笠原翔吾の場合
一目惚れだった。
歩いている僕の横を自転車で通ったその先輩に、一瞬で心が奪われた。
初めての「恋」に僕の心は高鳴った。
その先輩の名前は佐々木沙恵さんと言って、学校で噂されるほどの美人だった。
未だに誰とも付き合ったことがないらしく、いわゆる高嶺の花。
叶うわけがないと知っていながら、それでも記憶に残るような存在になりたいと思って、僕は陸上部に入った。
佐々木先輩はそこでマネージャーをしていた。
何でも誰かの走ってる姿が好きでなったらしい。
なんて素晴らしい先輩だろうと思う。
僕はますます先輩のことが好きになっていった。
一度だけ、先輩に声をかけたことがある。
二つ上の先輩と話す機会など、ほとんどないのだがその日は運が良かった。
部室に置き忘れた荷物を取りに行くと、なんとそこに先輩がいたのだ。
僕は大きく深呼吸した。
「先輩、おはようございます。何してるんですか?」
「ちょっと忘れ物。えーっと、確か、久米くんだったよね?久米くんはどうしたの?」
「僕も忘れ物です。筆箱を忘れてしまって……」
「あ、じゃあ、これかな?はい」
差し出された筆箱を受け取ると、僕はすぐに部室をでた。
心臓がバクバクしていた。
先輩と二人きりという状況がまず大変なことなのに、名前を覚えていてくれて、しかも僕に筆箱を渡してくれるなんて。
その日、僕はスキップをしながら家に帰った。
親にドン引きされたけど、そんなこと関係なかった。
一度も話せないと思っていた先輩と話せたのだ。
興奮しないわけがない。
その日の夜はあまり寝ることができなかった。
僕と先輩の出来事といえば、これだけである。
あまりにも少ない接点だけど、僕にとっては大事な思い出だ。
仕事をしている先輩も図書室で勉強している先輩も友達と話している先輩も、どんな先輩も僕は好きだった。
でも、廊下ですれ違うことができるのも一年だけ。
僕の恋はあまりにも儚いものだった。
先輩が卒業してから、僕と同じように騒いでたやつらは次々に彼女を作り始めた。
例に漏れず、僕にも彼女はできたのだが、すぐに振られてしまった。
彼女曰く、翔吾くんって私のこと好きじゃないよね、ということらしい。
正解である。
その後、三年経っても僕は先輩を忘れられなかった。
女々しいというか歯切れが悪いというか。
自分でも情けないやつだと思う。
早く諦めなきゃ、忘れなきゃと思えば思うほど、その思いは強くなっていった。
そんなある日、僕が中学三年生のとき、塾の帰り道で先輩を見つけた。
かなりカッコいい男の人を連れた先輩を。
その瞬間、居ても立っても居られなくなった。
僕は先輩の元に駆け寄って、頭を下げた。
「佐々木先輩、好きです。付き合ってください」
先輩は一向に返事をしない。
その間に隣の男の人はその場を離れた。
続いて、先輩もその人を追った。
ごめんなさいという言葉を残して。
その日、僕の恋は終わった。
あまりにも簡単に。
その日からの記憶を僕はあまり覚えていない。
僕の人生を彩っていたのはやはり先輩だったのだ。
そんな僕の時計を進めてくれたのは、ある大学の先輩だった。
なんとなく高校に受かり、なんとなく大学に受かった僕は大学の敷地内をブラついていた。
何処か実態のないような、そんな感覚に身を任せながら、今日まで生きてきてしまった。
だからと言って、それを変えることなどもうできないと思ってた。
「これ、落としましたよ」
あの人と出会わなければ。
突然聞こえた声に後ろを振り向くと、そこにはショートカットの髪が似合う女の人が立っていた。
その人は僕のハンカチをもって、佇んでいた。
「すいません」
「いえ、これからは気をつけてね」
そこで会話を終わらせるのが、何だか嫌だった。
理由なんてないけど。
でも、行動にいちいち理由なんてないのだ。
「何処かでお会いしませんでしたか?」
「え?」
ナンパの上等文句のようなその言葉にその人は少し驚いた表情をした。
だけど、その人は僕の真剣な表情をみて、冗談ではないと思ったようだった。
「高校はどこだった?」
「作倉高校です」
「じゃあ、一緒だね。もしかしたら、何処かで会っていたのかも」
そう言って、その人は微笑んだ。
桜がとても似合う人だなと思った。
「えっと、初めまして!僕、大学一年生の笠原翔吾って言います!あの!名前、聞いてもいいですか?」
「うん、翔吾くん、初めまして。私は平野奈子って言います。大学三年生です、よろしくね!」
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