ち尽くしていた。

 ナコはとめどなく流れる涙を拭いながら、俺の元から離れようとした。

 俺はナコの手を掴んで、ぐっと引っ張った。

 俺は泣くナコを抱きしめていた。

 そして、腕の中にいるナコをみて、やっと気づいた。

 俺、ナコが好きだ。

 やっと気づいたその思いはすぐに散ることになったのだけれど。

 俺がその思いを伝える前に、腕からナコが引き離された。

 知らない男の手によって。


「何してんだよ!ナコに触るな!」

「翔吾くん……」


 どうやら、その男はナコの彼氏のようだった。

 しかし、そんなこと俺には関係なかった。

 俺とナコの間の絆はそんなことでは破れない。

 そう過信していた。

 だから、俺はその男を無視して言った。


「俺、ナコが好きだ。そんな男じゃなくて俺と付き合って」

「そんな男じゃない、翔吾くんだよ」


 そう言うと、食いかかりそうな翔吾を抑えてナコは俺に向かって怒った。


「今さら、付き合ってくれとか信じらんない!尚が私を振ってから私たちの関係は終わったの!終わらせたのは尚なの。なのに、何今さら」

「俺、やっと気づいたんだ。ナコが好きだって。だから……」

「だから、じゃない!私は尚をもう好きじゃないし、それに沙恵ちゃんはどうするの!?」


 その言葉に反応したのは、意外にも翔吾だった。

 翔吾が俺の沙恵と何の関係性があるのだろうか?

 もしかして、翔吾は……


「ナコ、佐々木先輩なんだよ。僕がずっと好きだったって言ってた人は」

「そ、っか。沙恵ちゃんだったのか。どうする?もう一回、アタックする?」

「ううん、そんなことはしないよ。僕は今平野さん、いや、ナコが好きなんだから」


 そうして、二人は抱きあった。

 俺はどうやら遅かったらしい。

 この想いに気づくのも、何もかも全て。

 俺は家に帰りながら、沙恵に電話をかけた。

 もしかしたら、沙恵は気づいていたのかもしれない。

 俺がナコを好きだってことに。


「沙恵、もしもし俺だけど……」


 その後の言葉に思わず詰まってしまう。

 俺は何と言えばいいのだろうか。

 本当は好きじゃなかった、他に好きな人がいるんだ、思い浮かぶ言葉はどれもかれも沙恵を傷つけてしまう。

 しょうがないのだ、俺は今から沙恵を傷つける内容の電話をするのだから。

 そうしているうちに、電話の向こうで大きく深呼吸をする音が聞こえた。


「私ね、好きな人ができたの。だから、もう尚くんは用済みなの。じゃあね」


 それが強がりだってことくらい、俺にもわかった。

 だって、四年も付き合っていたのだから。


「ごめん、ごめん、沙恵」

「謝るくらいなら、最初から付き合わないで欲しかったな」


 その言葉とともに電話が切れた。

 俺は一人その電話を見つめていた。


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